猪苗代湖水系の発電所について勉強する

現在の郡山市の西部には原野が広がっていた。1873年(明治6年)、旧二本松藩の士族が入植し開墾を始める。さらに開成社が結成されて開拓が本格化し、国の大事業によって猪苗代湖の水が引かれる。 1882年(明治15年)に通水した安積疎水(あさかそすい)だ。えっと、その流路に作られている水力発電所について(だらだらと)勉強していきます。そのあと、猪苗代西側の発電所について勉強する予定です。(タイトルを「猪苗代湖水系」にしていますが、猪苗代湖は正しくは阿賀野川水系です)
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nao @nao0037

メモ。猪苗代湖と安積疏水について間違って理解してしまうことが多くて反省。猪苗代湖の水を利用した発電所で最初に作られたものは湖西の猪苗代第一発電所ではない。湖東の安積疏水側に郡山絹糸紡績が沼上発電所を10年以上も先に作っている。

2013-09-18 18:47:14
nao @nao0037

メモ。発電所、できた順。沼上1899、戸ノ口堰第一1912、日橋川1912、猪苗代第一1914、猪苗代第二1918、戸ノ口堰第二1919、竹之内1919、金川1919、丸守1921、石山1926、猪苗代第四1926、戸ノ口堰第三1926、猪苗代第三1926、安積疏水管理用2004

2013-09-18 18:50:00
nao @nao0037

メモ。沼上発電所を作った郡山絹糸紡績という会社は1912年に福島紡織と統合され、1923年には日東紡績になって現代に至るようなのだけど、1916年に電気事業を郡山電気という会社に分離している。だから、郡山絹糸紡績と郡山電気は実質的に同じ会社だと思う。郡山電気のその後も気になる。。

2013-09-18 19:47:16
nao @nao0037

メモ。沼上発電所は猪苗代湖の水を使う最初の発電所。湖東の安積疎水流路の水利権を得て郡山絹糸紡績が1899年(明治32年)に運転開始。日本初の高圧送電を郡山市内まで行って紡績・繊維産業の発展に貢献した。その下流、竹之内発電所と丸守発電所は1919年と1921年に郡山電気が運転開始。

2013-09-18 19:39:33
nao @nao0037

これが、郡山絹糸紡績が建設した沼上発電所。1899年(明治32年)に運転を開始。安積疎水の流路に最初に作られた水力発電所。 http://t.co/NhOmazTuz5

2013-10-05 15:52:34
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nao @nao0037

メモ。安積疎水を使って1899年から水力発電を始めた郡山絹糸紡績は1916年に電力事業を分離して郡山電気となり、竹之内発電所と丸守発電所を作り、1925年に東部電力となり、1936年に大日本電力となる。さらにその後が気になる。(参考:http://t.co/C9NE6ruhh8

2013-09-18 23:43:03
nao @nao0037

メモ。安積疎水を利用する沼上・竹之内・丸守の3つの発電所の所有者は、1899郡山絹糸紡績→1916郡山電気→1925東部電力→1936大日本電力→戦時電力統合で1942日本発送電→終戦後の9電力会社への再編で東北電力…になるのかと思いきや、なぜか東京電力のものになっているなあ。。

2013-09-19 00:15:14
nao @nao0037

郡山電気が建設した竹之内発電所。1919年(大正8年)に運転開始。飛躍的な発展をみせる郡山市の電力需要に応えた。 http://t.co/qMVPCC2VH1

2013-10-05 14:56:34
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nao @nao0037

メモ。安積疎水の沼上・竹之内・丸守(大峰)の3発電所は1936年の時点で大日本電力が所有している(http://t.co/J25jWSzOTH)。大日本電力は1942年に解散、3発電所は国策会社が所有する。そして終戦後9つの電力会社が作られる。そのときに東京電力のものになったか。

2013-09-19 01:52:58
nao @nao0037

メモ。湖東の沼上・竹之内・丸守の3発電所を今なぜ東京電力が所有しているか疑問。湖西の猪苗代水力電気は1923年に東京電燈と合併していたし送電先が東京だったから戦後に設備が東京電力のものになった理由はわかる。でも1936年の時点で大日本電力が所有していた3発電所は東京と関係がない。

2013-09-19 12:14:44
nao @nao0037

郡山電気が建設した丸守発電所。1921年(大正10年)に運転開始。当時は大峰発電所と呼ばれた。郡山市の飛躍的な発展を支えた。 http://t.co/ry1VQcdze3

2013-10-05 14:30:59
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nao @nao0037

メモ。安積疎水の流路にある沼上・竹之内・丸守の3発電所は郡山絹糸紡績・郡山電気が郡山市内に送電して郡山市の発展を決定的にした施設。それを今はなぜか東京電力が所有している。東京への送電用に作られた猪苗代水力電気とは対照的に郡山ローカルな発電所だったのに。その経緯を知りたい。

