バン校「中ザワヒデキ美術学校」 第二回『美術と音楽』

バン校「中ザワヒデキ美術学校」 第二回『美術と音楽』~現代アートの鬼才が懇切丁寧に教える美術の本質 2013年10月5日(土)17:00開始 講師:中ザワヒデキ(美術家) 出演:sei(声)、河野円(声)、田中淳一郎(声) 続きを読む
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MAYA @uyuyu_uyuyu

人間の性格について、楽観的と悲観的に分けて考えるとして、でも実際は完全に楽観的なだけの人と悲観的なだけの人に分かれてはいないわけで、一人の人間の内にある程度両方あってそのどちら寄りかという話になるとしても、概念の上で楽観性と悲観性を別な概念として分けて考えることは当然できるから。

2013-10-06 02:08:17
MAYA @uyuyu_uyuyu

料理の味について、甘い、苦い、辛い、すっぱいなどあるけれど、甘いだけの料理とか辛いだけの料理に分けられるのではなく一つの料理の中に甘さや辛さや苦みが同時に不可分な状態で一体となっているということはあるけれど、でもただ味の概念として「甘さ」や「辛さ」などに区分することはできる。

2013-10-06 02:08:43
MAYA @uyuyu_uyuyu

映画に関して、一つの作品の中にストーリーや映像や役者の演技など色々な要素が入っていてそれらが不可分だとしても、例えば演じる人だけがいて映像が無いなどとということは有り得ないとしても、その一体となっているものの要素を、要素自体のレベルで分けて考えるということはできるから。

2013-10-06 02:09:09
MAYA @uyuyu_uyuyu

お歌に関して、リズムと音程に分けて考えるとしても、実際には音一つ一つが音程とリズムの両方を作っていて、それらは切り離せるものではないとしても、そういう実際上の問題ではなくて、単に概念として音程というのとリズムというのに分けてそれらの概念を扱うということは当然可能だから。

2013-10-06 02:09:45
MAYA @uyuyu_uyuyu

だから、現実的なレベルで個体をある要素に分けられるか否かということと、ものをそれ以上ないくらい純粋なところまで一つの概念に還元したうえで、思考する上でその概念を分けて扱うというのは別だと思う。

2013-10-06 02:10:48
MAYA @uyuyu_uyuyu

なんか最後に挙げた例だけが適切かもしれない(リズムも音程もあるお歌の場合に限るけれど。)なんて言うか、一つのものに二つ以上の要素があってそれらがくっついていて分けられないという場合に、現実的には分離できないとしても、単に概念としてそれらを別ものとして扱うことはできるという意味で。

2013-10-06 02:16:31
MAYA @uyuyu_uyuyu

それで、純粋に思考のレベルだけで考えても、完全な別物としてキレイにくっきりは分けられないというのもあると思うし、別物として考えられる場合もあると思う。それを検討するときに、実際の現実的なレベルで分けられないという問題を持ち出すとごちゃごちゃになってしまう場合があると思う。

2013-10-06 02:25:54
みそにこみおでん @misonikomioden

タイヒバン バン校 中ザワ レクチャー後のホワイトボード #artweet http://t.co/wuEh2Y388P

2013-10-06 02:31:11
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中ザワヒデキHidekiNAKAZAWA @nakaZAWAHIDEKI

@uyuyu_uyuyu なるほどです! 二項対立話の前提にこの視点も含めておくとよりわかりやすくなりますね。(色彩対形態とは書くけれど正確には色彩性対形態性であると口頭説明するみたいなことも含め。)ありがとうございます!

2013-10-06 11:50:26
中ザワヒデキHidekiNAKAZAWA @nakaZAWAHIDEKI

@uyuyu_uyuyu やや別の方向ですが昨日は多数性対単数性の話に留めたけどその間に複数性(または少数性)が多分持ち出せるのが厄介で面白いです。具体的には二声、三声、四声等のポリフォニーなど。ちなみに多分似た問題を高松次郎は1/2/3と考えてたらしいけど僕は単/複/多です

2013-10-06 11:59:57
中ザワヒデキHidekiNAKAZAWA @nakaZAWAHIDEKI

昨日お越しいただいたみなさま有難うございました!またお忙しいなか駆けつけてくれた「公開練習&ミニライブ」のseiさん河野円さん田中淳一郎さん有難うこざいました!seiさん急遽鶯読み上げも有難うございました!そしていつも美味しい料理のタイヒバンさん有難うございました!

