中ザワヒデキ文献研究 夏の陣 第4回
- misonikomioden
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コンテナに展示した時の文章です。コンテナのオーナーは外国人なので英語ベースなんですね。 http://t.co/OpyOwjhkVt
2013-09-11 21:44:45中ザワ「僕のバカCG作品の最後の時期の物だろうと。97年からは僕は方法になっているのでその橋渡しのような作品になっているだろうという事ですね。」
2013-09-11 21:47:51中ザワ「不可視関数試論をやっていたときにはまったくそういう事は考えていませんでした。”吹き出し太郎”と”吹き出し次郎”には方法の萌芽があるだろうというような事と繋がる考え方ですね。」
2013-09-11 21:49:17中ザワ「視覚面では文字座標型絵画、音の面では五十音ポリフォニーですね。そういう方向性です。あとは、不可視関数試論を作りながら、プログラミングの方が作品なんじゃないかという考えに至るわけですね。それが方法主義宣言という形に結実するわけです。」
2013-09-11 21:50:40中ザワ「96年12月に名古屋市青少年文化センター「アートビア」、ナディアパークですね。これは僕が日本に居ない時に、”閉店するのでこの作品は捨てる”と言われたんですね。それで僕は嫌だった。その時僕は名古屋のギャラリーセラーに所属していたのでそこの武田さんにお願いした。」
2013-09-11 21:52:16中ザワ「そうしているうちに、どうやらナディアパークの人も作品を捨てるっていうのはもったいないと思っているという事がわかった。そうして探しているうちに蒲郡ネットワークセンター・生命の海科学館に展示されることになりました。」
2013-09-11 21:53:27中ザワ「そしてその生命の海科学館も閉まってしまう事になった。そしたら次に篠山チルドレンズミュージアムに移動する事になった。最初は子供向けの場所に置きたくないなとも思ったのですが、どこにも置かれないよりは良いということでそこに行くことになった。」
2013-09-11 21:55:35中ザワ「チルドレンズミュージアムに至っては気がついたら閉館していた。ぱんださんがTwitterで”ちるみゅー閉館!”ってツイートした事で気がつきました。そこからいろいろ動いたわけですね。」
2013-09-11 21:56:58中ザワ「そこでコンテナでの展示があったと。そういう所で残念ですが22時になってしましたが少し延長しても良いですか?」皆藤「遅れて始まったのでokです」
2013-09-11 21:58:42”たとえば、インタラクティブ作品としての本作ではLINGOというプログラミング言語で僕が全てのプログラムを書いているのですが、プログラムで動かす画像やプログラムで鳴らす音よりも、プログラムのコードそれ自体のほうが自分にとって作品だと思えてしまいました。”
2013-09-11 22:01:31”単語レベルに分解された言葉や造語に対する興味も多大に本作には詰め込まれているのですが、もうひとつ言っておくとするなら、言葉と画像と音を全く等価に同時に扱うという真のマルチメディアが本作では実践されており、この感覚に対する信頼から、”
2013-09-11 22:03:34”他ジャンルに対する排他性に拠って立つアナログ時代のフォーマリズムに対する違和感が演繹され、デジタル時代においては、他ジャンルに対する排他性ではない並立性に拠って立つモダニズムとして、方法主義(方法絵画、方法詩、方法音楽)をその後主張していくことになったというわけでもあります。”
2013-09-11 22:03:46”- さらに本作は、1996年12月に名古屋にオープンしたナディア・パークのアートピア「体験の場」に納入されるため、ある程度お題を与えられ作ったものだったので、受注芸術つまりイラストレーション的な側面をもっています。”
2013-09-11 22:04:09”しかしその一方では、クライアントの意向より表現者の自己表現であるという確乎たる作品のつもりも強かったので、純粋美術の側面もあわせもっていました。で、そこのところで生まれるジレンマとして、(石井香絵著「中ザワヒデキの美術」にもあるとおり)「実用的な意味では役立たないもの」が”
2013-09-11 22:04:32”淘汰されないためには「芸術という権威で護られる」やりかたと「とりあえず子どものオモチャとして役立つ」やりかたのふたつがありますが、本作はとりあえず後者の道筋をたどってしまったのです。本作は子どものために作ったというよりはオトナのためあるいは自分自身の芸術追究のために作っ”
2013-09-11 22:04:56”たものでありながらも、僕が1996年まではイラストレーターを肩書とし美術に対してはアンチの姿勢をとっていたということもあり、子ども向けのオモチャとみなされ、その意味で”
2013-09-11 22:05:11”1995年制作の「キッズボックス」の系譜に連なります。結果的には、1997年から「芸術という権威で護られる」やりかたにシフトする直前の作品となったわけです。”
2013-09-11 22:05:21