山本七平botまとめ/「輸入の論理」と「不文律の慣習法」との狭間で始末の悪い二重基準に陥った日本

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第三章 指導者とその時代/輸入理論のやっかいな処理法/100頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【輸入理論のやっかいな処理法】この結果生じた前述の民法典論争については、他に詳述したので再説しないが、本書の第一章を読まれた読者は、これが、当時考えられたよりも、はるかに大きな問題であることを了解されるであろう。<『存亡の条件』

2013-06-04 17:57:53
山本七平bot @yamamoto7hei

②たとえば「ババタの書類」である。 これは、確かに、先妻・後妻という二未亡人の「女のいくさ」であり、この種の問題は昔も今も日本にも外国にも数多く存在する。 しかし、そのことはその「いくさ」が同じ文化的形態だということではない。

2013-06-04 18:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

③二千年前のエジプトですら、結婚・離婚は契約の締結と解消であり、その契約の存在を認証するのが裁判所であって、従ってもし契約に疑義がある場合は、裁判所もしくはそれと同じ機関――ババタの場合はペトラのローマ総督府――に訴えて出るのが当然であった。

2013-06-04 18:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

④いうまでもなくこれは今でいう「民事訴訟」であって「裁判官」とは文字通りの「審判(ジャッジ)」である。 これらの伝統的文化様式を、条文化したのが西欧民法であり、それは彼らにとって、基本的には、先祖伝来のあたりまえのことが、あたりまえの形で体系化されたというにすぎない。

2013-06-04 19:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤ところが、これを翻訳して日本に輸入して本当に強行すれば、出てくるのは混乱だけである。 ところがいわゆる民法典論争は、以上のような点までさかのぼって論じられたわけではなく…反対している方の反論にも、今から見ればまことに的はずれの議論がある。

2013-06-04 19:58:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥しかし彼らが何となく感じていた、「このような二重の基準(ダブル・スタンダード)」が日本をどこへもっていってしまうであろうかという不安は、正当な不安だったといわなければならない。

2013-06-04 20:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦しかし困った事に、日本側に、日本は古来、かくかくしかじかの慣習法のもとに生きており、それを体系化し条文化すれば、このようになると明示し得る資料がない。 従って基本的には対比はできないが、何やら奇妙で不安だという形にはなる。

2013-06-04 20:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これは、単に民法だけでなく、明治におけるあらゆる問題に出てくる。 その基本型は、一方は輸入の論理で相手を論破しようとする。 しかし、この輸入の論理には「ババタ以来二千年」といった根があるわけでなく、従って、この論理を駆使している者の根は、実は、日本の伝統的文化なのである。

2013-06-04 21:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨しかしこれに対抗する者は、自分の方に論理がないから、相手に反論できない。 従って、簡単に一方的に論破されて沈黙させられるが、納得も承服もできない。 これは、知識階級から庶民に至るまでがもった、偽らざる印象であった。

2013-06-04 21:57:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩「机上の空論」 「口舌の徒」 「三百代言」 といった一種の蔑称は、この感じをよく表している。 以上の事が示すように日本側に明確な「モーセ律法」がなかった事が、はじめは、その衝撃をゆるめる作用をした。 従ってそれを進歩と信じ、それをとり入れようとする者が指導者であり得た。

2013-06-04 22:27:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪従って争って積極的に「外装」をやり、それが内部に浸透しない間は問題はなかった。 しかし、ここで問題なのは、その外装を「進歩」と考える明治的発想である。

2013-06-04 22:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫四つ足を食べようとババタのまねをしようと、それは、先方にとっては有史以来の事、日本の歴史以前に由来する事で、それを固守する事は、いわば徹底的な保守である。 それをとり入れる事は、いわば文化混交を招来する事であっても、それ自体は「進歩」「保守」とは関係なき事である。

2013-06-04 23:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬それを明治のように 「頑迷固陋・保守反動」は悪、 「文明開化・進歩進取」は善 と規定すれば、まことに始末の悪い二重の基準になる。 これはイスラエルのように、外来のヘレニズムを悪としつつ、これを受け入れたのとちょうど裏返しの形だが、その作用の仕方は非常に似てくる。

2013-06-04 23:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭しかもここで接触しはじめた二文化を調整しようとしても、どこでどう調整してよいかわからなくなる。 日本の元来の基準が明確でない上、「志士=社会主義者」的混乱があるから自分で自分を把握できなくなるという致命的な欠陥が出てくる。

2013-06-05 00:27:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮確かに日本人も、明治期にこの問題にある程度は気づき″口伝″によって両者をつなごうとはしていた。 だが自分の方の実体が明確でなく、先方の根を理解しないから、つなぎようがない。

2013-06-05 00:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯従って伝統と外来をつなごうとした戦前の″ファリサイ派″は、ただただ何かを不当と感じ、それを何とかしようとしているのだが、そのこと自体を明確に「言葉にして」解明し体系立てることができなくなり、いたずらにただ憤激している。 これが、ユダヤ人が迎えたよりもっと厄介な問題となった。

2013-06-05 01:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰そこへ大きく作用したのが「教育勅語」だが、それを解明するには、まず天皇制に触れなければならない。

2013-06-05 01:57:56