軍事ネタ定点観測2013.5.19

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Bunzo @Kominebunzo

1800年代初頭の十数年はプロシア軍にとっては長い歴史。シャルンホルストは退けられ、改革は頓挫し、紆余曲折を経て1813年になってようやく大規模徴兵制が実施される。すると革命直後の仏軍が味わった混乱が待っている。職業的兵士と徴集兵との質の差。同じ事をすれば同じ経緯を辿る。

2013-05-19 07:00:47
Bunzo @Kominebunzo

仏軍と同じ苦労を味わいながら改革を歩むプロシア軍だけれども、戦術の改革はそれより10年先に動き始める。だからどうだ、と言いたい訳ではないけれども、社会の変化よりも軍隊の変化の方が先にある、という実例。ロシア軍は言うまでもない。この辺を上手く説明してくれる解説書は少ない。

2013-05-19 07:04:26
Bunzo @Kominebunzo

国家の行く末など眼中に無い農奴からなるロシア軍が見よう見まねで仏軍に対抗できた理由を仏軍の質が消耗により低下した、ナポレオンの戦術眼が衰えた、と説明するのが一般的。ロシアの農奴軍が新戦術を実施するのは無理があったが、仏軍の軍事的技量が低下していたので何とかなった、というもの。

2013-05-19 07:08:39
Bunzo @Kominebunzo

ナポレオン最後の決戦となったワーテルローでウエリントンの英軍は応急編成の仏軍に比べて「スペイン戦で経験を積んだベテランの集団」だったか、といえば違う。英軍の精鋭兵士達はアメリカとの戦争に向けられ、兵士達の平均的な経験と技量は敵味方共に互角。改革途上で急造のプロシア軍もまた然り。

2013-05-19 07:13:23
Bunzo @Kominebunzo

質的優位が確実ではないのに英軍歩兵は仏軍騎兵の突撃を退けてしまう。「騎兵の衝撃力」が危惧されていた通りに火力で圧倒されるのがこのワーテルローの戦い。軽装甲車部隊がクルスクのソ連軍陣地に突撃するようなもの。そんな騎兵部隊には別の使い道があることは当時でも解っていた。

2013-05-19 07:20:59
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