朝日新聞記者。Staff writer of the Asahi Shimbun. 英語版初音ミク動画ニュース340万再生 https://t.co/Jql3bE9MM5 投稿は社と無関係。初音ミク文化黎明期を追う連載「初音ミク、奇跡の3カ月〜文化が誕生する時」を、ウェブサイト「論座」で配信していました(下記リンク)。
繰り言ですが「戦争の記憶」は「形式的」「惰性」などと言われつつも語り継がれているけれど、戦争の大きな背景でもあった「貧しさ」の記憶は確実に失われていて、最近はそれに強い危機感を覚えます。私の母の長姉は、家が貧しくて芸者置屋に売られた。当時、庶民の間ではそういう例が珍しくなかった。
2013-08-15 21:48:23何度も書いていますが、戦後の極貧期の思い出を話す時、母は体を震わせながら「貧しいのは嫌だ、貧しいのだけは絶対に嫌だ」と絞り出すように言っていて、その声が耳にしみついているのですが、子どもが売られるのが普通だった極貧の時代の記憶が、気がついたら失われている。
2013-08-15 21:55:55ちょうど「おしん」が放送されているころ、母のきょうだいが集まって「おしん」の話題になり、「あれくらいならまだましよね」というような展開になった。戦前戦後の極貧はあの世代にはそれくら当たり前の共有経験で、しかし、高度成長期以降の世代には想像もできない出来事になっている。
2013-08-15 22:01:30子どもの虐待の歴史を調べたら、時代をさかのぼるほど、子売り・子捨て・子殺しが当たり前のように行われていて愕然とした記憶がある。「子どもを売るのは殺すよりは善である」と江戸時代の学者が書いていたりする(売る先は売春宿)。絶対的な貧困の前では、子どものような弱い者から犠牲になる。
2013-08-15 22:12:34絶対的貧困は実は「自然そのもの」といえて、野生動物の子の生存率を見れば一目瞭然。動物の子は大部分が飢えや病気、天敵の捕食などで死ぬ。食物連鎖の頂点に立つ動物もそう。同じ種の成獣が幼獣の天敵になったりする。人は科学技術などによって「不自然な環境」を作り、そうした犠牲を減らしてきた。
2013-08-16 01:33:00「豊かな自然」というのは、その下で膨大な死が繰り広げられている場ですよ。自然死できるのは奇跡のように幸運な個体のみ。大半は飢えて、食われて、病んで死ぬ。それも幼いうちに。
2013-08-16 01:51:06戦争は記憶されるのに貧困は忘れられることには理由があって、戦争は事件(それも大事件)だけれど、貧困は「日常」だから。日常は絶えず変化し、記憶はどんどん上書きされてあやふやになっていく。けれど戦争という大事件は、たぶん間違いなく貧困という日常の延長の上にあった。
2013-08-16 06:23:35昭和10年代に東京に生まれ育った母は、戦争の話はほとんどしなかった。家が空襲の被害地域から外れていたことも大きかったと思う。話すのはひたすら貧しさ、それも戦後の貧しさのことだった。戦争が終わっても、貧しさとの闘いは終わらなかった、というより、戦後こそが本番のようだった。
2013-08-16 23:46:20戦争は8月15日で終わったし、実際、戦争を描いたドラマの多くもこの日で終わる(抑留や帰還などの物語もあるが)。けれど、貧困というドラマにならない日常の困苦は、8月16日以降も途切れることなく続いていた。
2013-08-17 00:29:07