『おとぎのかけら 新釈西洋童話集』(集英社文庫)刊行記念 千早茜・榎本正樹 往復書簡ツイート
[おとぎのかけら2-12] この「一人称問題」に、千早さんの文学世界の謎を解く鍵があるような気がするのですが、どうでしょう。もっと緩やかな往復ツイートを想像していましたが、最初からタイトな議論になってしまいましたね(笑)。徐々にモードを変えていきましょう。ではそういうことで。終
2013-08-22 13:16:48[おとぎのかけら3-1] 榎本さん、昼間はありがとうございました。昨日はすこし飛ばしてしまいましたね、すみません(笑)緩めにしていくよう心がけます。では、「おとぎのかけら」往復書簡ツイート第三信はじめます。
2013-08-22 23:15:57[おとぎのかけら3-2] 「桜の首飾り」の時、榎本さんから取材前に作中にでてくる智積院に行ってきたと聞き、そこまで下調べをするのかと驚きました。榎本さんは桜図と対峙した時に感じたことを語ってくれました。感覚的な方かと思えば解釈の仕方はひどく分析的で、そのギャップが面白かったです。
2013-08-22 23:19:18[おとぎのかけら3-3] 私の手帳には「バイアスがかかっている」「肌感覚」「無自覚さ」など、榎本さんが私の文体について語ったキーワードが書き残されています。印象に残ったのは「出会った作家さんたちに共通することはありますか?」と訊いた時、「みんな真面目ですね」と答えられたことです。
2013-08-22 23:20:58[おとぎのかけら3-4] 気真面目なところのある私にとっては(ぐうたらなところは相当にぐうたらですが)、その言葉は励ましになりました。きっと真面目のかたちも人それぞれなのでしょうが、真面目というのは当たり前のことで格好悪いことではない、と示してもらえたような気がしました。
2013-08-22 23:22:29[おとぎのかけら3-5] そんな経緯もあって、榎本さんの解説に興味を持ち、プレッシャーかとは思いましたが(笑)本作の解説をお願いしてしまいました。ごめんなさい。でも、このような機会までつくっていただいてとても嬉しいです。ありがとうございます。
2013-08-22 23:23:45[おとぎのかけら3-6] 榎本解説が「語りの方法」を重視しているという返信は、取材を受けた身としては納得いくものでした。[2-11]の「一人称問題」に関しては、言われてみればそうかもという感じで、そこまで意識的にはしてません。そこは榎本さんの言う「無自覚」に当てはまる気がします。
2013-08-22 23:27:40[おとぎのかけら3-7] ただ一人称は意識的に選んではいます。今までだした本も「あやかし草子」以外は一人称です。一人称は主人公の視線の外にはいけないので、もどかしさもあり、壁に頭を打ちつけたくなることはしばしばです。「からまる」「あとかた」といった連作短編だと効果的に使えますが。
2013-08-22 23:29:40[おとぎのかけら3-8] けれど、三人称にすると「語っているお前は誰だ」という問いがどうしても頭の中をうろつくのです。少なくとも今は。あと私には「不幸に見える幸せを描きたい」という一貫したテーマがあります。価値観は人の数だけあって、それぞれが納得できる幸せを得られればいい。
2013-08-22 23:31:14[おとぎのかけら3-9] 物語という法も正義もモラルも及ばない虚構では、それが可能だと思ってます。だから、あえて特殊な人たちを描いているところはあります。人は自分以外の視線を完璧に体感することはできないけど、物語の中だけでも「こんな見方もあるんだ」と思ってもらえたら嬉しいです。終
2013-08-22 23:34:03[おとぎのかけら4-1] これまで多くの作家さんとお会いして、インタビューやトークセッションをしてきました。仕事柄、インタビューした作家さんについての印象を聞かれる機会が多いのですが、皆さん基本的にとても真面目です。
2013-08-23 14:53:56[おとぎのかけら4-2] もちろん、千早さんがおっしゃるように真面目の形は人それぞれですが、ことばに対する真摯な態度は共通のものです。小説を書くことは、きわめて孤独な営みです。他の表現ジャンルと異なり、他人の助力を仰ぐことができません。
2013-08-23 14:56:52[おとぎのかけら4-3] 一人ワープロに向かってことばを紡ぎだしていく孤独で地道で禁欲的な作業から、小説は生みだされていきます。ことばと真剣に向きあう者ならではの矜持と、ことばに対して常に謙虚である態度こそが、作家を作家たらしめているのではないでしょうか。
2013-08-23 15:02:41[おとぎのかけら4-4] インタビュー中に手帳にメモを取る千早さんの姿を見て、一つひとつのことばに敏感かつ誠実であろうとする千早さんの態度をかいま見た気がしました。千早さん以外に、もう一人、「風来坊」というシールが貼ってあるルーズリーフにメモを取る作家さんを知っています。
2013-08-23 15:03:51[おとぎのかけら4-5] 彼女もまた勉強熱心で、独特な世界造形で定評のある作家さんです。「一人称問題」に対するリプライありがとうございました。確かに千早作品の多くは、一人称体が採用されていますね。語り手という主体が体験するできごとを、その主体の認識のレベルで表現していく。
2013-08-23 15:04:40[おとぎのかけら4-6] 主人公=語り手の認識の揺らぎや、世界への違和感や、五感的な身体感覚それ自体を記述していく方法こそが、千早さんの小説を規定しています。これは批評家としての分析ですが、そのような語り手の設定が、千早作品の不思議なリアリズムを支えているのではないでしょうか。
2013-08-23 15:05:20[おとぎのかけら4-7] 三人称をめぐるジレンマはよくわかります。「神の視点でどこでも移動可能な透明な存在」としての三人称の語り手を導入するのであれば、方法論を明確にした上で採用したいということですね。
2013-08-23 15:09:36[おとぎのかけら4-8] 千早さんが、三人称の語り手を「人格化された語り手」として登場させるプランを現実化させて、近い将来、本格的な三人称小説に取り組まれる。そのような状況を密かに夢想しています。
2013-08-23 15:09:59[おとぎのかけら4-8] 「不幸に見える幸せ」とは何だろう、と一瞬考えてしまいましたが、人それぞれの価値観に基づく幸せの探求ということですね。つまりは個別の価値観。僕は現代小説の行うべきこととは、一般化しえない個別の人間の価値観を提示することだと考えています。
2013-08-23 15:11:09[おとぎのかけら4-9] たとえば、女子高生とかサラリーマンとか主婦とか、カテゴライズされた「層」全体を書くことは不可能でしょう。「いまどきの女子高生」とか、「サラリーマン一般」とか、「日本の主婦層」というような包括的なくくりで小説を書くことは、いまの時代できないと思います。
2013-08-23 15:13:27[おとぎのかけら4-10] 所属するコミュニティや共同体全体ではなく、個別の人間の生き方に注目する。個人が何を見、何を聞き、何を考え、何を選択するか。個別の人間の選択と行動の中にこそドラマがある。そのような意思表明を、千早作品の登場人物は行っているように見えます。
2013-08-23 15:16:41[おとぎのかけら4-11] 最後に質問をさせてください。すべての作家は「書く人」以前に「読む人」として小説に関わりますが、「読む人」から「書く人」へ移行するには、何らかのジャンプ、飛翔が必要だと思います。千早さんにとってのそれは何だったのでしょうか? 終
2013-08-23 15:19:03