バッハ自筆譜によるマタイ受難曲の解説(BCJ 鈴木雅明 音楽監督)

BCJの鈴木雅明 音楽監督が、マタイ受難曲をバッハの自筆譜とともに解説する。
マタイ受難曲 BCJ 通奏低音 コラール バッハ 鈴木雅明
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ
[マタイ1]いよいよマタイ受難曲連続ツイート行きますよ!長いので少し端折りながら。先日メルケル首相が天皇陛下に献呈された自筆譜ファクシミリには外側の表紙が含まれていません。バッハの死後、総譜は次男を経てペルヒャウという人の手にあったことがわかります #BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/16vXtSJDDp
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Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ
[マタイ2]天皇陛下の手に渡った美しい写本は初演時のものではなく1736年に再演した時のもの。これはよほど気合いを入れて書いたに違いない。第1曲のコラールと福音史家の言葉を、例のない赤インクを使って書いているのだから。赤はもちろんワインと血への連想。 #BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/JE7n6EvUft
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[マタイ3]自筆譜を開いた冒頭から美しい筆致に圧倒される。これは2重の合唱+合奏の作品と思われているが、初めは通奏低音は1群しかなかった。それがわかるのは、バッハの娘婿アルトニコルの弟子が筆写した初稿の写本が見つかったから。左が後期稿、右が初期稿。 #BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/0hiXFk129P
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[マタイ4]第1曲。ゴルゴタへ曳かれ逝くイエスの道行き。彼を慕う「シオンの娘」の2つの群が歌い交わす。さあ共に嘆こう、見よ!誰を?花婿を。見よ!何を?小羊の忍耐を。見よ!どこを?我らの罪を。するとそこに第3群のコラール『汚れなき神の小羊』が響く。 #BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/azT9auHyNl
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[マタイ5]そのコラール『汚れなき・・』はオルガンと歌の斉唱。よく児童合唱で歌われるがそのような指示はない。オルガンにはSesquialteraというストップの指示がある。これは3:2の比を表すラテン語で、12度上と17度上の音を同時に鳴らすこと。典型的独奏用。 #BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/5XqIvsPIKE
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[マタイ6] 第1曲には、全曲のテーマが凝縮されている。私の「罪」、自分が背負うべきであった「十字架」、犠牲のイエスの「忍耐」、そしてそれらのすべてが神の「愛」と「恵み」から出たこと。これさえわかれば、もうマタイ受難曲は第1曲だけでいい。#BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/wEI2r3U37s
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[マタイ7] そうしたバッハの思いを凝縮した音型が3回だけ出現。通奏低音の低いEの音から高いCへの13の階段。低いEは罪深きErde(地上)、CはChristus(またはCreuz十字架)。続く14はBACH(=2+1+3+8)の数字で、彼はいつもオクターヴ下がって十字架を見上げている。#BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/JHDKsBwg4b
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[マタイ8] この音型は単に音の並びではなく、和声の基礎を担うので通奏低音の重要性は計り知れない。その中心はオルガンにあるので、バッハのオルガンの響きに少しでも近づきたくて、通奏低音用のオルガンを製作中。前述のセスキアルテラもあり。#BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/hNVk3Kd39j
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[マタイ9] この受難曲第1部はイエスが捕まるまでの物語。 冒頭合唱が終わるとイエスは十字架刑に処されることを弟子たちに告げる。とすぐに会衆がコラールで反応「愛するイエス、一体何の罪で十字架に?」こうした賛美歌はあたかも現代の私達の気持ちを表すよう。#BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/jTYAMQoqcU
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[マタイ10] 祭司長と律法学者はイエスを殺そうと謀議。第4曲両合唱が競い合って議論「祭の間はやめよう、民衆が騒ぐといけないから」イエスは律法を拒否する革命分子のように思われていたが、「私は律法を廃するためではなく、完成するために来た」と言われる。 #BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/2Iko4XIgBX
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[マタイ11] 話変わってらい病人シモンの家。ひとりの女がイエスの頭に香油を注ぐ。弟子達はその意味を理解せず「もったいない!」と憤る。そもそも救世主を表す語メシアは「油注がれたる者」の意で王・祭司・預言者を指す。ここでイエスの職務が明らかにされる。 #BCJマタイ u0u1.net/7gWE pic.twitter.com/NQwXNz7JCi
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[マタイ12] 弟子の怒りはイ短調からニ短調へ。しかしイエスはそれに答えて変ロ長調で深々と「なぜ女を困らせるのか。葬りの用意をしてくれたのだ」。イエスの言葉には必ず弦楽器の伴奏がついて格別なものに。香油の出来事を受けて、初めての自由詞によるレチとアリアへと続く。 #BCJマタイ pic.twitter.com/hGimoFAibZ
