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「信じる」とは何か

「信じていたのに裏切られた」という言葉は、本当に信じていたのだろうか?自分の期待通りに動いてくれなかったという意味なら、「期待したのに」と言うべきではないか。「信じる」とはどういうことか、何を信じることができるのか。考えてみた。
心理 信じる 順序 信念 期待
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shinshinohara @ShinShinohara
「信じる」という行為のことを、ずっと考えてきた。「あいつのことを信じていたのに、裏切られた」と愚痴を言うことがある。その場合の「信じる」とは「相手が思ったとおりに動いてくれると期待する」という意味である。それなら「期待していた」といえば済むことだ。ならば、信じるとは何だろう?
shinshinohara @ShinShinohara
ある時知人にだまされて、ある宗教団体の車座の中に放り込まれたことがある。そのとき、「あなたは何を一番信じるのか?」と問いただされた。何を答えても「それは間違っている」とやりこめられそうな予感がした私はとっさに「信じるという行為に順序があるんですか?」と反問した。
shinshinohara @ShinShinohara
「たとえばあなたが差し出したこの湯飲み、存在すると信じるしかない。デカルトの言うように神様か何かが脳に幻影を見せている可能性もあるかもしれないが、湯飲みがあると信じて茶を飲むしかない。もし湯飲みの存在が信じられないなら、あなたの存在も信じられない。信じることに順序も優劣もない。」
shinshinohara @ShinShinohara
とっさに出た言葉だったが、「信じることに順序はない、信じるか、信じないかだけだ」というのは、今でもそう思う。信じたら信じて終わり。信じないのなら信じずに終わり。「強く信じる」「弱く信じる」などと強弱をつける場合は、「期待する」という言葉に置き換えた方がよい。
shinshinohara @ShinShinohara
その意味で、私は人が自分の期待通りに動くとは信じない。その人の都合や感情で裏切らざるを得ないことは多々あるからだ。ただし私は、人を信頼する姿勢を大切にすることに決めている。人は信頼されると、その信頼に応えたくなる心理が働くことを「信じる」からだ。
shinshinohara @ShinShinohara
人間はすぐに怠けたがるし、ウソをつくし、ズルをする。期待通りに動いてくれるとはとても思えない存在だ。しかし、愛されたい、認められたい、期待には背きたくない、困った人がいると手助けしたくなる、という本能的な面白い性質を持つことは信じてよい。疑う必要もない。
shinshinohara @ShinShinohara
「信念」という言葉は良い意味で使われることが多いが、オルテガは「信じ込んで疑わない固定観念」の意味で使用する。確かに信念にはそうした側面がある。信じていることが実は間違っていることもある。否定されると腹が立つし、相手を攻撃したくなる。「信念を曲げない」はよいことなのかどうか。
shinshinohara @ShinShinohara
生きて行くには「信じる」しかない。こうしてパソコンを前にしてつぶやくことも、そうする自分が実在することを「信じる」ことで成立する。信じるとは「信じることに決めた」ということだとも言える。疑おうと思えばいくらでも疑えるが、とりあえず信じることに決める。その程度のことかもしれない。
shinshinohara @ShinShinohara
「信じる」とは「疑おうと思えばいくらでも疑える仮説を、当面は正しいとみなすこと」かもしれない。明日になればリンゴは空に向かって飛び、ニュートン力学が成り立たなくなるかもしれない。しかし明日もリンゴはきっと地面に向かって落ちるだろう。その仮説はとりあえず正しいと信じるしかない。
shinshinohara @ShinShinohara
最も確からしいと考えられている科学でさえ、「今日起きたことは明日も起きるだろう」という再現性が成り立つという仮定がある。明日、リンゴが空に向かって飛べばニュートン力学は否定される。この世は再現性があるおかげで科学は信じられる。科学も「仮説」の集合体なのだ。
shinshinohara @ShinShinohara
「信」という字は「言葉の人」と書く。ならば、もし人を信じると言うことが成立するならば、それはその人が「言葉通りに行動する人」だということだろう。言行一致は非常に難しいが、「信じられる人」という言葉が成立するとしたら、そのときだけなのだろう。難しいが、そうありたい。

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