山本七平botまとめ/【規範の逆転①】/”情緒的自己満足”が兵士を殺す、戦場という名の「全てが逆転した」世界とは

山本七平著『私の中の日本軍(下)』/S軍曹の親指/126頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①前略…彼がくどくどと言った事を要約すれば次のような事であったろう。 戦場と内地では全く規範が違うつまらぬ情緒的自己満足のため無益に兵士を殺した事が逆に人道的行為のように見え、部下の事を考えて最も的確に処理した事が非人間的冷酷もしくは残酷にさえ見える。<『私の中の日本軍』

2013-10-09 16:39:26
山本七平bot @yamamoto7hei

②私は貴方とS軍曹が上官・部下というより親友であった事を知っている。 だからこそ、貴方の事を遺族に誤解させたくない、また遺族を無用に苦しめたり悲しませたりしたくもない。 私が話す、どう話すかは私に任せてくれ、そして「仏心があるなら」生涯S軍曹の遺族には会わないでくれ…と言った。

2013-10-09 17:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

③彼の言うことは理解できた。 彼が私に注意したのは、一に私への親切からであった。 私は自分の非礼を詫び、まっすぐ東京へと帰った。 しかしその結果、S軍曹の遺族は、「事実」は何も知らされていないことになった。 そしてこれが全日本的規模で行われたように思われる。

2013-10-09 17:39:13
山本七平bot @yamamoto7hei

④一方、彼の言葉は、私にとっては戦場への決別となった。 そして、戦場そのものへ入ったときにも、同じことを逆の立場で言われたのであった。 それは前にもちょっと触れたが、マニラに上陸してすぐ、一人の兵士が日射病(?)で昏倒し心臓麻痺(?)を起したときであった。

2013-10-09 18:09:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤当時は輸送編成で、私は輸送本部付だったが、すっかり慌てて、すぐさま船舶輸送司令部に伝令をとばして野戦病院の場所をきき、倒れた兵士を担送しようとした。 そのとき、本部の先任将校であったS中尉が 「山本!ヤメロ、ほっとけ」 と言った。 私は驚いてS中尉の顔を見た。

2013-10-09 18:39:25
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥私はかねがねS中尉を尊敬していたので、この非常にきつい一言に一瞬戸惑いを感じた。 彼は私を見て言った。 死んだ兵隊のために動いてはナランそれをすると、次から次へと部下を殺す。 彼の言ったことは事実であった。

2013-10-09 19:09:13
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦他の兵士も…「地獄船」の異称のあったあの輸造船の船倉から出てきたばかりで、しかも乾期の真っ最中のマニラの炎天下にいるのである。 もし倒れた兵士を担架に載せて、四人の兵士にこの炎天下を野戦病院まで担送させたらどうなるか――その四人も次から次へと倒れて心臓麻痺を起すかも知れない、

2013-10-09 19:39:25
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧結局それは、一見、人道的・人間的なように見える処置だが、実は次から次へと部下を殺す残虐行為にすぎないのである。 確かに一般社会なら、「もうだめだ」とわかっても病院にかつぎ込み、万全の処置を講ずるのは当然のことであろう。

2013-10-09 20:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨そしてそれをしないのは生きている人間をも大切にしていない証拠だといわれても、一言の反論もできないはずである。 路上に死体が放置され、人が冷然とその傍らに立っている社会などというものは、病的な社会に相違あるまい。

2013-10-09 20:39:20
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩しかし一方から見れば、死者を丁重に扱い、あるいは盛大な葬儀をするということは、死者自体には関係なく、生きている人間の情緒的自己満足にすぎないともいえる。 病院にかつぎ込まれようと桟橋に放置されようと、死者自体は何も感じはしない

2013-10-09 21:09:14
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪従ってこの場合、これを野戦病院へかつぎ込もうとすることは、私の自己満足のための行為にすぎないのである。 もしその自己満足のため無理な担送をやらせ、そのため兵士が倒れたら、それは自己満足のため部下を殺したということにすぎない

2013-10-09 21:39:12
山本七平bot @yamamoto7hei

①…S中尉は何度も何度も 「一般社会の常識的規範を戦場にもち込んではならないそれをすれば、立派な行為のように見えても、結局は部下を殺すだけの事になるのだ」 と私に語り続けた。 そしてそれがいわば「戦場の入口」であり、全てが逆転する地点であった。<『私の中の日本軍』

2013-10-09 22:09:15
山本七平bot @yamamoto7hei

②彼の言うことは理解はできた。 しかし理解できたということは、いざというときにそう行動できたということではない。 いささか自己弁護めくが、われわれは他の民族よりも、情緒的自己満足のために行動し、あるいは行動させる傾向が強いのではないであろうか

2013-10-09 22:39:26
山本七平bot @yamamoto7hei

③「やるだけはやった。やれることは全部やってやった、心残りはない」という自己満足、 確かにあの兵士を野戦病院にかつぎこめば、たとえそれが出発点においてすでに死体であっても、私は 「やれることは全部やってやった」 と感じたであろう。

2013-10-09 23:09:15
山本七平bot @yamamoto7hei

④だがもしその担送の為別の兵士が心臓麻痺で倒れたら、確かに私は自己満足の為部下を殺したとなるであろう。 だがこの事を一般の社会で話したらどうなるであろう。野戦病院にかつぎ込もうとした私が人道的人間に見え、断固これをとめて放置させたS中尉は逆に冷酷無情な鬼畜のように見えるであろう。

2013-10-09 23:39:17
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤南風崎で「行かんで下サレ」と私につめよった兵士が、くどくどと言ったことも、煎じつめればこのこと、 すなわち 「私が冷酷無情にみえて、遺族が不当に悲じむから」 ということであった。 そしてここが「戦場の出口」だった

2013-10-10 00:08:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥「何かのために何かをしてやった」 という情緒的自己満足のため人を殺し、それを人道的行為と考える。 これは「岡本公三の論理」であり、同時に「死者を担送する論理」だが、この論理は実に根強くわれわれの中に巣くっている

2013-10-10 00:39:22
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦赤軍派や学生運動のリンチにもこれが見られるだけでなく、NHKの通信員まで、同じ論理で淡水の工場排水の濃度を廃棄物で高め、この中に魚を入れて無理矢理魚を「虐殺」している。 彼のやった「行為」は魚を殺したということだけで、彼はそれ以外に何もしていない。

2013-10-10 01:08:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧しかし彼は「環境問題キャンペーン」のためで、 「基本的に私のやったことは間違いでない」 という。

2013-10-10 01:39:21
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨「公害キャンペーンのため」といって、むりやり「魚を殺して」虚報を発し、それを「間違いでない」とする考え方は「戦意高揚のため」「百人斬り」という虚報を発し、その結果二人の人間を処刑場に送っても平然としていられる考え方と同じであろう。

2013-10-10 02:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩結局 「何かのために何かをしてやった、それは意義あることであった」 という自己満足のためには、虚偽でも虚報でも無差別銃撃でもリンチでも魚の虐殺でも、何でもゆるされるという考え方であろう。

2013-10-10 02:39:25
山本七平bot @yamamoto7hei

本当にゆるされるのか。 これが「ゆるされる」とするあらゆる美辞麗句は、実は、人間が戦争をはじめたり、虐殺を行なったりするときに、必ず口にする言葉なのである。 この場合の「人」と「魚」との差は、普通の人が考えているほど大きくはない

2013-10-10 03:09:07