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[マタイ13] 最初の自由詞によるレチとアリア、あまりにも有名なBuss und Reu「懺悔と後悔は」ではアルトが「この女の香油のように、私の悔い改めの涙をあなたに注ぎましょう」。アリアの後半、フルート2本のスタッカートが、涙の滴となって頬を伝う。 #BCJマタイ urx.blue/YVt5 pic.twitter.com/yCnqRUp9G0
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[マタイ14] 続いて裏切り者ユダ登場。「最後の晩餐」ではイエスの右3人目。右手で銀貨の袋を握っている。第8曲「裏切り」をテーマに、第2ソプラノの美しくも凄惨なアリア「血を流せ。私の乳房を吸った子が蛇になってしまった」。涙の滴りは、血の滴りとなる。 #BCJマタイ urx.blue/YVt5 pic.twitter.com/7rvWN5Oc4K
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[マタイ15] 最後の晩餐とは即ち「過越の食事」のこと。過越passoverとは、エジプトで奴隷となっていたユダヤ人をモーセが救いだした故事に従い「神の怒りを過ぎ越してもらう」ための祭(出エジプト12)。そこで屠られるべき小羊として、イエスは十字架につかれた。#BCJマタイ urx.blue/YVt5
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[マタイ16] 第9曲では第1合唱が2度イエスに質問。最初は「過越の食事はどこで?」この曲は3拍子で、器楽の不思議な3和音音型から始まる。実はこのソシレというト長調の3和音は、後にキリストの象徴であることがわかる。G-durのGはGottのG。#BCJマタイ urx.blue/YVt5 pic.twitter.com/1AkK6xSb8I
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[マタイ17] 弟子達の2つめの合唱は、イエスが「この中に裏切り者がいる」と言われたので「主よ、私ですか?私ですか?」と口々に問う。裏切り者のユダを除くと弟子は11人なので、「主よ」Herrという呼びかけがきっちり11回になっているところが心憎い。#BCJマタイ urx.blue/YVt5 pic.twitter.com/Jo6IwqPRWm
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[マタイ18] ところが、ここでイエスが答えるより早く、突然コラールが闖入して「私です!」と叫ぶ。 即ち、これは会衆の叫び。イエスが処刑されたのはユダが裏切ったからではない。私が裏切ったからなのだ。コラールを挿入したのはバッハ自身なので、これは彼自身の信仰告白に他ならない。 #BCJマタイ pic.twitter.com/St3aET9cmq
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[マタイ19] イエスの言葉は通奏低音だけではなく常に弦楽器が伴奏するが、それぞれの言葉の内容を微妙に反映して興味がつきない。第11曲ユダが「私ですか?」と問い、イエスが「あなたの言う通りだ」と答える時、弦の下降音型がイエスの悲しみを表して余りある。 #BCJマタイ urx.space/EvJF pic.twitter.com/zYSeePqE1P
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[マタイ20] ユダの裏切りが預言された後、福音史家はすぐに聖餐式の制定を告げる。「取って食べよ、これは私の体である。杯から飲め、これは新しい約束を記念する私の血である」どちらの台詞も、イエスの旋律と弦楽器が逆行して交差する十字架を表していることは言うまでもない。 #BCJマタイ pic.twitter.com/jO2UH9wQ9Q
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[マタイ21] この最後の晩餐での聖餐式制定は、第9曲b「過越の食事はどこで?」という部分に呼応してト長調で終わる(GottのG)。途中「裏切るのは私ですか?」コラール「私です!」でヘ短調⇒変イ長調と突然の♭の嵐を経てト長調に戻ることで、人間の暗い罪と神の確固たる存在が対比される。 #BCJマタイ
Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ
[マタイ22] 公的で式典的&象徴に満ちた聖餐式制定が終わると、突然オーボエが不気味に漂う。私達が与るイエスの血と肉は十字架刑で裂かれたのだから、思えば凄惨な話。しかしそれが私達に救いをもたらす、という矛盾が第12&13曲に現れる。レチの何と不気味なこと、アリアの何と楽しいこと。 #BCJマタイ pic.twitter.com/jbzYGLDLt0
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[マタイ23] 今日3月21日はバッハの誕生日。彼は321を意識していたに違いない。これはCBAにあたり順序を変えればBAC、H(8)を加えた合計14を何度も自分の数として使っているから。ちなみにマタイの総小節数はダカーポを含めて2800。これは1400の2倍なのでバッハの意識にあったに違いない。#BCJマタイ
Masaaki Suzuki @MSuzukiBCJ
(マタイ番外編) 上記アルファベットの数え方はラテン語式でIとJはひとつ。バッハが数を数えていた証拠は多々あるが、BACH=14でJ.S.BACH=41。J.S.B=29で、長男フリーデマンW.F.B=29、次男エマヌエルも誕生当時Immanuelと書かれたのでC.P.Iはまた29。バッハと数字についてはqq3q.biz/0r53
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[マタイ24] 第14曲「一同は賛美を歌った後オリブ山へ登った」これは、初代キリスト教会が賛美歌を持っていた、という証拠。バッハのレチは実に絵画的。「山に登る」⇒単純な上行音階「私は今日羊飼いを打ち羊の群は散らされる」⇒激しい16音符が上下に。「ガリラヤへ行く」⇒緩やかな上行。#BCJマタイ pic.twitter.com/S3J1PYv0AL
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