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第0ステージ

最初は都電跡の話から

nijougatuji @nijougatuji
小川裕夫著「都電跡を歩く」を読むとあんなに17系統に乗っていたのに知らなかったことが多くて面白い。一つは池袋起点。確かに数寄屋橋は折り返しで何があったわけでもないが八重洲口~一ツ橋を通学路にしていた私はこちらが都心だし 後楽園から先はなんだかひなびた路線に見えていた。
nijougatuji @nijougatuji
その2)私は都電通学がが中学生、高校時代は地下鉄丸ノ内線。というのは家が東上線沿線に移転の結果だが、この東上線の上とは上州を指していたとは知らなかった。未だ上州に至っていないが。
nijougatuji @nijougatuji
その3)八重洲口は東京駅の裏側でしかなかった、ということ。駅舎が作られたのは戦後。八重洲口は私からしたらデパートはあるし商業地域直結の表玄関と思っていた。新幹線が八重洲口を華やかにしたのかもしれない。しかし当時、東京の道路は木で出来ているを地で言っていた事は確か。工事工事の連続。
nijougatuji @nijougatuji
都電の系統別の解説は面白い。ただ著者も17系統のあの学生の多さは想像のほかであろう。学生時代同じ学校へ通う子が呉服橋で深川方面から、常盤橋では小伝馬町方面から、又水道橋、東京駅等国電から乗り換えのさらに遠隔地域の生徒をも、千代田、文京の私立学校群へ運んでいたのもこの都電だった。
六条亭 @rokujoutei
@nijougatuji ご紹介した『都電跡を歩く』を楽しまれたようですね。私は渋谷駅を起点にして都電の各系統に乗っていましたから、17系統はまったく未知の世界ですね。それほど学生さんの利用が多かったんですか!
nijougatuji @nijougatuji
@rokujoutei 通学時間以外は違っていたかもしれませんね、当然ながら。でも朝と下校時は学生だらけでした。大妻、三輪田、和洋九段、跡見、桜蔭、淑徳もいたし。男子校も錦城、電機大付属、など。多かったのは共立。九段方面の学校へは17系統から神保町で靖国通りを通る線に乗り換え。
六条亭 @rokujoutei
@nijougatuji なるほど~。学校名をうかがうと納得できます。当時は都心に学校が集中していたのですね。
nijougatuji @nijougatuji
@rokujoutei そうですね、大学も多かったし。「都電跡を歩く」は17系のあとが14系統でこれは全く都電時代は知りませんが、現在バスに自転車利用経路、で、ここも面白く。でもこの著者の方は明治100年はまだ生まれておいででなっていなかったそうで、嗚呼~と。あれは1968年。
六条亭 @rokujoutei
@nijougatuji 著者の若さには驚くのですが、自分が乗っていた時はただ漫然としていたのを悔いるばかりです。
nijougatuji @nijougatuji
@rokujoutei 本当に。今になって、また、当時を体験していないから見えるものもあるのでしょう。巻末に当然といえばそうですが主要参考文献一覧を乗せてくださっていますのでこれも手引きに。まだまだ拾い読みですからこれからゆっくり楽しみたいと思います。
第1ステージ