2013-09-19 19:04:25
nao @nao0037

メモ。安積疎水の流路に郡山ローカルな3つの発電所を持っていた郡山電気(前身は郡山絹糸紡績)は、双葉電力、茨城電力、川前電気などを併合して1925年に社名を東部電力と改めて本店を東京に移す。3発電所の送電先は郡山のままだと思う。(参考:http://t.co/WPhnfNShHG

2013-09-19 19:12:30
nao @nao0037

メモ。東部電力は大日本電力という会社に1936年に併合される。このとき大日本電力の供給区域に郡山と平が加わったようだから、安積疎水の流路にある沼上・竹之内・丸守の3発電所はまだ郡山市内に電気を供給しているということだと思う。(参考:http://t.co/8DrYVjxUEX

2013-09-19 19:16:07
nao @nao0037

メモ。東部電力を併合した大日本電力は国家総動員法、電力国家統制法のもと作られた国策会社。3発電所の所有がこの会社に移った1936年には複数ある電力会社のひとつだが、3年後に日本発送電が作られ、大日本電力はそこに統合される。(参考:http://t.co/BNCVx6L7fF

2013-09-19 22:33:55
nao @nao0037

メモ。安積疎水の流路にある沼上・竹之内・丸守の3つの発電所の所有者(水利権も同時のはず)は、1899郡山絹糸紡績→1916郡山電気→1925東部電力→1936大日本電力→1942日本発送電と移り、実質国有化された。でも、ここまでずっと郡山市に電気を送っているようだ。

2013-09-19 22:43:38
aqua (💉×5) @minuit_lumiere

@nao0037 @suci_t 電源獲得競争は、実際あったようです。その後ポツダム政令による電気事業再編成令により、写真の発電所が地域外へ電力を供給することになったようです。 http://t.co/uEH2Y1CEc3

2013-09-19 22:15:00
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nao @nao0037

@minuit_lumiere 1950年の表ですね!最も知りたいところです。安積疎水の流路にある沼上・竹之内・丸守、もう関東地区に属せしめられちゃってますね…あああ、こうなると水利権ごと東電のものです… @suci_t

2013-09-19 22:52:03
aqua (💉×5) @minuit_lumiere

@nao0037 戦中までの話だと思いますが、自分の周りの地域へ電力を販売するために、自社で小さな発電所(水力)を作り日本発送電へ電力を売る会社がいくつもあったそうです。丸守は現在の日東紡へ電気を送るために作られた発電所で、その後再編成で供給地域外へ電力を送るようになったようです

2013-09-19 22:22:21
nao @nao0037

@minuit_lumiere 電力出力が小さな発電所は日本発送電への接収の対象外だったようなので、沼上も竹之内も丸守も、もし大日本電力の手に渡っていなければ実質国有化されることなく、今ごろ東京電力のものではないかもしれないですね。そうか送電先を東京に変えられちゃったんですね。。

2013-09-19 23:10:26
aqua (💉×5) @minuit_lumiere

@nao0037 本当に小さな発電所は、なくなってしまったようです。久慈川にもそんな発電所がありました。もし国有化されていなくても、猪苗代湖系の安定した発電ができる水力発電所は、電力需要の多い関東圏に供給されるように熱望されたことでしょう。

2013-09-19 23:21:28
nao @nao0037

@minuit_lumiere ですね。小さいところが首都圏に売電して成り立つ時代じゃないから、結局は東北電力か東京電力かどちらかに併合されていそう。だけど少し違う未来があったかもと思います。

2013-09-19 23:48:38
nao @nao0037

メモ。安積疎水流路の3発電所は1930年代のうちに国家管理下に入った。いっぽう小規模な会社は元のまま残ったようだ。郡山電気も大きくなろうとしなければ残ったのでは…と思うが、1943年には第二次統合があり、この国で電気事業を営む会社は日本発送電と9つの配電会社だけになってしまった。

2013-09-20 22:34:29
nao @nao0037

メモ。日本発送電と9配電会社は1951年に解体される。どう再編するかには諸案あって、GHQは分割後の会社が遠隔地に発電所を持ってはならないと考えたようだ。でも電気事業再編成審議会の松永会長は、遠隔地からの送電は戦前の実態としてあったとして反対した。(参考「東電解体」奥村宏さん)

2013-09-20 23:50:29
nao @nao0037

メモ。安積疎水の流路にある3発電所は日本発送電の解体されかた次第で行方が決まった。GHQ原案に沿えば今は東北電力のものだったと思う。でも再編委員会の松永氏の案が反映された。GHQが政府にポツダム政令を出させたとき、送電先は郡山から関東地区に変更され、同時に東京電力のものとなった。

2013-09-21 00:48:26