- misonikomioden
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アボリジニーがアートみたいなのがあって、以前横トリに出ていたが、それを指すかもしれない。 でも、それもアートから見た場合のアウトサイダーかもしれない
2013-09-04 20:39:23ゲンマ「梅ラボとラッセンは名詞が羅列されている絵画といえるが、中ザワのセルの形成は動詞で、出発点と着地点はどうでもいい感じがする
2013-09-04 20:45:53フォーマリズム的に温かみすら拒否するなら、生成プログラムを作ってセルを作ればいい。 つまり作家は温かみも冷たさも選択ができるということ。 梅ラボは意図的に冷たい絵画にしているのではないか
2013-09-04 20:48:02別の視点で、脳の中の温かみというものがあって、数式を使ったとしても、ここに入れたら温かいと考えることができるかもしれない
2013-09-04 20:48:44ラッセンは温かいのか? いわさきちひろ的なのが温かい方向性だと思うが、それが否定的な意味合いもある。 ラッセンはそれとは逆に冷たさがかっこいいと評価されてるのでは? 技術偏重な作品は冷たくなり、それがかっこいいともなる
2013-09-04 20:52:28音楽の話に引き寄せて斎藤環によるラッセン論を話してます (筆者 わからないので話した人が後で解説ツイートしてください・・・
2013-09-04 21:00:00アートの機能性といえば、イラストというものがある。カレンダーのための絵とか。 純粋アートから言えば、それはアートじゃないとなる
2013-09-04 21:02:13機能、イラストレーション、アートの関係性については、中原佑介が、グラフィック展の作品についてのコメントで、 イラストとは先に意味があってそれに従い描くもの(この商品が売れるために描いてくれ=機能)で、イラストレーションは機能に従う、というものだ →
2013-09-04 21:04:34そして、彼は「機能はイラストレーションに従う」とキャッチフレーズを打ち出した。 日比野克彦がダンボールを使った絵画を作った時、それを使いたいと広告側から打診があり、つまり 先に日比野の作品があり、広告依頼が来たという逆転の状況があった。
2013-09-04 21:05:52日比野克彦は今では美術家と言っておかしくないが、出てきた当時はそうでもなかった。 当時は西武系?あんなのアートじゃないからと頭ごなしに否定されていた時代であった
2013-09-04 21:06:58近代ではアートは機能性を排除することで成り立つので、だからイラストもラッセンも排除される。 しかしそれでは成り立たず、社会性のため(反原発的な)を取り入れることになるが、それでおかしな事になっている
2013-09-04 21:09:14芸術特許をなぜ出すことになったかについて、これ→ 3331初パワポ http://t.co/57jQWpBtt4
2013-09-04 21:14:05