ふーこーたんのけんりょく

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amtn @katatemaru

@baron__baron 杉田敦『権力の系譜学』を読んでいますが、そこでのフーコーの整理はなかなかしっくりきます。

2010-09-28 03:55:12
@baron__baron

@katatemaru ほう、簡単にまとめてもらえるとうれしいでふな。

2010-09-28 04:04:39
amtn @katatemaru

杉田敦『権力の系譜学』('98)より。フーコーの権力論への疑義四点。(1)フーコーは古典主義時代から近代にかけて、権力の性格が変化したことを示し、権力からの解放はありえないとした。しかし、そのような近代批判はあまりに一面的ではないのか。(cont)

2010-09-28 04:10:10
@baron__baron

ここにきてねむくなってきた。。。。

2010-09-28 04:10:41
amtn @katatemaru

近代の権力は規律的であったかもしれないが、そのおかげで諸個人は自律的になりえたし、社会が監獄化したとはいえ、それは実際に監獄に「入る」こととは違う。フーコーには「よりまし」という視点がない。

2010-09-28 04:12:20
amtn @katatemaru

(2)そのように権力を分析するフーコーはどのような規範的立場に立っているのか。権力と抵抗を語り、批判するためには、ある種の規範意識を持たざるを得ないのではないか。近代人間主義を批判するフーコーの批判の準拠はどこか。(cont)

2010-09-28 04:15:35
amtn @katatemaru

(3)権力/知について批判するフーコーの言説の地位はいかなるものか。全ての言説がある真理体制に属し、知はそこから産出されるとフーコーは言う。とすれば、そのようなフーコーの言説の真理性はどこに担保されるのか。彼は社会を覆い尽くす真理体制の外側に立っているのか。(cont)

2010-09-28 04:19:36
amtn @katatemaru

自身の権力/知の分析もある真理体制と結びつき権力を構成するのか。「われわれは権力/知の関係の外側に出られない」という言明も知たらざるを得ないかぎり、そうではないのか。

2010-09-28 04:22:16
amtn @katatemaru

(4)フーコーは権力の中心として国家を否定し、社会全体に多様な権力-抵抗の拠点が存在すると言う。しかし、そういったミクロな無数の抵抗点の可能性も、国家体制に依存しているのではないか。リベラルな国家ではそれが可能でも、全体主義国家ではそれは不可能ではないのか。(cont)

2010-09-28 04:25:01
amtn @katatemaru

また、フーコーは権力からの全面的解放は不可能であり、権力-抵抗関係の外側に出られない限り、永遠にadhocに抵抗し続けるしかないと言うが、一体その抵抗の動機はどこから湧いてくるというのか。抵抗の自然発生性をあまりに楽観的に見てはいないか。

2010-09-28 04:28:44
@baron__baron

@katatemaru なんというか、杉田批判がテイラー批判とかぶりすぎ疑惑を覚えるのはぼくがいまとても眠いからでせうか?4だけちょっと違う気もしますが。ただ、4は端的に意味不明ですが。

2010-09-28 04:28:56
amtn @katatemaru

以上、杉田敦『権力の系譜学』より。1998年の議論であり、ここに統治性の話しを絡めるともう少し変わってくるような気もするけれど、うまく整理されているような気がしますたすたすた。

2010-09-28 04:29:47
amtn @katatemaru

@baron__baron ていうか、基本的にテイラーとハーバーマスの批判をもとに整理されてます。すぎたたんは、フーコー好きなので、こういった批判を乗り越えなきゃね!という立場なんですが、今読んでる第二章までではそこまで書いてません。もしかしたら最後まで書かれてないかもです。

2010-09-28 04:32:28
amtn @katatemaru

やっぱりフーコーの「系譜学」という実践的-唯名論的行為が効いてくるのであろうか。

2010-09-28 04:35:41
@baron__baron

@katatemaru 杉たんが乗り越えてくれると色んな問題が解決してうれしいですね。ぼくの興味があるのはほぼ3のみですが、かたてまるどん的には1ですかね?

2010-09-28 04:36:05
@baron__baron

あ、あれか1と2はかぶってるのか。

2010-09-28 04:38:56
amtn @katatemaru

@baron__baron 僕は1と3です。3はやはり大きいと思います。お杉ちゃんは『これはパイプではない』に軽く触れてます。そして3が大きな問題だということも認識してはります。が、「(3は)最終的には、20世紀哲学全体をどう評価するかにかかわる問題である」と投げ出しちゃいまふ!

2010-09-28 04:39:58
@baron__baron

@katatemaru ぱねぇっす!スケールでかいっす!!<「(3は)最終的には、20世紀哲学全体をどう評価するかにかかわる問題である」と投げ出しちゃいまふ!

2010-09-28 04:42:11
@baron__baron

@katatemaru その投げ出し方からすると、答えださないパターンの予感ですね。まあ、杉田ぽんはフーコー派としてこれらの批判にどう答えるかが見物ですわな。

2010-09-28 04:44:47
amtn @katatemaru

.@baron__baron 4の変奏バージョンが重要に思います。主体が近代的知/権力によって産出されたものなら、(a)どうやってそれに抵抗できるのか、(b)それに抵抗しようと気付くのは何故か、(c)抵抗した結果、主体概念はどうなるのか

2010-09-28 04:45:38
amtn @katatemaru

フーコーの権力論、特に多様な権力-抵抗の拠点のエコノミー、というくだりは、読み方変えればもう一歩で利益集団型のリアル・ポリティクスに行っちゃいそうな感じがしてるけど、僕の杞憂ですか。

2010-09-28 04:53:13
@baron__baron

@katatemaru よく知りませんけど、杞憂だとおもうですよ。たしか、そこって上からの権力説(=国家の権力)に対し下からの権力説を唱えたとか解説される箇所でしょ?

2010-09-28 04:56:43
amtn @katatemaru

フーコーの権力論は面白いけれど、そのパースペクティブと、日本政界の「権力闘争」のかけ離れ方がきつい

2010-09-28 04:57:26
amtn @katatemaru

@baron__baron 国家内部だけではなくて、というところなので、リアルポリティクスにはいかないっぽいですね。杞憂でした。

2010-09-28 04:58:37