徳川家と会津がなぜ薩長に敗れたか
@Haru_tatsumi いってみれば「未発の可能性」の塊みたいな人ですからね。私も14代将軍が彼だったら…と、ときどき妄想してしまいます。そういう話が実際にあっただけに。
2013-05-26 21:07:50なんで、徳川慶喜は、あんなにフットワークが軽かったのだろか、クレバーだったのだろうか、腐敗した幕府を目の当たりにしてきたというのもあったのだろうか。無責任とも違う身のこなしに要領を得なかったが、今回ひとつようやく分かった。彼は『藩』を持っていなかったんだ。 #八重の桜
2013-05-26 22:31:53このあいだ松浦玲『徳川慶喜』を読んではじめて知ったんだけど、一橋家って人もお金も徳川家から出てて、藩としての実体がない家なのよね。だから守るべきものはないし、いざというとき頼れるものもいない。慶喜のあの軽さはそういうところにも理由があるのかな、とも思ったり。
2013-05-26 23:35:44ついでにいうと、そういう家であるにもかかかわらず、朝廷から頼られ幕府からは厭われるという板挟み状態。でも乏しいとはいえ根拠は徳川家連枝というところにあるので、やっぱり幕府のために働かないといけない時期が長かった。
2013-05-26 23:37:30ひらたくいうと、一橋家のころケーキさんは領主じゃなくて貴族なのよね。それもバリバリの宮廷貴族。位は高く、才覚もあるけど自分でなにかを実行できる力がない。そりゃ良くも悪くもああいうキャラになるよなーという部分もあったりする。
2013-05-26 23:40:11@itzk_k なるほど、慶喜の心の拠り所がやけに「徳川家」なのは、そのせいもあるのかも。幕府に対しては「徳川家をいいように使ってんじゃねーよ!」的な不信感ありありだし。この時期に、こんなタイプの将軍が現れたのは面白いですよね。
2013-05-27 00:35:55@kumanHHH 彼の持っていたであろう資質と可能性を考えると、ついあれこれ妄想したくなる人物ですね。たとえば14代将軍候補に挙がったことがありましたが、実際にそうなっていたら幕末史はどう変化しただろう…とか。
2013-05-27 00:54:11倉山満先生の『じっくり学ぼう!日本近現代史』おすすめ