ルーマンの研究ゲーム。そして/あるいはシステム三類型論への対案。

小宮友根(2011)『実践の中のジェンダー:法システムの社会学的記述』 (新曜社) http://socio-logic.jp/em_komiya2011.php 第2章「社会システムの経験的記述*」へのコメントから出発して。 * 初出:酒井泰斗・小宮友根(2007)「社会システムの経験的記述とはいかなることか——意味秩序としての相互行為を例に——」(ソシオロゴス 31)
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縮限 @contractio

かわいそう。 “@takemita: ルーマニ屋の人に捕まったのでもう1時です(しくしく”

2013-06-12 12:57:02
縮限 @contractio

わたくしも本来的な意味における昼食へ。

2013-06-12 12:57:19

ルーマンの「社会システムの三類型」論への対案

縮限 @contractio

この問題は、結論は難しくないけど、「それをルーマンのテクストに関係付けて・どう論じるか」はけっこう難しい。

2013-06-12 14:30:25
縮限 @contractio

[A]「結論は難しくない」というのは、ルーマンが使ったシステム類型(組織と対面的相互行為)は、日常的にすでに使われていて・それを指すための言葉が自然言語の中にすでに用意されているものでしかないから。

2013-06-12 14:30:39
縮限 @contractio

これを指すためだけになら「理論的」な語彙は必要ないし、ましてやそれを「社会的システム」と呼ぶ必要もない。その意味でまず、「システム類型論は必要がない」。

2013-06-12 14:30:42
縮限 @contractio

[B] それはそれとして。ルーマンは研究手続き上の理由でも「システム類型論が必要だ」と考えていたわけだけど、それは、それ以外にやり方を思いつかなかったからだろう、と私は思っている。

2013-06-12 14:30:55
縮限 @contractio

そういう──それ以外にやり方がわからないので-そうしている──人のテクストを取り上げて、それに即して「なぜそれが不要か」を語るのは けっこう難しい(だけでなく、けっこう馬鹿馬鹿しい)。

2013-06-12 14:30:59
縮限 @contractio

それもそれとして他方、「類型論は必要だ・それがないと仕事ができない」という不安と恐怖に乗っかった上ですら、対案を出すのは簡単である。1と2を重ねてごく常識的に考えれば、

2013-06-12 14:31:11
縮限 @contractio

[a] 日常言語の中に用意されている類型的な概念にまずは乗っかって仕事を始めて、 [b] 特定の具体的な実践連関にたどり着いたら、それに定位して分析を進める中で、 [c] 常識的な類型概念のほうも 併せて(再)吟味してやればいい ・・・ というだけのことだから。

2013-06-12 14:32:10
縮限 @contractio

この手順の場合であれば、我々の「システム類型論は必要ない」という主張は、「システム概念を使うなら [b] の中で使えよ」ということを意味する。

2013-06-12 14:32:23
縮限 @contractio

というわけで、結論のほうは簡単なのだが「どうやってそれをルーマンに分かってもらうか」のほうは難しいのであった。

2013-06-12 14:32:35
縮限 @contractio

ルーマン(とルーマニ屋)が あまり真面目に考えてないのは──「ルーマン理論の援用が難しい」ことになってしまっている理由の一つをそれが与えていると思うのだが──、日常的な語彙を研究の中でどう使うか・研究実践の中でそれとどう付き合うか、ということだと思うのであった。

2013-06-12 14:41:32
縮限 @contractio

「システム」という言葉を簡単に使ってしまうことこそがまさに、それを考えることを妨げてしまっているんである。

2013-06-12 14:41:44

2013年6月24日

縮限 @contractio

三谷さん自身は、なんでルーマンはシステム概念だけで直ぐに仕事を始めずに、それに加えて「システム類型」を追加で必要とするんだと思いますか? “@takemita: …、「研究者が勝手にシステム類型を定義する」ことが排除されているわけではない…。 @frroots

2013-06-24 12:58:30
縮限 @contractio

ちなみに、酒井小宮論文も、「システムがある」テーゼそのものから直ぐに「システム類型は不要」を導いてるわけじゃないよ。

2013-06-24 12:59:49
三谷武司 @takemita

@contractio @frroots お仕事中なので大雑把に答えますと、「それっぽいやつを見つけるのに便利だから」でしょう。理論的に「必要」なわけではない。だから酒井・小宮の批判を受けて、類型を精緻化したり修正することは可能だと思います。

2013-06-24 13:07:32
三谷武司 @takemita

@contractio @frroots 「それっぽいやつを見つけるのに便利だから」をもう少しちゃんと言うと、「すでに他の人たちがいろいろ見つけてるそれっぽいやつを共通の土俵に乗せてやるのに便利だから」ですかね。

2013-06-24 13:09:02
三谷武司 @takemita

@contractio @frroots 酒井・小宮論文への私の違和感は、「類型、不要かもしれないが、あってもいいじゃない」ということと、「ルーマンの議論から類型いかんという態度は読み取れない」というに尽きます。あとは異論ない。

2013-06-24 13:12:15
縮限 @contractio

@takemita 「研究実践上、類型があると便利だ/無いと不便だ」とか、「類型論あってもいいじゃない」までなら異論はないのですよ。 @frroots

2013-06-24 13:28:14
縮限 @contractio

@takemita なので争いが生じるとしたら、「類型を、研究実践上のどこで持ち出すのか・どういう身分のものとして扱うのか」というところでありましょう。 @frroots

2013-06-24 13:30:10
三谷武司 @takemita

@contractio このへんになってくると、テクスト読みの範疇なのでいまはちゃんとお答えできませんが、「機能構造理論」なんて言い方は、理論を特定の構造規定(=類型)から解放する意図が込められたものではないかと。

2013-06-24 13:42:49
縮限 @contractio

私が ここにこだわるのは、ルーマンが、システム類型を、単に「便利なもの」である以上のものとして使っているように見えるからです。

2013-06-24 13:34:31