- teruteru41
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若いフリッツ親父に 「そういえば兵隊王は~~~~。」 なんてうっかり語ってトラウマえぐって嫌われたりとかもあったんだろうなあ。
2010-09-22 12:27:28@taskun お話聞きたいです!フリッツ親父は兵隊王にトラウマ植え付けられまくってるんで、兵隊王の事を気に行っているであろう普は許せないだろうなあとか思ってます!
2010-09-22 12:31:18フリッツ親父の事調べてないから想像しかできないのだけど、兵隊王の残した巨人兵を解散させたのは父親への反抗心が多大に働いたのだと思う。相手がこの世から消えて漸く表に現れた憎しみかなあと。
2010-09-22 12:35:49普国の家臣達は代替わりの時にどんな風に騒いだのかも気になる。兵隊王の側近とかがそのままフリッツ親父に使われたのか、それとも解雇されたのか。
2010-09-22 12:38:28@teruteru41 あ、入れ違いで離脱してしまわれたw 少し調べていただけでも、フリッツ即位直後の軍隊は当然兵隊王の時に取りたてられた軍人ばかりで、将軍レベルの人は特にフリッツより20、30も年上の人ばかりです。大臣とかもそうでした。
2010-09-22 13:10:03今分かる名前だけでも、デッサウ老公、シュヴェリーン、カルクシュタイン、フィンケンシュタイン、ポデヴィルス、ブッデンブローク、グスタフ・アドルフ。皆フリッツより相当年上だと…。即位直後限定の偏った知識だけども。
2010-09-22 13:27:45兵隊王は国のために色々なことをやったけど、国民に恐れられていたっていうのも考えると、プーがただ慕っていたとはだけとは考えられなくて、なんというかこう、複雑な感情で。でも、自国民(兵)を殺した数としては云うまでもなくフリッツの方が多いので、その辺でまた色々と。
2010-09-22 13:35:47しかしフリッツはフランス語で喋っててプーはドイツ語で、フリッツは『我が時代の歴史』なんて書きながら、でもそれはフランス語で執筆されていたっていうのがなんかこう物悲しい。
2010-09-22 13:47:35@taskun 私も現代史ばかりやりながらも、兵隊王とフリッツ親父の確執と普とフリッツ親父の確執とを絡ませて妄想しているのでそのへんすごく楽しいです…その両方のわだかまりが兵隊王の死のあたりから解けていくと考えるのがまた…
2010-09-22 13:53:19@Gottes_Garten 気になりますよね!なんだかフリッツのことを調べてても、すごく兵隊王の影響が感じられるので、その辺でこう、三人の間のフクザツな関係が…。
2010-09-22 14:05:56@taskun なんだかんだでフリッツ親父も兵隊王の影響受けてますよね…!そこがまた面白い…血は争えないというか…それに兵隊王の軍隊は他国からお飾りだとかおもちゃのように言われてましたが、フリッツ親父はがっつり戦いのために使ったというところもいい…思いのほか血気盛んです…
2010-09-22 14:09:33@Gottes_Garten 経歴見てると、オイゲン公麾下でスペイン継承戦争とか?に参戦してたり、兵隊王がコレクション的に色んな国からスカウトしてきたベテランが結構いるように思います。酷かったのは馬も人もでかかった騎兵連隊で、モルヴィッツの戦いで墺さんちにボコボコにされてるw
2010-09-22 14:34:49@taskun 私、そことっても不思議なんですよね。自国に誇りを持って、強国にするぜヒャッハー!と日々奮闘してるのに何故敵国の言語を話すのでしょう。セツナス・・・やはりフランス文化の影響が絶大すぎたのか
2010-09-22 14:50:07@hinoko39 やっぱり当時は最先端がフランス語だからなんでしょうかね…?フリッツはフランス語で書いた文書で部下に指示を出してましたが、それをアイヒェルとか秘書がドイツ語に訳してたみたい。天皇とか宮中が京都弁で、国民が標準語とかそういう感覚かも??
2010-09-22 14:59:49@taskun うーむ、フランス語に劣等感でも抱いていたのかしら。プーと親父の会話が急に意味深なものになってきましたな。秘書も通訳して頒布とは大変ですね。京都弁と標準語ならなんとなく意味はわかるけど・・・
2010-09-22 15:02:40@taskun 兵隊王が残してくれた軍隊は実践ではちょっと…て感じだったようですねぇwそれで他国に馬鹿にされていたわけですが、「プロイセンは撃ってこないさ」を覆そうとしたフリッツ親父のガッツは少々意外な印象としてうつります。それが見受けられたからこそ父王も認めてくれたのでしょうが
2010-09-22 15:08:19