練馬の地名由来と、乗瀦宿、そして貫井二丁目遺跡について

室町時代、道灌状に初めて登場する「練馬」の地名。 この由来は古代の「乗瀦≪のりぬま≫宿」に由来すると言われています。 ところが、この乗瀦≪のりぬま≫宿にも比定地がいくつかございまして…… その有力候補の一つ、貫井二丁目遺跡の意義と講演のお知らせです
4

練馬、の地名について

道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

長尾景春に賛同し反乱した豊島氏との合戦で登場するいくつかの地名。現在も東京都二十三区に名前を残す「練馬」、また、隣接する埼玉県和光市に地名を残す「白子」「川越街道」などの地名の初出が「道灌状」で有るとのことです。

2013-10-04 20:10:23

練馬と乗瀦の関係

道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

東京都練馬区の「練馬《ねりま》」の初出は道灌状とお話しましたが、既に室町期には練馬と呼ばれていたわけです。では、いつからか…一説には続日本紀に見られる豊島駅と国分寺の間の乗潴《のりぬま》駅が由来といわれております……#続

2013-10-10 22:01:56
道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

ところが、この続日本紀の乗潴《のりぬま》駅自体の比定二説ございます。まず一つ目は道灌状における練馬城付近。発音の近さですね。もう一つは杉並区天沼。こちらは続日本紀の「豊島宿と国分寺の中間地点」という記述に当たりますが、決定打がございません。そして近年、第三の候補が…… #続

2013-10-10 22:04:41

乗瀦宿比定地としての貫井二丁目遺跡の意義

道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

続日本紀の乗潴《のりぬま》駅、第三の比定候補地、それが貫井二丁目遺跡になります。こちらは古代の高官が身につけていたであろう細工の細かい青銅の装身具武力としての鉄器硯、文字の書かれた土器片……つまり知識人の存在を暗示する出土品が次々と見つかっており、律令時代の宿場たりえるのです

2013-10-10 22:07:44

講演会応募方法

道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

この遺跡に関する講演会のお知らせです。■11月4日(月・祝) 13時~15時『貫井池と貫井二丁目遺跡』 練馬区立貫井図書館 [練馬区立貫井図書館主催] 10月11日『ねりま区報』で告知、同日9時より受付開始となります。講師は豊島氏と太田道灌の「決戦」のご著者、葛城明彦先生です。

2013-10-10 22:13:38

お詫びと訂正

道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

【お詫びと訂正】昨日の貫井二丁目遺跡に関するツイートで、本来、武蔵国府、と表記するところを誤って国分寺、と表記してしまいました。蔵国府は現在の大国魂神社に比定されております。

2013-10-11 15:07:45
道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

律令時代の武蔵国府に比定されている大国魂神社は、「源義家が奥州征伐の際に参拝しているほか、源頼朝も挙兵の際や奥州征伐の際に参拝していますし、中近世に至るまで常に武士たちの〝心の拠りどころ〟 になっていた神社です。」 #続

2013-10-11 15:09:07
道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

#承前 時代が下っても、変わらず「武蔵の中心」として認識されて おり、同時にあの地点は鎌倉街道と奥州方面への枝道の分岐にもなっていました。」(葛城先生・談) 非常に重要な地点ということでございますね(´∀`)

2013-10-11 15:10:10

のりぬま、の字も間違ってございました。
正しくは乗瀦ですね