小学生とゲーム機と1996年

スーファミからポケモン、64に至るまでの1996年を当時の小学生目線から書いたもの。個人的に激動の時代でしたですよ。
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保守屋 @hosyuya

10月11日のWiiに関する発表と聞いて、即本体拡張を思い浮かべるなど。ファミコンのディスクシステム、スーファミのサテラビュー、64の64DD、GCのゲームボーイプレイヤー。先例は多く、そして多分売れない。

2010-10-04 11:44:48
保守屋 @hosyuya

小学生のころは任天堂無双だったなー

2010-10-04 12:02:04
保守屋 @hosyuya

そういやポケモン白黒の発売と聞いて何時かpostしようと思ったメモがあったような。

2010-10-04 12:06:58
保守屋 @hosyuya

あったあった。・・・って長!20post軽く逝ってるし、どんだけダラダラ書いてんだ・・・。

2010-10-04 12:09:03
保守屋 @hosyuya

内容はスーファミからポケモン、64に至るまでの1996年を当時の小学生目線から書いたもの。題してオレと任天堂1996。個人的に激動の時代でしたですよ。おうち帰ってTLが静かなら投下してみよ。

2010-10-04 12:16:25
保守屋 @hosyuya

昼過ぎに任天堂ハードについてをpostしてちょっと懐かしくなったついでに思い入れのあるニンテンドウ64、その発売当時である1996年の個人的ゲーム事情、主にポケモンとハード関係を振返ってみる。しかし14年も経ったのか・・・(白目) ※長いです、TL汚し失礼。

2010-10-05 00:30:17
保守屋 @hosyuya

今を去ること1996年。ポケモンが爆発的なヒットを生み出した記念すべき年であったが、1年前に発売された『クロノ・トリガー』と『ヨッシーアイランド』に長らくハマッていた自分は発売されても半年近くアウト・オブ・眼中であった。まぁハード面にも理由が色々ありまして・・・。

2010-10-05 00:31:01
保守屋 @hosyuya

自前のゲームボーイは初期型(湾岸戦争で空爆にも耐えたアレと同じ)で小学6年生の段階で既に7年選手だった。単三電池4本で動く上に稼働時間は有限。新品の電池は軒並みミニ四駆につぎ込んでいたので、たまにやる時は中古電池のあり合わせ。思えばよく液漏れとかしなかったもんだ。

2010-10-05 00:32:15
保守屋 @hosyuya

当時、お小遣いが月1500円だった自分には誕生日プレゼントとお年玉以外にゲームを買ってもらう余地がなく、その機会は高いスーファミのROMに消えていった。ROMの貸し借りも盛んであり、ROMの多さはある種のステータスだった。これらの結果、GBの優先順位は下がる一方だった。

2010-10-05 00:33:28
保守屋 @hosyuya

ちなみにお小遣いがコロコロとボンボン、ミニ四駆とSDガンダムに消えたのは当時の小学生として必然である。愛車はプロトセイバーJ。好きなSDコマンドー戦記はG-ARMS。ガチでメイトリックスがモデル。ジャンプやマガジンはたまに読む程度だった。余談です。

2010-10-05 00:34:33
保守屋 @hosyuya

まぁそういった事情からスーファミ至上主義の誕生である。友達に先を越されぬよう、新作発表チェックは常に怠らなかったが、Windows95が発売された前後なんてネットのネの字も知らんわけだから、情報源は雑誌と口コミ、ゲーム屋の試遊台だけ。アナクロなもんである。

2010-10-05 00:35:51
保守屋 @hosyuya

ここでゲーム関連の雑誌といえばファミ通()を連想される諸兄もいらっしゃるだろうが、当時の我々には少々ハードルが高かった。というのもファミ通は専門誌扱いのため、地元の本屋さんでは大きなお友達がいっぱいいる島に突撃する必要があったのだ。今なら余裕だよ!やったね、たえちゃん!

