【ベートーヴェンの弟子vs弟子で萌える】若き日のライバルへ、このソナタを捧ぐ。(フェルディナント・リースとカール・チェルニー)
- naxosjapan
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リースから贈られた四手の曲は、チェルニーにとってリースがもはや遠くにいる存在であることを知らしめると共に、師ベートーベンの不在を意味するものになるんじゃないかというのが風呂に入っている間の妄想の結論。この二人で弾くということは、そこにベートーベンが「いた」ことを意味するはず。
2013-09-20 23:36:23チェルニーがリースに贈った「一人で弾くための音楽」と、リースがチェルニーに贈った「二人で弾くための音楽(ただし本来一緒に弾くべきだろう相手はそこにいない)」のどちらが「孤独」かを考えている。
2013-09-20 23:38:38リースさんは、美人な奥さんの件でさんざんベトベンからうらやま死ねっていわれているので、あまり孤独そうな感じはしない。ただタフに見えて実際は疲弊してたんだろうなという感じはなんとなくある。持病もあったみたいだし。
2013-09-21 00:19:54という風にチェルニーがぐるぐる考えている間、リースは実はそこまで深刻な意味で贈ったわけじゃなかったというオチが一番波風立たないかなーと思っている←
2013-09-20 23:44:19ただ「また会う」ことへの物理的な障害や、ベートーベンの死によって突きつけられた迫りくる「老い」や「死」に対する思い(リース持病あったらしいし)があるかもしれない。
2013-09-21 09:55:53セシル・ヒルがリースの晩年について"Behind his professional mask"と表現しているのが興味深すぎる。チェルニーもリースもどんだけ仮面の男なんだよおまいら。
2013-09-21 10:54:52リースは最終的にこの病によって演奏活動にピリオドを打つわけだけども、その最初の兆候が現れたのが、ちょうど4手ソナタOp.160を書いていた頃であったという疑惑が
2013-09-21 11:17:59その後、リースとチェルニーは再会していたのか?
リースは1832/33にイタリア旅行してるらしいんだけど,その途上でウィーンを通ったのかどうか。 http://t.co/rqGGw3QkYA
2013-09-21 11:27:42リースがイタリア旅行の途中でお忍びでウィーンに立ち寄ったとしたら…リースがチェルニー宅の前で「…来ちゃった♡」て展開もあるのか
2013-09-21 15:07:42(でももしふたりが1830年代に再会してたとしら、そんときに仲違いしたという可能性が濃厚になってしまうので、それはそれで複雑だなあw)
2013-09-21 11:43:58もしパリで再会して、フツーに旧交を温めあったのだとしたら、その直後に書かれた覚書にチェルニーの名前が無いってのはちょっと考えづらい。ので、パリで会っていたとしたらそこで喧嘩した(もしくはリースがカッチーンとくるような何かがあった)ってのがほぼビンゴになりそう。
2013-09-21 11:53:24パリで再会→「またいつか一緒に弾けるといいですねぇ、あなたの書いた四手ソナタとか特に」「え、いやあれ『おまえまだ独身かよwww さっさとこれ一緒に弾ける女性見つけちまいなよwww』って意味だったんだけど」「えっ」「えっ」→そして喧嘩別れへ……という脳内ストーリー(いらない)
2013-09-21 12:28:07(「18世紀末-19世紀の4手作品はNTR製造装置」という仮説の電波なら、しょっちゅう受信している) RT @wataruna (4手作品に「お前も早く嫁さんもらえよ」的な含意が…)
2013-09-21 10:28:38別のソースだと、リースは「1836年に」「約5ヶ月間」パリに滞在となってるな。うーん。翌年までまたがってるとすれば、ほんとにニアミスだったかも。
2013-09-21 12:56:20少なくとも1836年9月には一時的にロンドンにいるぽいので、パリに行ったのはこれよりあと(その足でって可能性もある)…ってことはそこから5ヶ月…あっ http://t.co/8NnBifxpNZ
2013-09-21 12:59:10