猪苗代湖水系の発電所について勉強する

現在の郡山市の西部には原野が広がっていた。1873年(明治6年)、旧二本松藩の士族が入植し開墾を始める。さらに開成社が結成されて開拓が本格化し、国の大事業によって猪苗代湖の水が引かれる。 1882年(明治15年)に通水した安積疎水(あさかそすい)だ。えっと、その流路に作られている水力発電所について(だらだらと)勉強していきます。そのあと、猪苗代西側の発電所について勉強する予定です。(タイトルを「猪苗代湖水系」にしていますが、猪苗代湖は正しくは阿賀野川水系です)
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nao @nao0037

メモ。ポツダム政令で日本発送電は解体され、施設は原則それぞれの地域の新会社が引き継いだ。しかし新潟県の中津川や福島県の猪苗代などの発電所は関東に属すとされた。関東には安積疎水流路の3発電所も含む91の区域外施設が組み込まれた。(参考:http://t.co/5G7sFOXlgy

2013-09-21 01:09:04
nao @nao0037

メモ。国会図書館が所蔵する1950年12月末付の占領軍GHQ文書、発電所要覧。福島県に、日本発送電が所有する発電所が26ある。安積疎水流路の3発電所が含まれている。他にも東北配電所有が39、常磐炭鉱などの民間企業所有が15ある。 http://t.co/4YANFYOmay

2013-09-21 19:46:23
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nao @nao0037

メモ。GHQ文書1950.12、日本の発電所一覧から No./Plant_No./Pefecture/Owner/Plant_Name/Capacity/Kind 33/21033/Fukushima/Nippon_Hassoden_K.K./Numakami/1,560/H

2013-09-21 20:05:25
nao @nao0037

メモ。GHQ文書1950.12、日本の発電所一覧から No./Plant_No./Pefecture/Owner/Plant_Name/Capacity/Kind 34/21034/Fukushima/Nippon_Hassoden_K.K./Takenouchi/3,000/H

2013-09-21 20:05:49
nao @nao0037

メモ。GHQ文書1950.12、日本の発電所一覧から No./Plant_No./Pefecture/Owner/Plant_Name/Capacity/Kind 35/21035/Fukushima/Nippon_Hassoden_K.K./Marumori/3,850/H

2013-09-21 20:06:00
nao @nao0037

メモ。東北配電というのは日本発送電と同じく国策会社。当時、発電事業は1社に集約され、配電事業は9社に集約されていた。その東北配電が意外にたくさん発電所を持っていたようなのでびっくり。GHQの一覧表にある39箇所のうち"Kidogawa No.2"なんて出力が12100kwもある。

2013-09-21 20:33:03
nao @nao0037

メモ。電気事業が実質国有化された当時、日本発送電にも東北配電にも強制接収されなかった発電所が福島県には15あったようだ。うち最大のものはNppon_Suiso_Kogyo_K.K.のOnahamaで15000kw。次がJoban_Tanko_K.K.のTairaで11000kw。

2013-09-21 20:46:29
nao @nao0037

メモ:安積疎水の流路に郡山絹糸紡績、郡山電気が作り、郡山市の産業発展を決定付けた沼上・竹之内・丸守の3発電所。それを今どうして東京電力が所有しているのか、だいたいの流れが分かった。

2013-09-21 01:39:33
nao @nao0037

メモ。さて安積疎水の流路にある沼上・竹之内・丸守の3発電所だけど、GHQの一覧表を眺める限り、他にも多くある日本発送電の水力発電所というだけで特別扱いされた様子はない。どの水系にあるのかも、送電先も把握されていない。だから、送電先を関東にするというのはGHQが考えたことではない。

2013-09-21 21:02:48
nao @nao0037

メモ。東北電力が1960年に刊行した東北地方電気事業史には「日本発送電東北地区事業史」という章があって、日本発送電の発電所一覧が載っている。安積疎水の流路にある沼上・竹之内・丸守の3発電所はここにも見られ、特別扱いされた様子はない。 http://t.co/geariU4zvx

2013-09-21 21:54:18
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nao @nao0037

メモ。東北電力の1960年刊、東北地方電気事業史。特定の発電所をどこに帰属させるか、政府案と「松永案」の違いが整理されている。3の安積系こそが沼上・竹之内・丸守の3発電所。この政府最終案で政令が出された結果、関東に帰属した。 http://t.co/ROyVJ6G2iy

2013-09-21 22:36:32
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nao @nao0037

メモ。東北電力の1960年刊、東北地方電気事業史。政府が「松永案」を採用した結果、安積疎水流路の沼上・竹之内・丸守の3発電所は、東北地区にありながら、他の18の発電所とあわせて関東に帰属することになった。 http://t.co/MUVw7LmjLg

2013-09-21 22:42:09
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nao @nao0037

メモ。東北電力の1960年刊、東北地方電気事業史。郡山の需要家から安積系は送電系統と利水の実情から東北に属させるべきという要請もあったが、猪苗代系の4発電所と運営を一貫するためという理由で、政府は3発電所を関東に属するとした。 http://t.co/1WVkXtybBD

2013-09-21 23:10:16
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nao @nao0037

メモ。安積疎水の流路にある沼上・竹之内・丸守の3発電所は、いつどうして東京電力のものになったのか。かなり詳しく分かった。1950年に郡山の需要家が「現在の送電系統または利水の実情よりみても東北に属せしめられたい」と言っていることから、送電先は始終変わらず地元だったことも分かった。

2013-09-21 23:32:23
nao @nao0037

メモ。政府が1950年に電力事業 再編案を固めるうえで相当多くの部分を採用した「松永案」を作ったのは、元東邦電力社長の松永安左エ門氏。電力国有化と軍国主義に反発し続けて立場が危うくなり、東邦電力の解散と同時に隠遁した実業家。その氏を政府が電気事業再編成審議会の委員長に抜擢した。

2013-09-22 00:26:53
nao @nao0037

メモ。ここまで調べて、安積疎水と猪苗代湖は1950年に丸ごと関東の電源地になったんだと分かった。福島と新潟が関東の電源地として固定化される瞬間でもあったと思うし、松永氏は間違いなくキーマン。だけど、猪苗代水力電気が1914年に始めた関東への送電こそが物語の始まりだったんだと思う。

2013-09-22 12:21:55