都電→玉電→東急鉄道線へと展開

うえぽん @kaorurmpom
中学高校OL時代と17系統に乗り続けたうちの母。信鈴の紐を引っ張って鳴らして車掌に怒られたうちの母。
朝倉玲亜(水瀬玲亜) @Reah_Asakura
うちの母は玉電をリアルに使っていた人だから色々聞いたなぁw 特に日頃から通勤通学で使う地元民にはデハ200形が一番不評だったのは、後年出版されている書籍ではあまり語られていない隠れた事実だったりするし。 デハ200形は沿線以外の鉄道ファンからは人気だったらしいけどね。
朝倉玲亜(水瀬玲亜) @Reah_Asakura
@Atsasebo 理由と根拠は色々あって… 1.低床化のために床下機器を天井裏に積んだため、重心が高く揺れが激しい。 2.ドア連動展開式ステップの不調が多く、展開できない場合は従来車より桁違いの段差で乗降に難あり。 3.中央の単軸台車が転轍機通過時に頻繁に脱線→遅延多発。
@させぼ @Atsasebo
@Reah_Asakura …あー、日頃使うとなると難儀な問題ばかりですねぇ…。
朝倉玲亜(水瀬玲亜) @Reah_Asakura
@Atsasebo 沿線以外の鉄道ファンはその外見だけで語るけど、日頃から使ってる沿線利用者の場合は外見より中身ですからねぇ。 ちなみに単軸台車がスプリング式転轍機に弱く頻繁に脱線した件は書籍にも書かれてるようです。(連接部という上部軽さを逆手にとって人力で復帰させた逸話付)
@させぼ @Atsasebo
@Reah_Asakura 人力復帰ですと…(汗 置き換え間近の車両とかだとファンと利用客の落差はよく言われますが設計に問題があっても同じですね。 
朝倉玲亜(水瀬玲亜) @Reah_Asakura
@Atsasebo 実際整備班泣かせだったのは書籍でも語られてますし、それが世田谷線に残存出来なかった理由の1つにもなってるのはほぼ間違いないでしょうからねぇ。(上町に研修庫を新設する上で、200形専用の設備を省いた方がコストを抑えられるのは明らかだし)
@させぼ @Atsasebo
@Reah_Asakura 少数派で手がかかるとなるとそうなりますねぇ…。
朝倉玲亜(水瀬玲亜) @Reah_Asakura
@Atsasebo 制御器から台車までほぼ全部専用品でしたし、保守面でお荷物だったのは間違いないでしょうからねぇ。 そうなると70形/80形/150形の従来型車輌のみで必要数を確保したのは正しい判断ですね、乗降位置も統一できますし。(200形だけ乗降位置も異なる)
@させぼ @Atsasebo
@Reah_Asakura なるほど…国鉄線でも既存車と比べて保守面でつらいので早くに退いた例はありますからね(C53やらED74やら…)
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コメント

minkanjinmno @minkanjinmno 2013年10月12日
インドあたりじゃ100年ものの蒸気機関車がまだ走ってるらしいですが。
ロバート @asurokku 2013年10月12日
実家の路面電車は低床車両を除きほぼ60歳越えのお爺ちゃんばかりだからなぁ。まあ、鉄道車両の寿命は会社ごとに状況が異なって、それにあわせてと言う感じがあるし
ロバート @asurokku 2013年10月12日
本来なら車両として買い替えする頃合なんだろうけど、お金も無いし整備も運転士もこの車両に馴染み過ぎちゃってるからね。最近の低床車両は、ブレーキも制御系等もまったく異なるから色々と難儀してるし
へぼ担当 @hebotanto 2013年10月13日
JR東日本新津車両製作所の公開は昨日だった模様。>http://www.jreast.co.jp/niitsu/koukai/poster2013.pdf
へぼ担当 @hebotanto 2013年10月13日
新津車両製作所の公開をほぼ毎年見ていると、技術者としてなるほどと考えることは多いし、少しずつでも確実に効率化されている様子が分かりやすい。興味お持ちの方は是非来年来訪をお勧めします。
へぼ担当 @hebotanto 2013年10月13日
電機部品はQC監査でもなかなかに分かりにくいところですが、機械品はなるほどと思うことも多く、以前新津で伺ったら「同業の方?」とは笑い話です。
へぼ担当 @hebotanto 2013年10月13日
真面目なお話、日本車輌と新津、日製笠戸各工場を見学・比較すると、同一系列大量生産に特化した新津と、他社との相違点が分かりやすいかと考えます。勿論、それ以外も気づき点は多数。
へぼ担当 @hebotanto 2013年10月13日
いろいろな見方が有り、設計思想相他考え合わせるとさらに面白いと考えます。何はともあれ、生産現場は設計・研究他とは異なる面白さがあり、お話を伺えることが何より貴重と考えます。
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