2013-10-06 12:31:05
天沢もとき @motoki_a_a

昨日、バン校「中ザワヒデキ美術学校」第二回『美術と音楽』というイベントの会場で聞いた、美術には「人間のための美術」と「美術のための美術」がある、っていうお話が印象的。「数学のための数学」とか、ロマンティックだ…。

2013-10-06 14:09:37
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI なるほど。単複多についてですが(どうでもいいですが因みに私というかIは、唯一か複数か、1つか2つ以上かという視点しか持っていない立場にいます)。この間のご返信にも「和声法対モノフォニーで(中略)その折衷となるとポリフォニーであり」とありましたが、

2013-10-06 22:16:25
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI こういう意味じゃなかったら申し訳ないのですが、モノフォニー、ポリフォニー、ホモフォニー(あるいは和声的な音楽)が、それぞれその単数/複数/多数に対応するということでしたら、自分はどうしてもそうは考えられないんです。

2013-10-06 22:16:46
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI 多声でもポリフォニーだったり、声部が少なくてもホモフォニーだったりするからです。声部が少なくて和声的な音楽とか、多くてポリフォニーの音楽とかもあるので。例えばバッハの6声の曲とか、声部が6つもあってもポリフォニックなものもあるわけですが

2013-10-06 22:17:02
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI (実際に曲があるかどうかは示さなくてもいいかもしれないですが、とにかく声部が多くてもポリフォニーにすることは可能という意味です)、4声やそれ以下でもホモフォニーはできるわけなので。二声とか三声でも、主旋律対それを支えるものという関係になることは

2013-10-06 22:17:17
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI あるので。例えばボーカルとベースの二声だけだとしても、ボーカルがメロディーをやってベースがそのメロディーに付く和音のベースラインを弾いて伴奏したら、それは声部は少なくともポリフォニーじゃないわけなので、

2013-10-06 22:17:36
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI 複数か多か(少数か多数か)に、ポリフォニーと和声的なものを分けるということは自分にはどうしてもできないんです。それらは少数か多数かではなくて、それぞれの声部がどういう関係になっているか、全体の中でどういう役割を担っているかによって分かれること

2013-10-06 22:18:00
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI だと思うので。「モノフォニーとそれ以外の多声のもの」という対比だったら、お話にあったように一対多という考え方で捉えるというお話を聞いても、とりあえずそこまで違和感はないのですが。モノフォニーなら確かに単一だから、それと多数の音が同時にあるものを

2013-10-06 22:18:25
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI 対比させるという考え方があっておかしくはないと思うので。でも一と少数と多数での3つの対比で捉えるとなったら、ポリフォニーを少数側、ホモフォニーを多数側(とか対位法を少数側、和声法を多数側)とするのは自分にはできないことだなあと思います。

2013-10-06 22:19:41
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI でも中ザワさんの「二項対立とその折衷」のお考えを前提にしたらそうなるというのは、すごく分かる感じがします。

2013-10-06 22:20:10
MAYA @uyuyu_uyuyu

@nakaZAWAHIDEKI 中ザワさんがよくおっしゃっているように、ものの見方は色々あるので(なんでもありはなしともおっしゃっていますが)、とにかくここに書いたことは私の個人的な感覚に過ぎないと思います。長文失礼しました。

2013-10-06 22:20:18
中ザワヒデキHidekiNAKAZAWA @nakaZAWAHIDEKI

@uyuyu_uyuyu 有難うです。僕はホモフォニーは「多」の良い例ではないと思ってます。理由は「一つ」の主旋律線があるから。例えばコード進行だけ取り出したような作曲法があればより「多」的かなとは思います(それで以前「和音進行」という曲を作ったことがあります)。

2013-10-06 22:57:48
中ザワヒデキHidekiNAKAZAWA @nakaZAWAHIDEKI

@uyuyu_uyuyu とはいえ純粋なコード進行だけからも旋律線が聴取できたりするので厳密ではないです(線ではなく点が無数に同時に鳴り響くような状態が「多」のイメージに近いため)。またモノフォニーも分散和音や自己模倣ができたりするので厳密ではないです。

2013-10-06 22:58:49
中ザワヒデキHidekiNAKAZAWA @nakaZAWAHIDEKI

@uyuyu_uyuyu しかしとりあえず作曲法という土俵ではモノフォニー的が単数的、和声法的が多数的かなと僕は思います。ただしこれも線的か点的かとかだったら対位法と和声法、線のままだったらモノフォニーと10000声のポリフォニーのほうがよいなどの指摘はできそうで厳密ではないです

2013-10-06 23:08:26
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