岡崎乾二郎さん「多木浩二さんのことをいろいろ考える。」

「日本写真の1968 - 東京都写真美術館」を見たあとの、岡崎さんの回想です。
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

「日本写真の1968 - 東京都写真美術館」 を見る。出たら涼しくなっていた。多木浩二さんのことをいろいろ考える。

2013-07-15 19:10:43
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

多木さんの読者となりゼミを受講するようになったのは1977年の頃だったけれど、当時の多木さんは膨大な知識を動員して文化現象を読み解く碩学として現れた。当時の生意気な学生はこの迷宮に溺れつつも、多木さんが最後にきっと洩らす一つの問に狙いを定めていた。

2013-07-15 19:53:38
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)いわば日常の細部に至るまで網の目のように張りめぐらされた、この無意識化した(不可視の)無数のコードのネットワークをくぐりぬけ、唐突に「コードなきメッセージ」が現れる、コードそのものを改変し、意味作用そのものが生産される場面、それは何かという問い→

2013-07-15 20:01:18
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)多木さんに毎回学生が聞く「それは何か?可能?」という問は不躾だった。日常を構成する細部(事物)への注目は、細部が、日常という自明性の全体に穴を開ける可能性あるゆえだったが、膨大な知による解読作業はその可能性をいちいち潰し、無自覚だったがコード化された欲望を発見していくのみ→

2013-07-15 20:17:01
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ごはんを食べた(続き→)コードなきメッセージ、は勿論ロラン・バルトの言葉。これをどう解釈するか、どう解いてくれるか、がその当時の多木さんのゼミをとるもの、テクストを読むものにとっては当然、いちばんの関心どころであった。→

2013-07-15 20:41:07
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)例えば、ときに写真は見たこともないものを見せる。それは主観が外部と出会う経験と似ている。がその逆説は写真に「何かを発見した」は主観に生じた出来事であり、その原因を例え、外部対象に確かめることはできようと、それを客体的に(対象の属性として)位置づけることはできないということ→

2013-07-15 20:44:07
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)バルトにとってコードなきメッセージとは外部対象ではなく対象を経由して行われる自己再帰メッセージだろう。がここに意味作用全体を揺るがす亀裂=差異が忍び込む。私たちは自分の極私的な(自覚もしなかった)関心が対象としてそこに現れてしまっている=存在する。のに出会うのである→

2013-07-15 20:50:29
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)多木さんの「生きられた家」の思考は、まさにこのような回路と繋がっていたように思える。そこで家は、誰にとっても客体的にあるものではなく、それぞれにとってのみは、確かに客体的で外部の対象として(主観に決して回収できず、自らに対峙するものとして)存在するものだった→

2013-07-15 20:55:46
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)そこで対象とは幽霊(に出会う経験)に近い。幽霊がたとえ対象として定位しがたく定位すれば必ずフェイクだと見なされてしまうとしても、その人にとって出会ったという経験=出来事があった事実は疑いようがないのである。つまりその出来事は明らかに主観の外である。つまりゆえコード化できない。

2013-07-15 21:02:59
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)写真とは画像(対象)として自律(独立)しえない。写真を自律させようと試みても、その試みには写真家(鑑賞者)の視線(身体)が循環的に必ず巻き込まれてしまうのである。問題はこの回路である。「生きられた家」は、写真論が建築論より理論的に先行していたことを示しているとも思った。

2013-07-15 21:29:07
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)あえていえば、きちっと対応する仕事をしているのはアルト・ロッシくらいかも知れない、とも思った。いうまでもなく「生きられた家」は、ずっと後にでたヴィドラーの「不気味な建築」にはるかに先行していたともいえよう。けれど、→

2013-07-15 21:31:20
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

確か眼の隠喩には、コードなきメッセージの例として(手元に本がないので正確な引用できず)、南北戦争の頃の写真家サリヴァンが撮影した http://t.co/TtgZHS7AC7 シェイ渓谷の先住民の遺跡。これについての多木さんの分析は無条件に「自然」(たしか)力の発現と…

2013-07-15 21:37:03
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)正直いって戸惑った。多木さんはあきらかに「崇高」という概念に近接させ説明しようとしている。コードなきメッセージを「崇高」の論理に近接させ解釈してしまうのは生産的だといえるのだろうか? もう80年代に入りつつあった。

2013-07-15 21:41:26
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)僕はこのような推移のなかで、多木さんの、理論を超えた(コードから外れた)(が身体の政治として、容易に外せない)「好み」というものが、現れつつあるのを感じるようになった。

2013-07-15 21:47:02
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承) で、日本写真1968 を生きられた写真1968、あるいは1968 写真は生きられた」と鑑賞。68年確かに写真は客体=対象でなく、生きられない限り、対象としても像としても現象しないと自覚された。それは存在しない。が写真を撮るとその幽霊=主観は客体として無様な姿を晒すのだ。

2013-07-15 21:59:43
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

昨日、多木さんの「生きられた家」に対応しアルト・ロッシを想起と書いたが、忘れてたが、プロヴォークの仕事に建築で対応していると考えていたのは、むしろベルギーの建築家ルシアン・クロールだった。

2013-07-16 13:59:00
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

http://t.co/pAJswLRZwI  http://t.co/cUYDvDpE8f ←例えば後から開けられたような、この窓。 この窓を見るとこの建築はこの建築でなくなる、すなわち突き刺す(プンクトゥム)。http://t.co/1n954sqqfS

2013-07-16 14:06:37
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)クロールは後のマッタ-クラークの仕事を遥かに組織的に集団で(肝心なのはゆえにクラークができなかった作者不明のものとして)徹底した。建築の総体としての相は姿を失なう。建築はその都度それを見る人間に生きたもののように対峙し立ち現れる(生きられる)。バリケードがそうであるように。

2013-07-16 14:18:16
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)けれどクロール→マッタ・クラークの線は無論、クロールに多木さんが興味を持つことはなかった。クロールが68年のoccupyが生んだ建築における最も生産的な理論だと考える人は少なかった。としてもここを外して(飛ばし)八十年代にキーファーの崇高、へ向かう多木 さんには戸惑った。

2013-07-16 17:23:55
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)クロールの仕事は、ハーバーマスが言及した所為もあり、所謂、対話的な(素人たちによる)コミュニティハウジングの事例と見なされるようになっていた。けれど窓に斜めに角材を立てかけるだけで建築という全体像に穴があく、と管木志雄さんが考えたように接続するラインはいくらもあった。

2013-07-16 17:31:32
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)共同体的なものに回収されてしまうことについての徹底的な嫌悪は共感できた。(がクロールの方法こそそうだったのに!)77年に多木さんはゼミでマリオ・プラーツを取り上げた。→

2013-07-16 17:38:06
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承)すでにマリオ・プラーツの生活をモデルにした、ヴィスコンティの「家族の肖像」が数年前に公開されていた。それ以来、この映画の老教授の姿に、多木さんの姿が、重なるようになった。

2013-07-16 17:42:03