@ep_zeroさんがトマス・ラマールの「アニメ・マシーン」を読む
[AM読書中] 7章: 「なぜジブリアニメでは女性キャラのみが空を飛べるのか」問題→「神だから」w。animationの語源animusは「風」をも意味する→アニメは「風」のアート、いかに「風」が通る「隙間」を作るか。
2010-02-14 18:37:16「AM」4章。テクノロジーという点から宮崎駿とハイデガーとをパラレルに捉えている。「technological problem」ではなく「technological condition」だ、という対立図式があるけど、「technological condition」って何だろう?
2010-02-14 20:37:30「AM」4章。ハイデガーについての知識がないからよく分からないけど、「technological condition」というのは、テクノロジカルに物を考えたり行動したりするという状態ということかな。
2010-02-14 21:28:37「AM」4章。「ラピュタ」は「シータとパズーが、危険を危険と捉えることで、近代テクノロジー状態から自分たち自身をいかに救済するか」ということが示されている作品かも知れない。(p.53)
2010-02-14 21:33:59「AM」。ひとまず4章だけは読了。やはり読み応えはある。この章で提出された問題が他とどのように関わってくのかは気になる。後の章で問題になっている庵野秀明との対比が明確になれば、宮崎駿の位置づけのアクセントももっと理解できるんじゃないかと思う。
2010-02-14 21:41:23予想外にも続行作業に関係あったので、Anime Machineの序をひととおり読了。「メカニズム」でないことが重要な「結節点」の模様。 RT @ep_zero [AM読書中] 「マシーン」について。例えば、セルアニメのアニメーション・スタンドをガタリの「機械/抽象機械」と考える。
2010-02-14 23:12:41AMが「列車とアニメ」からはじまる理由:シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』 http://bit.ly/cX06fO の参照によって、装置理論の対抗理論とされている「モダニティ・テーゼ(modernity thesis)」を取り入れることが可能に。列車による知覚変容の近代性と関連。
2010-02-14 23:22:45AMの序は、ハイデガー云々の部分に不安が残るが、マルチプレーンカメラの台を「装置」として捉えることの面白さがわかった。表紙が落下していくシータ(ラピュタの)である理由も、「アニメーション・スタンド」的なイメージを選んだから。"moving image"としてのアニメ。
2010-02-14 23:54:45AMの“multiplanar animetic machine”の訳は「マルチプレーンアニメ機械」だろうか?そして三章compositingも重要そう。「イメージのレイヤー」から始めることで技術の問題にアプローチ。「アニメが技術を考える」(p.xxx)というテーゼは面白い。
2010-02-15 00:04:41ガタリをどう使うか、という課題に対して、シヴェルブシュの鉄道旅行論が参照されている。現代日本の「通勤時間」も示唆しているようだ。「モバイル」の問い。この直球すぎるアプローチは、抽象機械の「物質性-非物質性」を捉える上では、比較的わかりやすいかもしれない。
2010-02-15 00:14:13AMイントロダクション。近代:列車・映画、ポストモダン:アニメ。技術について考える。シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史』。列車のスピードによる知覚の変容。乗客は目を本に向ける。現代日本では通勤客はマンガを読む。乗客は弾丸みたいなもの。
2010-02-17 00:53:52AMイントロダクション。マンガを読む通勤客と家でひとりでアニメを見るオタクとの対比。マンガ→アニメへの移行はスピードの減退。近代技術の条件下にある映画。映画理論と技術決定論。映画論と近代論。
2010-02-17 01:04:57AMイントロダクション。1980年代末から1990年代にかけてアニメ論が台頭。動くイメージに関する映画論に還元されないアニメ論。アニメについて考えること→ポストモダンの技術について考えること。構造ではなく機械という観点から。
2010-02-17 01:13:27[AM読書中] 8章 Giving Up the Gun 第一部終章。宮崎アニメが文化決定論や日本人論とは相容れないことを『ラピュタ』や『もののけ姫』を中心に。あと、ジブリの反商業主義について。ジブリ批判も(ちょっと)あるよ!
2010-02-18 11:28:32[AM読書中] 結局、第一部は『ラピュタ』無双だった。ラマールの言う「アニメ的多層機械」がセルアニメにのみ有効な装置ではないことは確実。「すべての映画はアニメになる」とすればデジタル合成以後のあらゆる映像はこの「機械」を無視することはできないのだろう。
2010-02-18 11:30:57[AM読書中] 9章 Relative Movement 宮崎アニメ=レイヤー間の相対運動+パノラマ的奥行。束芋の「にっぽんの通勤快速」(2001)=レイヤー間のフラット化、奥行なき表面のみ。イメージのフローを前に男性オタクはどう生きるかという問い。
2010-02-18 12:03:47[AM読書中] 10章 Structures of Depth ここで村上隆のスーパーフラット。西洋の幾何学遠近法 VS 日本のスーパーフラットという偽史→隘路へ。「リトルボーイ」の戦略的曖昧さ。スーパーフラットの根底には「分解図」がある!?
2010-02-18 12:37:49@ep_zero "orthogonal perspective"に限らず、のちほど色々みてみます。ざっと眺めると、ドゥルーズやガタリが用いる概念「ダイアグラム」と関連させるための布石のようですね。
2010-02-18 13:25:55@yishioka ありがとうございます!"diagram"という単語はしばしば見かけるのですが、どこまで意図しているのかイマイチ掴めていません。
2010-02-18 13:55:34[AM読書中] 11章 The Distributive Field 宮崎アニメの"open compositing"と対照的な"flat compositing"。例として『DAICON 3』!
2010-02-18 13:15:25[AM読書中] 遠近法ではなく、「分解図」としてイメージを配置することで奥行の感覚を作る。情報が密集した"distributive field"としての画面。
2010-02-18 13:16:49