「私をとりまく世界」トーキョーワンダーサイト渋谷にて今週土曜から。僕の作品は井出賢嗣くんのためのインストラクションです。それに対する彼の応答が展示されるはず。 http://t.co/8JRj1lEuUM
2013-07-09 18:31:28【TWS渋谷】「私をとりまく世界」展:7/14(日)15:00~アーティスト・トーク開催!出展作家がレジデンスでの滞在制作や今回の作品について話します。出演:池田剛介、井出賢嗣、スッティラット・スパパリンヤ、奥村雄樹(skype)
2013-07-12 16:46:30よろしくです!"@TokyoWonderSite: 【TWS渋谷】「私をとりまく世界」展:7/14(日)15:00~アーティスト・トーク開催!出展作家がレジデンスでの滞在制作や今回の作品について話します。出演:池田剛介、井出賢嗣、スッティラット・スパパリンヤ、奥村雄樹(skype
2013-07-14 09:34:26TWS渋谷でトーク。奥村雄樹の公募落選作家にコンストラクションを与えて、あなただったらどんな展示をするかという作品は公募企画そのものの構造に問いかけをしたっちゅーもの。さらに入れ子になったアニメーション映像もまた別作家によるフランケンシュタインの話。フランケンは作り手の名前
2013-07-14 16:36:55今回の展覧会は、昨年トーキョーワンダーサイトから海外のレジデンスに派遣された/海外からTWSに派遣された作家の滞在制作活動の成果発表展。僕はこの文脈に基づいて井出賢嗣くんにインストラクションを出し、それに対する彼のレスポンスが展示されてます。
2013-07-14 17:23:42井出くんが実際に何をやったのか具体的に知らないし、どんな展示になってるのか断片的にしかわからないけど、とにかく19世紀初頭に書かれたある有名な小説に関係する作品らしい。
2013-07-14 17:40:12今日のトークで、200年前にその物語が着想されたときの作者の状況、そしてその物語の中における「作られた側」と「作った側」との関係が、今回の試みと密接に関係してることがわかって衝撃を受けた。井出くん、よく見つけてきたな。すげえ。
2013-07-14 17:42:40@haruco12 静止画を一枚だけ見せてもらいました。題材についても聞いていたけど、まさかあのような絡みがあるとは。楽しみっすー。ご来場&ご質問、感謝です!
2013-07-14 17:44:38@oqoom あ、ばれてたんですねー。顔見えてないと思ってたw でも構造?というか試み?をあまり理解してなかった(今も不安)ので的外れな質問だったかもですねー。ともあれ聞けてよかったです!
2013-07-14 17:50:21井出さんの作品がダントツ良かった。「トーキョー・ストーリー2013 第三章 - 私をとりまく世界 -」 トーキョーワンダーサイト・渋谷 http://t.co/WCNmEsHKmP #TABapp
2013-07-14 18:24:50「私をとりまく世界」@TWS SHIBUYA 井出くんいつものようにめっちゃ喋ってましたけど…!けど…!あの翻訳…!→http://t.co/sjspK7Gi6e
2013-08-03 16:35:44え、翻訳がついてるんですか? “@aikokogallery: 「私をとりまく世界」@TWS SHIBUYA 井出くんいつものようにめっちゃ喋ってましたけど…!けど…!あの翻訳…!→http://t.co/VyZf6qvx2D”
2013-08-04 05:58:461)昨日見たTWS渋谷「トーキョー・ストーリー2013 第三章 私をとりまく世界」に出品されていた奥村雄樹(井出賢嗣)の作品も、期せずして「ネイティヴではない英語」が大きな意味を持つ作品だった。先日アーデル・アービディーンの作品について書いたばかりだったのでその連鎖に驚く。
2013-08-04 07:14:372)奥村雄樹(井出賢嗣)の作品内で井出が喋るネイティヴではない英語は「本心」を語るためのツールとして用いられている。それは同じ内容を母国語である日本語ではメタファーとしてしか語ることができないという事実によって端的に示される。
2013-08-04 07:15:503)この「仕掛け」に気付いた観客が最初に思うであろうことは「これは日本語と英語の両方がわかる観客にしか理解できないのではないか?」という疑問だろう。しかしそここそがこの作品の最も重要な部分であるのだと自分は考える。
2013-08-04 07:17:324)つまり井出のこの作品は日英両ヶ国語を理解できる人間のみに、いやさらに言えばそのうちの特定の一人に向けられているのだとも解釈できるのである。その一人とは言うまでもなく彼に作品を制作し展示をするようインストラクションを出した、この作品の「真の作者」としての奥村本人に他ならない。
2013-08-04 07:18:325)その意味で言えば、表現の種類としてはこれは「作品」というよりも「私信」に近いのだ。もちろんそれは構造的に奥村によって井出が「自分の作品」を作ることを不可能にさせられているからに他ならない。井出自身が(英語で)語っているように、結局のところこれは「彼の展示」だからだ。
2013-08-04 07:19:23