岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』感想
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誰かの声ではない、自分の声で再生される(ことを強要される)べき言葉。ということか、つまり。詩の言葉なんだろう。そういう意味では暴力。(詩的なもの、は最も詩から遠い、って誰かが言ってた)
2013-06-19 21:59:32戯曲販売してたが、戯曲で読んだほうがスリリングだろう。できたら製本された状態で読みたい。そういう、完全に作演出としての手を離れて取り戻すことのできないところまで提出したときに、最も迫力のある言葉になる。ように思えてならない。
2013-06-19 21:52:20『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』振るわれた暴力にたいして振るう(様々な)暴力、として見るとモノローグを積み重ねる手法は筋が通っていると思ったが、夥しい言葉のほとんどは頭に入ってこなかった。俳優の態度だけが記憶に残ってる。
2013-06-19 21:42:11岡崎藝術座。詩のような長台詞を語る女優のエモーショナルな姿に打たれた。描かれているものは結構エグい。エピソードは断片的で、ストーリー展開のようなものも特にないので、観ていてぼんやりしてしまう瞬間も。だが印象に残るシーンも多く、感性を刺激される感じ?こういう感じが好きな人は多いかも
2013-06-19 21:25:34岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』観劇。アガサ・クリスティの処女戯曲『ブラック・コーヒー』から想を得た作品だという。少女誘拐監禁事件を軸とした展開。原作のストーリーから原爆などのエッセンスを抜き出したようだ。バラバラなエッセンスはバラバラなまま提示される。
2013-06-19 21:20:02岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』フリースペース楽間。(そういう激しい音楽を聴く嗜好はないんだけど)パンクとかメタルとか聴いてヘドバンしたくなる気持ちはこういうものかと。
2013-06-19 21:14:42と、北品川フリースペース楽間にて、岡崎藝術座「(飲めない人のための)ブラックコーヒー」を観てきた。舞台らしい刺激ある作品でした。内向する嫌~な今に穴を穿つようで、明るく開放された気持になれた。ポジティブな舞台だった。
2013-06-19 16:53:10岡崎藝術座「(飲めない人のための)ブラックコーヒー」観劇。時間があったら、また観に行きたい。テキストが、凄かった。制約のなかで、言葉の自由度を無限大にするために、爆発させる方法。身体表現には、着エロみたいな品があった。
2013-06-19 16:12:20昨夜観劇した岡崎藝術座「(飲めない人のための)ブラックコーヒー」を引きずっている。女は〈女〉になる(男も〈女〉になる)が、「〈女〉である前の女」という場所が暗闇になっている。『アクロイド殺し』なども援用する前提で薦めたアガサ・クリスティ原作だったが、想像以上のケミカルが起きていた
2013-06-19 03:34:53(承前)悪意を周縁から描くためのモチーフを並べることで、ちゃんと真ん中にあるものを浮き彫りにすることに成功していたと思う。神里が陥りがちな、寓話的な道化では、なかった。それはとても醜くわたしは目を覆いたくなるほどだったが(その光景が見えた気がしたのだ)表れ方は美しいものだった。
2013-06-19 00:36:24岡崎藝術座の前作については、F/TBlogで書いたとおりで、相当粗い記事なのでリンク貼るのはずかしいけど、貼ります。で、そのとき私は要するにモチーフ同士の横断だけでは深読みしかできない、と書いたのだけど今回の作品は(続) http://t.co/QQPE3Usu6a
2013-06-19 00:31:55岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』続き。俳優たちの身体が遠隔でつながって一連の動きになる一体感。でも、そこからどうしても生じるずれに、引きつけられてしまう。露悪が露悪の必然性をもって口をあけているときは、不快さより畏れの気持ちになるのだと思った。
2013-06-19 00:22:35前作『隣人ジミーの不在』にはもっとモラル的なメッセージがあって、それが心を打ったんだけど、今回はたぶん善悪の彼岸を超えようとしてるからそれはない。でもこの語りには可能性があると感じる。塀に囲まれた土俵を抜け出ることができるかもしれない。
2013-06-18 20:29:12白でもなく黒でもない。反対側から見れば色も変わる。だけどヘイトスピーチはあるし幼女誘拐も起きている、実際この瞬間も何人何十人何百人の少女たちが監禁されているだろう。事実は消せない。正義では対抗できない。手をこまねいて見ていたくもないけど何もできない。まずはぬかるみを進む。続
2013-06-18 20:26:05「当事者」が不在なのだ。すべては噂でしかない。だけどその書き言葉&話し言葉のぬかるみから時々チクリと残る言葉がぬっと現れ、性と暴力にまみれた闇の世界が現実のところまで立ち上がってくる。忘れることができない。が、不思議とイヤな気持ちはしない。続
2013-06-18 20:21:47これまでは神里雄大の見た日本、アジア、世界、みたいなところがあったけど、今回はテクストが謎のひろがりを見せていて(ぬかるみ)、凄まじい解像度の高さとテキトーさとが渾然一体となっている。続
2013-06-18 20:15:21何を言っても即座に価値が貶められ無効化される、とゆう日本の状況にあって、神里雄大の書く言葉とそれを具現化する俳優たちは、今回、ぬかるみのまま進んでいくような感じで、そんなにあっさりとは足をあげない(それは罠だ)、でも案外ぬかるみを歩くのも気持ちいい、みたいな。続
2013-06-18 20:12:17岡崎藝術座にとっても、演劇にとっても、過渡期的な作品だという感じがとてもしてますが、観ていてほんとに「あ、いま渡ってる……」という手応えを感じて、そのことに今すごくワクワクしています。続
2013-06-18 20:08:49観ながら、あー、岡崎藝術座が居てくれなかったら自分はとっくに演劇から放擲されている(興味を失っている)かもしれないと思った。とあるシーンでちょっと涙したんだけど、よく考えたら馬鹿馬鹿しいシーンなので「なんなんだ!」みたいな気持ちになった。続
2013-06-18 20:04:44ゆうべ観た岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』についてとてもとても語りたいのですが、目前の締切に追われています……。あ、でも今朝帰ってきて眠る前に戯曲読み返しちゃった。文字通り飛ぶように売れていましたね、今回の戯曲。続
2013-06-18 20:00:27北品川フリースペース楽間にて、岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』。大問題作(笑)と呟いた時に、それを受けてオレは擁護しなくてどうする、と思わせてしまうのが岡崎であるから本当タチが悪い。にしても、毎度思うが見終わった後の清々しさは魅力的ではある。ただ、とも思う。
2013-06-18 17:58:04岡崎藝術座『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』は、これまでひとりの(神里氏の)声を複数の身体でしゃべり続けてきたような作品とは一線を画す。衝動、饒舌、身体の揺らぎの順序が奇妙で、音楽によって空間も歪められて、血が凍るような思いをした。両性具有、渾然一体という感じ。(続くかも
2013-06-18 15:35:17昨夜は岡崎藝術座を観たのだけれど、会場のある北品川のあの辺り、かなり魅力的。ちょっとゆっくり探索したいなあ。
2013-06-18 08:37:43