ミッシェルさんのお話を聴く会 2019/10/19(土)〜新潟県立環境と人間のふれあい館/に行って来ました by 太陽のイビキ ‏@taiyonoibikiさん

"◎ ミッシェル・デイグルさんが新潟水俣病を語る! 13/10/04  新潟県立環境と人間のふれあい館では、昨年の秋から1年間、新潟水俣病を研究されたミッシェル・デイグルさんから、新潟での体験や研究などお話をしていただく報告会を開催します。 ○テーマ 「社会人類学からみた新潟水俣病を語る」 続きを読む
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ミッシェルさんのお話を聴く会10/19(土)14:00〜県立環境と人間のふれあい館/に行って来ました。ミシェル・DJ・ディグルさんはフランス人。現在、ハワイ大學文化人類学博士課程、講演のタイトルは「文化人類学から観る水俣病〜社会的に作り出される苦しみ、図像、体験と納得」でした。

2013-10-19 22:55:14
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①ミシェルさんは、熊本の水俣に1年、新潟に1年、水俣病患者と過ごし、水俣病全体の意味を自分なりにつかもうとがんばって来ました。

2013-10-19 22:55:49
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②もちろん、この問題はとうてい1年やそこらでつかみきれる問題ではありませんが、これはこのたび日本を離れるにあたってのとりあえずの報告書ということで、不足のほどはご容赦ください。

2013-10-19 22:56:12
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③ちなみにミシェルさんはこの4月にカンボジアの人と婚約しました。おめでとうございます。ミッシェルさんが初めて水俣病の存在を知ったのは、2003年、英語のアシスタント教師として、熊本に来た時のこと。週末、目標も定めず、一人ドライブに出かけて、そこで水俣病資料館を見つけました。

2013-10-19 22:56:45
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④そこに展示された写真に衝撃を受けたそうです。目の前に不知火湾が広がって、見た目にとても美しく住みやすい所、でも、海底には水銀で汚染されたヘドロがたまっていたのですね。

2013-10-19 22:57:16
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⑤さて、さて水俣病が世界を震撼させる契機となったのが、1959年NHKのドキュメンタリー「日本の素顔・奇病の影に」、そして、1960年桑原史成に写真集『生ける人形といわれた少女』(これは、桑原史成『水俣病事件』として、2013年、藤原書店から新編出版されたので、

2013-10-19 22:57:38
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⑥興味のある方は見てください)でした。すぐにW・ユージン・スミスの写真集が、それに続き、ここに水俣病の後に水俣病の決定的なイメージとなる「上村ともこさんの入浴シーン」がは掲載されていました。

2013-10-19 22:58:13
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⑦それによって決定的となった水俣病のイメージは、変形し、あばら骨の浮いた痩せこけた体、自分で食べることも排泄することもできない身体というもので、誰に眼にも非常に強いインパクトを持っていました。

2013-10-19 22:58:40
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⑧これらのイメージの助けを借りることなしに、水俣病が世界にアピールすることはなかっただろうといわれるほどに、それらは水俣病を世界に周知させることに貢献しました。しかし、反面、負の遺産も残しました。一般的に図像(イメージ)は三つの作用を持っています。

2013-10-19 22:59:06
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⑨ひとつは、主観的であれ客観的であれ、政治的であれ芸術的であれ、考えや思想を表すもの。ふたつめは、現実、実は現実そのものではなく、現実を反映したものを表すもの。三つ目は、一般的な表示、様相を表すものです。

2013-10-19 22:59:31
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⑩桑原は自分の写真について「写真は自分にとって記録である」と本の中ではっきり述べています。しかし、図像は、撮影者-被写体-見る人という三角関係の中で始めて成り立つものであります。それは写真だけでなく、たとえば水俣病についての銘名の仕方、ここであげるなら、

2013-10-19 23:00:03
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⑪水俣病、熊本水俣病、九州水俣病、新潟水俣病、小児性水俣病、胎児性水俣病、成人性水俣病、チッソ水俣病、昭電水俣病、劇症水俣病、医療手帳水俣病、健康手帳水俣病....多数のものがあり、

