マタイ受難曲(BWV 244)の自由詩部分について

中大混声合唱団第五十回定期演奏会に寄せて。 バッハのマタイ、いまいちピンと来てない部分が多かったので、ちゃんと考えなおしてみることにした。 自由詩部分のオリジナル試訳とYoutubeにあった音源(アーノンクール)を置いておきます。 続きを読む
音楽 マタイ受難曲 バッハ bwv244 BACH
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あとから書いたまえがき
na / h.k. @noxatra
人は作品に感動するのか、演奏に感動するのか、という究極の問い。
na / h.k. @noxatra
”作品”の目線に立てば、まず演奏には「適切か不適切か」しかない。その「適切」の範囲の自由度で、何かこう、個性的であって良いわけだ。
na / h.k. @noxatra
その適切に演奏された"作品"に感動しているのか、その自由度の範囲に現れた個性に感動しているのか、という問い、といえばいいかな。
na / h.k. @noxatra
それをふまえてだが、今回の演奏会とても感動したよ。「ちゃんと作品の意図するところが伝わってきた」と受け取ってもらいたい。
na / h.k. @noxatra
日々の蓄積ってすごいなと思った。昨日からこれしか言ってないんだけど、知らず知らずのうちに色んな物を得ているし、それはちゃんと形になっている。
na / h.k. @noxatra
そもそもなんで本稿…というか、こんなものを書き始めたかというと、「いかにマタイ受難曲が前提知識無しで理解し難いか、知識に基づいた"解釈"が必要な代物であるか」みたいな部分があったのだが、ある程度分かると、とてもシンプルな構造なのではないかと思い始めるに至った。
na / h.k. @noxatra
マタイ受難曲のテキストと音楽をそれなりに考察してみて、どの部分に一番共感したか。あえてキリスト教的な表現を避けて書くならば、「皆が皆、尊いものに気づかない愚かな存在である」ということと、「それに気付いて悔い改める痛みと喜び」が、一貫して描かれているように感じたところだ。
na / h.k. @noxatra
テキストを詳細に読んでいくにつれて分かってきたこともさることながら、「愚かさ」が強調されればされるほど、「悔い改め」と「赦し」が劇的に浮かび上がってくるされるように音楽的にも設計されているように思う。ペトロですら愚かだった。しかしユダですら赦された。
導入
自由詩の占める度合い、難解さ
na / h.k. @noxatra
テキストの解釈上の疑問点がかなり集積しているのだが、これは一括りに考えられる問題ではなくて、 ①受難についての福音書の記述それ自体の辻褄が合わない問題 ②受難記事のルター派における解釈 ③ピカンダー作詞部分の難解さ ④バッハの処理の問題 この四段階に分けて考える必要がある。
na / h.k. @noxatra
これらをどう処理するのか、という問題が演奏者にはつきまとうだろうし、さらに聴く側となると⑤演奏者がどう解釈しているのか、まで問題になるかもしれない。
na / h.k. @noxatra
ざっくりコープマン版で集計してみる限りでは、 ①聖句部分(合唱セリフ含む)が約44分、 ②合唱/コラール(聖句合唱セリフ含まず)が約34分 ③聖句以外のレチタティーヴォとアリアが約1時間27分 という結果。 実時間の半分はピカンダー作詞によるレチタティーヴォとアリアということだ。
na / h.k. @noxatra
けど、実際問題この③ピカンダーの歌詞と④そのバッハの処理の部分が一番厄介だと思う。とりわけ、歌詞中において一人称のich「私」を誰と考えるべきかすら、聞き手は断定出来ない状態のまま、手の込んだ比喩表現と感情に富んだ音楽的表現を受け取ることになる。
na / h.k. @noxatra
「物語を読み聞かせる」ことを目的としているのならば、この受難曲は"装飾部分"が多すぎるわけだ。ピカンダー作詞部分は外して聖句とコラールだけ聞いたほうがスッキリだろう。逆に考えると、バッハはこの受難曲において受難物語を読み聞かせる事を主たる目的にしているとは思えない。
na / h.k. @noxatra
典礼用に書かれて実際に典礼で使われていたわけではあるが、この作品の性格を「音楽で受難物語を聴かせる作品」というよりも「受難物語に寄せた音楽作品」と捉えるのであれば、やはり教会音楽の範疇から一歩踏み出した近代的な作品ということになる。これはミサ曲ロ短調にも似たような事が言える話だ。
本稿の目的
na / h.k. @noxatra
磯山先生の本で最初のアリアBuss und Reu「咎めと後悔が」をみてみると、、香油を注いだ女はマグダラのマリアだという説を念頭に、フルートの三度のデュエットは当時的には"愛"の表現であって、ここで「私」はマグダラのマリアに感情を重ねたシオンの娘=会衆、みたいな説明がされている
na / h.k. @noxatra
こういう風に詳細に分析していくと果てしなく色々仕込んであるのがバッハなわけだけど、それをやっていると尚更素人お断りになってしまう。なんというか、ある視点さえ持てば全体がスッと心に入ってくるような、そんな視点があるはず。
na / h.k. @noxatra
子細に分け入ったところから推測するという方法で、「この音形はバッハはこんな意味を持っていると考えられるから、このアリアの歌っている内容の背景はこんなはずだ」みたいに考えていくのもよく見かけるのだが、むしろうまく全体を説明出来るコンセプト的なものを先に見つけたい。
各曲考察 -第一部-
Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen

(この時点では、構造的に最も複雑な曲なのでここではパスして、最後に考察する)

na / h.k. @noxatra
実は難しく考えずとも、アリアの歌詞の読み解きのキーは第一曲の冒頭に詰まっていたりするんじゃないかと思い始めた。 「Kommt ihr, Toechter, helft mir klagen」 明らかに"セリフ"なんだけど、これ誰が言っているという設定なのか?
na / h.k. @noxatra
これも磯山先生の本が詳しかったと思うけど、多分一番基礎になるのは、ピカンダー作詞部分は「シオンの娘Töchter Zion」と「信ずる者たちdie Gläubigen」の対話であるという見方。見方というか、ピカンダー自身はそれがはっきりわかる形で出版している。
残りを読む(197)

コメント

na / h.k. @noxatra 2013年9月25日
まとめを更新しました。まえがき、オリジナル自由詩試訳、参考文献を追加。
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