茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第944回「まずいのも、クオリア」」
- toshihiro36
- 3235
- 0
- 0
- 1
まく(1)畏友の白洲信哉氏(@ssbasara)は、ときどきぼくのことをおもしろがる。例えば車。白洲次郎氏譲りの「白洲家の流儀」では、たとえばベントレー(だっけ?)に乗ったりするのだけれども、ぼくはポルシェをカローラと間違える始末(だって、Carreraって書いてあったんだもん)
2013-05-19 06:26:39まく(2)食べ物のこともそう。信哉くんが、ときどきおいしいものをつくって食べさせてくれるんだけど、それは本当においしい。イカをそのミソごと干したやつとか、すっぽん鍋だとか、信哉氏料理のものはとてもうまい。白洲家の流儀としては、好きなものを大量に食べるようである。
2013-05-19 06:27:51まく(3)ところが、その信哉氏、自分が「うまい」と思うもの以外は食べない傾向がある。そのあたりのポリシーがはっきりしていて、出されてものは何でも食べるぼくとは違う。行く店もそうで、ぼくが「ゆで太郎」というおそば屋さんに行く、と言うと、ウケていて、いつまでも覚えている。
2013-05-19 06:29:06まく(4)「なんですか、その、ゆで太郎という店は? どこにあるんですか?」と信哉が聞く。ぼくは、「東京歩いていると、いろいろなところにある」と答える。「何を食べるんですか?」と信哉。「天玉そばとかなあ。かきあげに、生たまごを落とす。」とかぼくが言うと、「へえ〜」と信哉氏。
2013-05-19 06:30:27まく(5)ここでお断りしておかなくてはならないのは、信哉氏はぼくのB級グルメを愚弄しているのではなくて、純粋に好奇心で言っているということ。どうやら、信哉氏の人生に、ゆで太郎や、松屋や、吉野家はあまり関係なかったらしい。一方、ぼくの人生はそういうものだらけだった。
2013-05-19 06:31:43まく(6)ここで考えなければならないのは、安くてB級のものって、高級料亭のものに比べてうまさが低級なのか、という原理問題で、ぼくは、必ずしもそうではないのではないかと思うのだ。というのも、「クオリア」という視点から見れば、高級な料理も一つのクオリア、B級グルメも一つのクオリア。
2013-05-19 06:33:18まく(7)クオリアとの一期一会を尊ぶ精神から言えば、ゆで太郎のそばに生たまごを落としたものも、この宇宙の中に出現した一つの奇跡的クオリアである。極端なことを言えば、まずいものも、一つのクオリア。だから、托鉢の精神ではないけど、ぼくは、出されたものをホイホイと食べてしまうのだ。
2013-05-19 06:34:56まく(8)このような、料理の洗練とかに対する一種のゆるさが、ぼくが料理評論家にもグルマンにもなれない理由なのだろう。先日も、「先生はふだんから美味しいものを食べているんでしょ」なんて言われて、もごもご口ごもったのは、ぼく、うまいとかマズイとかうるさくないし、という忸怩たる思い。
2013-05-19 06:36:31まく(9)まずいのも一つのクオリア、と思って生きていると、気難しい料理の求道者などには決してなれず(「美味しんぼ」の海原遊山みたいなタイプね)、これからも、ぼくはゆで太郎とか食べつつ、お呼ばれすると料亭のごはんも食べる、という混乱した人生を歩んでいくことになりそうだ。
2013-05-19 06:38:46