2013-10-19 23:00:24
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⑫ここにもやはり写真のときと同じように、銘名者-被銘名者-世間と言う三角関係のなかで、ひとつの「現実」が作り出されているのです。そして、そこには無意識の内にも、歴史や政治的意図が隠し込まれているということとなるのです。

2013-10-19 23:00:50
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

⑬たとえば、NHKドキュメンタリー、桑原やユージン・スミスの送り出した白黒の強烈なイメージは、水俣病を世界に知らしめるのに大きな貢献しましたが、反面、裁判においては原告患者側に決定的に不利な働きをすることとなりました。

2013-10-19 23:01:15
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⑭なぜなら、水俣病の原イメージともいえるあのモノクロの強烈なイメージは、実は水俣の一部、しかも最も重い症状例であり、水俣病の一般的な症状例ではなかったからです。特に新潟水俣病の患者の多くが、見た目には健常者とまったく変わらない様子だったので(それがむしろ水俣病の一般的な状態です)

2013-10-19 23:01:38
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、⑮彼らは、司法からも行政からもそして一般社会からも「金が欲しくて、病人のフリをしているニセ患者』としてみられ、差別され、孤立することになりました。彼らは、検査の段階でも、水俣病の認定検査だとわかると病院に行ってもカルテを一番下に回されて、

2013-10-19 23:02:05
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⑯普通以上に長い間またされることになったり、視力検査で「見えない」と言っても「嘘をつけ!見えるんだろう」と言われたりしました。県庁に陳述に行っても、泉田知事以前の知事で、まともに会ってくれる知事は一人もいませんでした。

2013-10-19 23:02:31
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

⑰もちろん、裁判官も「嘘つきの怠け者め」という眼で見ていたようです。これは、モノクロのイメージにある患者像が「わかりやすい患者」だったのに対して、新潟の患者の多くが「わかりにくい患者」になってしまったからです。

2013-10-19 23:04:12
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⑱彼らは、世間が期待する図像としての患者像を演じなければならない圧力を常に感じたし、また、患者であることを示すために針でてを何回も刺して出血させるなど、視覚的にアピールしなければなりませんでした。村の中での人間関係も壊されていきました。

2013-10-19 23:06:02
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

⑲では、彼らが偽患者かというと、全くそうではありません。みな、神経の麻痺という水俣病の典型的な症状を示しており、たとえば佐藤真監督の『阿賀に生きる』のなかにも出演されてい元舟大工の遠藤さんは、足に骨が出るほどのひどい火傷を負いました。

2013-10-19 23:06:28
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

㉑神経が麻痺しているので、足が火にあぶられていることに長い間全く気づかずにいたからです。また、他の例として、乗っていた自転車が壊れて、スポークが脚を貫通して出血しているのに、人に言われるまで気づかずにいたそうです。このように、麻痺、しびれなどに患者は実際絶えず苦しめられていました

2013-10-19 23:07:05
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

㉒頭髪からも、非常に高い数値で有機水銀が検出されていました。それにも関わらず、彼らは認定されなかったのです。なぜなら、彼らはモノクロのイメージにあるような「わかりやすい患者」ではなく、見た目には健常者のようにみえる「わかりにくい患者」だったからです。

2013-10-19 23:07:45
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

㉓私は、阿賀野川流域に暮らす日とはすべての人が認定されるべきだと思います。そして1ミリSv/yの場所に暮らすすべての人が被曝認定されるべきだと思います。㉑写真家は、図像がアピールするように、ときには長い時間をかけて「作図」をする必要がありました。

2013-10-19 23:08:11
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

㉔ユージン・スミスは上村トモ子さんの入浴シーンを撮影するのに、3時間もかけたそうです。その間、トモ子さんはずっと「寒い」と感じていたこと、そしてやはりお年頃の女性ですから「恥ずかしい」と感じていたそうです。そういうことは、出来上がった写真の中ではすべて潰されています。

2013-10-19 23:08:38
The Sun Snores Press @taiyonoibiki

㉕ここでこれをもって、写真家の良心云々するつもりは毛頭ありません。むしろ写真家の良心は疑い得ないものだと信じています。ただ、メディアは、常に三角関係の中で成り立っていることを頭の隅っこにおいておかないと大変な事になると言いたいのです。

2013-10-19 23:09:39