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「信じる」とは肯定すること

普通は裏切られたら信頼は失われる。しかし、人はどんなことがあっても自分を信じてくれる人を求める。では、この時の「信じる」とはどういう意味なのか。
心理 裏切り 金八先生 信じる
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shinshinohara @ShinShinohara
「金八先生」で加藤が暴れた後、武田鉄矢扮する金八先生が「裏切られても裏切られても信じてやること、信じ切ってやること」と絞り出すように話す場面がある。当時、「金八先生のような教師がいたら」と話す非行少年は多かったと聞く。人は、誰かに信じてほしいもののようだ。
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しかし、通常は「裏切られること」は、信じられなくなる一番の原因だ。人を信じ切れないのは裏切られることがあるからだ。このため、金八先生は理想的過ぎるという意見もある。裏切られることがある限り、信じ切るなんてことはどだい無理な話だ、と。
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それでもなお人は信じ切って欲しいと願うものらしい。施設から養子として引き受けられた子はそれまで聞き分けのよい子であっても、わざと困らせるようなことや悪いことをしたりするという。「この人はどんなことがあっても自分を見捨てることはないのだろうか」義親を試すのだ。
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親子関係は通常どんなことがあっても切れることのない関係だと思われている。施設にいた子どもはそれを断ち切られた経験をもつ。だから、血のつながりのない義親からも裏切られるのではないか、という強い不安をもつと同時に、「この人たちこそ自分のことを信じ切ってくれる人であってほしい」と願う。
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おねしょをしようと、食べ散らかしたりしようと、夜中に泣きわめこうと、「この人たちは自分の全存在を受けとめてくれる」という安心は、やがて深い自己肯定感を生み、情緒を安定させる。人は信じられたい、信じ切られたいものなのだ。
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「裏切られても信じ切ること」は、歴史的事実として存在するのだろうか。ある。有名な「管鮑の交わり」だ。管仲は若い頃、鮑叔をなんども裏切っている。一緒に商売をして金を多めに取ったり、計画が裏目に出て鮑叔に迷惑をかけたり、戦争でさっさと逃亡したり。しかし鮑叔はいつも管仲を信じた。
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鮑叔の絶大な信頼はついに管仲を歴史に残る大宰相へと押し上げる。もし鮑叔の信頼がなければ管仲は歴史に埋もれ、浮かび上がることはなかったろう。「裏切られても信じること、信じ切ってやること」が歴史を塗り替えた。
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では、裏切られているのに「信じ切る」というのはどういうことなのだろう?通常は「裏切られるから信じられなくなる」のだ。それでもなお、信じ切るとはどういう意味なのか。
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ヒントになるかもしれないのが、2005年に作成されたACのCM。 http://t.co/4aPXE3rowl 「命は大切だ 命を大切に そんなこと何千何万回言われるより 「あなたが大切だ」 誰かがそう言ってくれたら それだけで生きていける」
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どれだけ裏切られても信じ切るとはどういうことか。「あなたが大切だ」というメッセージを送り続けることだろう。一人そんな人がいるだけで「私はこの世に生まれて構わなかったんだ、そう思ってくれる人がいるんだ」と、自分の生を肯定できる。
shinshinohara @ShinShinohara
「裏切られても裏切られても信じること、信じ切ってやること」とは「あなたが大切だ」と、相手の生を、存在を肯定することなのだろう。存在を無前提に肯定することに主眼があるから、行為の点で裏切りがあってもそれが存在の価値を損なうものではない、と考えることになる。
shinshinohara @ShinShinohara
この場合、「信じる」とは「あなたという存在を大切に思う」という意味になる。もちろん裏切られれば腹が立つし、怒りもする。それでかまわない。「でも、やっぱりあなたが大切だ、という気持ちが失われることがないんだなあ」と伝えることが、「信じる」ということになるのだろう。

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