- sadamasa_bot
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室町後期~戦国の医師、田代三喜と曲直瀬道三
伊豆で主君、源頼朝殿の所縁の地を訪ねる、
鎌倉時代の御家人、安達盛長殿。
旅の途中、戦国時代の医者、田代三喜のご先祖の地も立ち寄られたらしい。
近くには「田代城跡」があります。 田代信綱殿の父は伊豆守為綱という方で、母は工藤茂光の娘だったようです。 挙兵時より殿に従い、三草山、一の谷、屋島と義経軍の侍大将として転戦されました。 ちなみに子孫は斎藤道三の医学の師匠だったとか・・・ちょっとなんのことかわかりませんけど。
2013-08-25 00:45:20伊豆時代より佐殿の側近く仕え、鎌倉では甘縄に屋敷を構えている。時々息子がつぶやきに来ます。呼ばれたらすぐ来るあたり、高野山では暇と見える。
.@tokuro_bot 田代で医者……田代三喜という戦国時代の医者かな。曲直瀬道三という戦国時代の医者の師匠で、子孫は江戸か明治まで茨城県古河市に薬局を開いていたと聞いている
2013-08-25 01:02:07ちょっと気になってしまって、ついつい口を挟んでしまった。
昨年の十月末の古河公方展と、十一月初頭の箱根早雲寺で立て続けに名前が出た、俺の親父ゆかりの医師の名前だったからだ。
※親父の医者ってことは忘れてた。すっかりな。
ふむ、田代三喜、やはり古河公方(俺様とは敵→後に同盟)の侍医か。去年の古河公方展で田代薬局の看板が出ていたんで記憶に残っていた。曲直瀬道三か、田代三喜のどちらかは北条早雲とも縁があるんだ。 http://t.co/as1QULy20Y
2013-08-25 01:05:23曲直瀬道三は、養子で確か二代目三代目がいた筈だ。おそらくは二代目が立ち寄った箱根の早雲寺で亡くなり、同寺に葬られた、と去年の早雲寺の年に一度の一般公開で伺った。
2013-08-25 01:16:06せっかくだから、お蔵出しついでに。曲直瀬道三は、脈診の大家で著書を残している。その辺から派生した逸話だろうが、海辺の村全員の脈診に死の直前の脈が出ていて、これはおかしい、ということで津波を予知し、避難させて村を救った……というのを何処かで読んだのだが、出典を思い出せない……
2013-08-25 01:23:08田代三喜殿と、曲直瀬道三の師弟関係については、
古河市の一向寺さんのサイトが詳しかったので、
引用・掲載させていただく。
結局、古河一向寺さんのサイトを紹介して終わってしまった(笑)
古河公方ゆかりの展示は数年おきに古河歴史博物館で行われそうだし、一向寺さんを見学するのも良い。
箱根の早雲寺は、年に一度、寺宝などの一般公開を十一月初頭前後に行っている。
もし興味の出た御仁がいたら、それぞれ訪れてみてくれ!
次に古河に取材に行く時は長谷寺と一向寺へ行こう……ていうか古河公方botが古河市観光協会で公式に出来ないかなぁ…… #他力本願
2013-08-26 17:16:17