鳩森神社の富士塚は「現存する都内最古の富士塚」ではない
【お知らせ】世界文化遺産登録が決まった富士山ですが、実は渋谷にも富士山があります。千駄ヶ谷の鳩森八幡神社にある富士塚は、富士信仰が流行した江戸時代、登拝できない人のために作られたミニ富士山で、都内で現存する最古のもの。実際の富士登山と同じご利益があるとのことです。(広報課)
2013-06-25 14:26:19@city_shibuya はじめまして。都内に現存する最古の富士塚は新宿区西早稲田にある、いわゆる高田富士で、移築はされましたけど(富塚富士などと呼ばれている)、石碑類はまだ残っています。確かに鳩森神社の富士塚も古いのですが、最古最古と強調するのはいかがなものかと思います。
2013-06-26 07:24:06渋谷区の公式で鳩森神社の富士塚が「都内に現存する最古の富士塚」だというので噛みついてみた。都内最古の富士塚は安永八年(1779)のいわゆる高田富士。鳩森神社のは寛政元年(1789)。しかし、高田富士は昭和になって、敷地が早大に買収されたため、そこにあった神社ごと移築された。
2013-06-26 07:32:09話がこじれるのはそこから先で、敷地の主である高田水稲荷が、富士塚を祀っていた地元の富士講・丸藤宮元講社の反対を押し切って話を決めたので、講社がへそを曲げてしまったわけ。
2013-06-26 07:38:59だから移築しても講社は落成式にも参加せず、絶縁しちゃった。確かに、今残っている写真から知られる高田富士の旧態と現在の容態はかなり違うので、なんだこりゃと思われたであろうことは想像に難くない。
2013-06-26 07:41:39更にそれを見ていて憤激したのが、宮元講社に出入りしていた富士講研究家の岩科小一郎さんだった。岩科さんは手ごろな年下の井田清重先達(故人)と仲良くしていて、一部始終を見ていたものだから、「金で頬を張るような交渉に神社側が屈してしまって」と罵った。
2013-06-26 07:47:45岩科さんは『富士講の歴史』で名を上げたけれども、明治生まれの人だけに偏見も少なからず持っていて、「富士講の参加が無い富士塚なんて富士塚じゃない」といって、元の敷地に建てた早大の校舎で死人が次々と出ているみたいな陳腐な怪談を持ち出してまで、早大や高田水稲荷をくさしたんだよ。
2013-06-26 07:53:30その辺の憤激は常民研の報告書『富士講と富士塚』(日本常民文化研究所、1978)に書かれている通りなんだけども、高田富士の石碑類は今も「移築」と書いたように残っていて、例えば駐車場にするからと潰した深川八幡宮の富士塚みたいに跡形も無いわけではない。
2013-06-26 07:58:45一旦ばらして組み替えただけのものを、跡形も無くなったように言うのは事実に反する。富士講の参加が無いから富士塚とは言えない、というなら、現代の富士塚は修理した時点でもう富士塚ではないという理屈になる。お守りしている富士講が残っている富士塚はそう多くないから。
2013-06-26 08:01:35形は変わっちゃっても残ってる以上、富士塚は富士塚であって、それを「富士塚もどき」というのはどうかと思う。あと、富塚富士というのもどうかと思う。富塚というのは、高田水稲荷の境内にある別の稲荷塚なんだよ。それを混同している人はネットにもツイッターにもいる。
2013-06-26 08:04:47井田先達が亡くなって、丸藤宮元講社と高田水稲荷は和解したと聞いている。泉下の岩科さんが見たらどう思うかは知らないけど、今、『富士講と富士塚』を読むと岩科さんは大人げないなあと思う。
2013-06-26 08:08:32ともかく、鳩森神社の富士塚が都内に現存する最古の富士塚であるというのは、正しくない。まだ高田水稲荷に移築したものが残っている以上、デマの領域。
2013-06-26 08:09:43