山本七平botまとめ/西欧社会の「対立」と日本社会の「分立」/~人間を「悪人・善人と分けて把握することを禁じたキリスト教国」と「善人・悪人に分けて把握する日本」~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第五章 直線と回帰/〈一〉をして〈一〉ならしめる概念/144頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【一〈いち〉をして一〈いち〉ならしめる概念】われわれはここで、もう一度、別の面の「西欧的なるものの根」を追究しなければならない。<『存亡の条件』

2013-07-09 14:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

②千八百年の昔の、無名の一未亡人ババタを「規制」していたもの――そしておそらく彼女にとって、それ以外に生きられず、それ以外の生き方があろうなどと夢にも思わないほど徹底的に自明であったその生き方の基本となっている考え方の基本は何であろうか。 それは、「対立」である。

2013-07-09 15:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

③彼女は自と他が対立するのは当然の世界に住んでいた。 だがこの対立は、必ずしも敵対の意味ではない。 結婚と同時に契約を結ぶ。 契約は「一体」でない事が前提であり、従って契約とは対立が基本である。 この対立はいわば契約に基づく平和的対立ではあるが、対立である事には変りはない。

2013-07-09 15:57:52
山本七平bot @yamamoto7hei

④では一体、「対立」とは何であろうか。 これは「一つの概念」であり、従って一つの対象を対立概念で把握するということは、あくまでも相手が「一」であることを前提としている。

2013-07-09 16:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤いわば、「男女という対立概念で把握できる一つの対象」が夫婦なのであって、離婚すれば別々の男と女であっても、「男女という対立概念で把握できる一つの対象」ではなくなってしまうわけである。

2013-07-09 16:58:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥そしてそれを一つの対象たらしめているのが契約であり、彼女の生き方は、全てこの考え方をもとにしている訳である。 分立はもちろん対立でない。 同時に、一人格であれ一集団であれ、それが「一」としての実体を現実に把握できるのは、それが「対立概念」で把握できる場合だけであって、(続

2013-07-09 17:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦続>その対象が対立概念で把握できなくなれば、その「一」の実体は消え、もし存在するように見えるとすれば、それは虚構にすぎない、 これが彼女の夫婦観にある基本的な考え方である。

2013-07-09 17:57:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧この言い方は抽象的で…ややこしいので、ここで別の例を示そう。 例えば国会である。 「国会は国の最高機関であり唯一の立法機関」と定められているから日本には国会は一つしかない。そしてこれを構成する議員は平等であり各人の権利・義務一切に差別があってはならない。これは当然であろう。

2013-07-09 18:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨だが、この国会が、国会として実在し得るには、これが与野党という対立概念で把握できる状態であらねばならない。 与野党とは、勿論、その時々の状態で絶えず変わりうるのが原則(日本の実状は必ずしもそうではないが)だから、これは分立でもなければ、二つの国会が存在するわけでもない。

2013-07-09 18:57:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩国会はあくまでも一つであり、その決議は国会の議決である。 しかし、国会が一つだからといって、もしこれが、与野党という対立概念で把握できない状態になったとしたら、それは、ナチの国会同様に、虚構の存在であって、実質的には存在しないものになってしまう。

2013-07-09 19:27:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪これは言いかえれば、 与野党という対立概念で把握しうる限り国会は存在するが、もしこの対立概念で把握し得ない状態になったら、国会は実質的には存在していないことになる、 ということである。

2013-07-09 19:57:56
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫日本ではこういう状況が、例え限定符つきでも一応存在しているのは国会だけ(?)だから、国会を例にとった訳だが、歴史的に見れば対立概念で対象を把握する事が政治に反映して議会制度というものができたのであって、議会ができたから、以上のような考え方を要請される事になった訳ではない。

2013-07-09 20:27:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬いわば、すべてを対立概念で把握するという状態が、政治の世界にもち込まれて、それが制度化されたというだけのことである。

2013-07-09 20:57:58
山本七平bot @yamamoto7hei

①【〈あれか、これか〉以外の対象把握法】この考え方は、基本的には、人間を対立概念で把握するということであり、これがいわばキリスト教国の基本的な把握の仕方である。<『存亡の条件』

2013-07-09 21:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

②人間は、例えば、善悪という対立概念で一人の人を把握しているとき、その人はその人間を把握している。 だがこのことは、人を、善人・悪人と分けることではない。 もし人を、善人・悪人に分類してしまえば、それは、その各々を対立概念で把握できなくなってしまう。

2013-07-09 21:57:57
山本七平bot @yamamoto7hei

③善人も悪人も、実在しない虚構の人間であり、従って、人をそう分ければ、人は人を把握できなくなる。 これがいわば分立と対立の違いだが、日本では常にこれが混同され、この二つの違いが明確に意識されていない。 新約聖書は、人間を悪人・善人と分けることを厳しく禁じている――

2013-07-09 22:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

④そして、人はあくまでも一人格であり、かつ、その一人格を善悪という対立概念で把握しているとき、それは生ける一人格を把握しているとするのである―― ちょうど前述の国会の場合と同じように。

2013-07-09 22:58:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤一体この考え方は、どのようにして出て来たのであろう。 一応ここで――これは相当に大ざっぱな仮説だが――人間の基本的な対象把握の仕方を三つに分ければ、 セム的な一、 インド・アリアン的な多、 同時にイラン的な二、 という形にも分け得るであろう。

2013-07-09 23:27:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥「セム的一」とは通常 「一神・一予言者・一経典・一裁定者で、歴史の進行は一方向、すべては一回きり」 の世界と規定できる。 この世界には、回帰・復活・再来・化身といった考え方は皆無である。

2013-07-09 23:57:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦彼らがなぜこう考えるに至ったか、 その検討は別の機会に譲るが、現在ではこの基本図式は、西欧よりもむしろイスラム圏に明確に現れているであろう。

2013-07-10 00:27:39
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧一方「インド的多」とは、多神・多元・回帰・転生の世界である。 ここでは「歴史が一方向に進む」という意識はなく、人間はあくまで、自己の生死の循環で捉えられる。

2013-07-10 00:57:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨即ち、自己を、歴史的過去と歴史的未来の間にある者として捉えず、自己の地上の生涯の前後、いわば自己の生前・死後という形で捉えている。 従って世界は、すべての人がそれを見ている数だけあってよく、あらゆる対象は「多」であって当然である。

2013-07-10 01:27:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩我々は、ヨーロッパ人が元来はインド・アリアン民族であり、キリスト教が入ってくるまでは多神教の世界に住んでいたことを忘れがちであるが、彼らには、今でも、あらゆる面で、この「一」と「多」、「歴史の一方向への進行」と「自己の生前・死後により把握」とが併存しているのである。

2013-07-10 01:57:54