異国の地、ロンドンで学究生活を送る @mixingale 記憶/物語/可能性 について #memory #LSE #London

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Kohei Kawaguchi=Sunada @mixingale

ロンドンは色んな人種でごった返してるから活気があるようにみえるけど、もしここに白人しかいなかったら、完全に歳をとって滅び行く都市という風情になるだろう。『トゥモロー・ワールド』で「世界の終わり」を「子供の生まれない世界」として描いたのは案外現実と地続きの想像力だったんだと気づく。

2010-09-14 05:49:31
Kohei Kawaguchi=Sunada @mixingale

思えばずいぶん遠くに来た。たまに実家に帰ると胸がつまる思いがする。高校帰りによく立ち寄っていた本屋に入ると、自分の可能性を測りかねるような気分を抱きつつ本を選んでいたかつての自分の気配を感じる。駅前のショッピングセンターに行くとかつて好きだった子がふと出てきそうな気になる。

2010-09-14 08:39:24
Kohei Kawaguchi=Sunada @mixingale

実家にいると些細なことをたくさん思い出す。風呂に入っていて、我が家の風呂の床の水のはけてゆく様を、ああ、こういうはけ方をするんだったなと、ふと思い出す。

2010-09-14 08:41:07
Kohei Kawaguchi=Sunada @mixingale

我が家の風呂の床には4cm四方ほどのブルーのタイルがしきつめられている。湯を流すとそれぞれのタイルが表面張力で水を張る。水は端のタイルからすこし ずつすこしずつ破れてゆく。端から順にとなりのタイルの水が破れるとすこし持ちこたえたのち「ぴっ」と水が破れつぎのタイルへと伝播してゆく。

2010-09-14 08:41:20
Kohei Kawaguchi=Sunada @mixingale

ふと気づけばかつての自分の気配は消え去って湯冷めした自分の身体がそこにある。当然自分はもう小学生でも中学生でも高校生でもない。

2010-09-14 08:42:55
Kohei Kawaguchi=Sunada @mixingale

@popeetheclown ありがとうございます。そうですね、風呂の水のはけ方やドアの手応えといった生活の文目は日々をそこで過ごしているかぎりにおいて生きていて、ひとたびそこを離れると活性を失って単なる「記憶の片隅」のひとつになってしまうんですよね。

2010-09-14 08:56:12
Hiroshi Sasaki @popeetheclown

@mixingale 本当にそうですね>記憶の片隅.普段の生活の中で写真を撮ると,切り取られた日常の「部分」を集めても,どうやっても自分の世界にならないということをよく感じます.全体は部分の総和ではない,の一例なのかもしれません.

2010-09-14 09:05:38