2010-10-05 00:36:52
保守屋 @hosyuya

とはいえその時はチキンなジャリ、泣く泣く漫画コーナーで情報を漁るしかなかった。そんなわけで有力な情報源は、任天堂と蜜月の関係にあったコロコロコミック。ミニ四駆のネタもあって瞬時に購読誌となった。読み始めは小学1年生。思えば、コロコロにコロコロ振り回された小学生時代の始まりだった。

2010-10-05 00:38:00
保守屋 @hosyuya

さて、95~96年のコロコロは次世代ハードとしてニンテンドウ64を猛烈にプッシュしていたことも忘れてはなるまい。次世代ハードはここが凄い!と毎月特集を組んでいた気がする。スーパースコープなんかの頃もそう、昼にpostしてたサテラビューも夢のゲーム機とか謳ってました、えぇ。

2010-10-05 00:39:06
保守屋 @hosyuya

純心()な小学生である自分は、3次元の仮想空間を走るマリオやリンク、アーウィンのテストショット映像にそりゃもうときめいた。翌年には中学生だというのにお気楽な話である。しかしN64は誕生日プレゼントということで発売から半年近く待たねばならなかった。そんな夏の始まりに異変が起こる。

2010-10-05 00:40:10
保守屋 @hosyuya

凄まじいスピードでポケモンが売れ始まったのだ。昨日まで64!64!と最後の大隊バリに唱えていた友達が挙ってGB!GB!ポケモン!ポケモン!である。状況がまるで掴めなかった。何故今GBなんだ?据置きゲームがあるじゃないか、と。スーパーゲームボーイはさておくとして。

2010-10-05 00:41:04
保守屋 @hosyuya

話を聞くとモンスターを捕獲して育成、通信でバトルさせるのが面白いらしい。育成ってなんぞ?ダビスタ?そのくらい情弱だった。そういやにポケモンそっちのけでダビスタにのめり込む猛者が数人いたが息災だろうか?噂ではもうすぐ結婚するのもいるらしい、ばくはつしろ。閑話休題。

2010-10-05 00:42:12
保守屋 @hosyuya

しばらく経って、コロコロまでポケモンを急にプッシュし出すと、ポケモンに対する興味は最高潮に達した。みんなが持っていると途端に欲しがる悪い癖である。当時イジメはあまり無かったが、流行ネタについていけないことは、少年特有の訳も分からぬ焦燥感を煽るに十分すぎる理由でもあった。

2010-10-05 00:43:43
保守屋 @hosyuya

そこにコロコロの誌上通販である。限定版ポケットモンスター『青』。友達みんなが赤・緑で数歩先をいく中、彼らに追いつくにはこいつしかなかった。そして親に直談判。コレがなきゃみんなのところに行けない!思えばあと半年で小学校を卒業してバラバラになるというのに大層な話である。

2010-10-05 00:44:28
保守屋 @hosyuya

結果としてポケモン青を買ってもらい、ズブズブとその世界に引きずり込まれていった。相棒はいつもカメックス。なぜなら彼もまた、特別な存在だからです。ちなみに自分のポケモン暦は続編の銀止まり。リアル妹は赤緑ピカチュウ金ルビーサファイアまで。よくやる・・・。

2010-10-05 00:45:22
保守屋 @hosyuya

瞬く間に四天王を倒し、ミュウツーをマスターボールで楽々ゲット。バグ技まで使ってポケモン図鑑を151匹にするといった、ポケモン一色に白熱化した夏は過ぎ去り、誕生日を僅かに控えた秋。N64ゲットを前にまた難題が降りかかる。

2010-10-05 00:46:40
保守屋 @hosyuya

プレイステーションでのFFⅦ発売の報である。64の発売タイミングでPSでの発売が決まり、開発中とのCMまで流れていたのは知っていた(コスモキャニオンのマッピング作業が印象的だった)。当時でもFFは仲間内で何回も繰り返す回数で競い合うほど人気があった。あたしゃクロノ一択でしたが。

2010-10-05 00:47:47
保守屋 @hosyuya

ここで小学6年生の自分は窮地に立たされるッ・・・!大本命の64かッ!未知のキャラクターと物語と今後の販売タイトルが待つPSかッ!アーケードでハマッたバーチャコップとバーチャロンが移植されたセガサターンかッ!選択肢は3つッッッ!3DOお前じゃねぇ座ってろ

2010-10-05 00:48:29
保守屋 @hosyuya

結局、買ってもらったのはやはりN64だった。脳内コンペティションでは任天堂の優位は揺るがないものと信じていたからだった。ポケモンの今後の可能性(N64侵出)も未知数だったし。まぁバーチャルボーイとかいうどう見ても厄ネタもあったけど、任天堂のゲーム機だぜ?!みたいな。

2010-10-05 00:49:21
保守屋 @hosyuya

実際にプレイしたからこそ言える、N64は面白い。多人数でやることを前提とした仕様とストレスのないレスポンス、任天堂の魅力的なキャラクターと作品群。クリスマスに買ってもらったマリオカート64などは年の瀬も忘れて楽しんだもので。

2010-10-05 00:50:21