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『コクリコ坂から』

秘密保護法が閣議決定されてしまった‥  山形ドキュメンタリー映画祭でパク・スナム監督『ぬちがふう 玉砕現場からの証言』を見て、同著者『アリランの歌 沖縄からの証言』続けて梁石日『Z』を読んだ。第二次大戦末から朝鮮戦争まで、沖縄や朝鮮半島は何が起こっていたんだろう。ここに目を向ける事が却って、この島国の戦中戦後史を調べるより、この島国をよりよく知る手だてになるのかもしれない。
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〇net @netslavezline

鯖ー30-8-6-7 長々、岸先生から抜き書きしたけど‥僕は以上によって‥ <『日本書紀』は壬申の乱から遡って読まなければならない>‥ と、勝手に思うようになった。 ‥岸先生の結論的な部分は、以下のように続けられている。 岸俊男著『日本古代政治史研究』「ワニ氏に関する基礎的考察」より→

2018-05-21 17:51:06
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鯖ー30-8-6-4-6 → さらに天皇和風諡号について云えば、皇極・孝徳・天智・天武の各天皇がいずれも上に「天(アメ)を冠しているから、天押帯日子命の場合も、従ってまたそれを祖とする同祖系譜の成立も、ほぼそのような時期と推定することができるのではなかろうか。>岸俊男著『日本古代政治史研究』

2018-05-21 17:17:55
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鯖ー30-8-6-4-5 → これらのてんから「タラシ」を含む前期‥景行・成務・仲哀・神功の諡号、及びその存在そのものが7世紀前半、舒明・皇極朝前後から天智朝ごろまでの思想的所産であると考えられている。 従って、天押帯日子命の場合にも右に準拠して考えることができるが、 →

2018-05-21 14:32:55
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鯖ー30-8-6-4-4 → と‥和風諡号の中に含まれ‥、同時に7世紀初めの天皇である舒明の諡号が息長足日広額天皇であり、皇極のそれが天豊財重日足姫天皇で、いずれも「タラシ」を含み、また隋書倭国伝でも「倭王姓阿毎、字多利思比孤、号阿輩鶏弥」と、日本の天皇を「アメタラシヒコ」とよんでいる。 →

2018-05-21 14:28:26
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鯖ー30-8-6-4-3 → 景行「オホタラシヒコヲシロワケ」(記・大帯日子淤斯呂和氣‥紀・大足彦忍代別) 成務が「ワカタラシヒコ」(記・稚足彦‥紀・若帯日子) 仲哀が「タラシナカツヒコ」(記・帯中日子‥紀・足仲日子) 神功皇后「オキナガタラシヒメ」(記・息長帯日売‥紀・気長足姫) →

2018-05-21 14:24:25
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鯖ー30-8-6-4-2 →ただ注意すべきことは兄弟(天押帯日子命と大倭帯日子国忍人命)の名称にはともに「タラシヒコ」が含まれている。「タラシヒコ」はすでにしばしば指摘されているように、→ (→景行・成務・仲哀、神功夫妻のの和風諡号に含まれている。)

2018-05-21 14:24:24
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鯖ー30-8-6-4 「ワニ氏に関する基礎的考察」‥岸俊男 <‥孝昭系譜で十六氏の祖先とされた天押帯日子命(紀では天足彦国押人命)からする考察である。 もちろんそれは実在の人物ではなく、その弟、つまり孝安天皇に当たる大倭帯日子国忍人命とともに抽象的観念的に作為された人物であろう。→

2018-05-21 14:24:24
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-6-2 垂仁さんは‥「五十瓊敷命・大足彦尊兄弟に望むものを聞いたところ、五十瓊敷命は弓矢を、大足彦尊は皇位を望んだ。そこで天皇は五十瓊敷命には弓矢を与え、大足彦尊には皇位を継ぐように言った‥wiki」 弟が王位を継ぐパターンは、神話の海彦・山彦をはじめとしてよく現れる。

2018-05-21 13:55:51
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鯖ー30-8-6 淡輪古墳群のうち…まずワカタケ大王関連で、円墳・西小山古墳に注目し書いたが… 近くに‥淡輪ニサンザイ古墳があり、五十瓊敷入彦命の墓とされている。 五十瓊敷入彦命は古王朝の垂仁さんの長男で‥弟の大足彦が古王朝のタラシ大王の最初の人・景行大王(大足彦忍代別)となる。

2018-05-21 13:55:51
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-5-5-2 雄略紀の新羅遠征譚に現れる大伴室屋は‥中王朝の允恭〜顕宗、5代の大王に仕えたオバケ。 雄略は、姦通した妃・百済池津媛の手足を木に縛り焼き殺させたが‥室屋と来目部が執行者。 室屋は東漢掬と共に雄略没直後の星川稚宮皇子叛乱を鎮圧。 大伴室屋は来目部と東漢と共に語られてる。

2018-05-21 12:34:35
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鯖ー30-8-5-5 いや‥今回、伏木くんだりまで来てるのは、大伴氏と田村里の関係を探ってるのであって‥うぷっ ‥それでいうと、壬申の乱以前に大伴氏の根拠地であったらしい大阪府泉南郡岬町淡輪の古い表記が、[田身輪]が…かなり苦しいけど…タミワ→たむら・たんら‥。ま、それはともかく…

2018-05-21 12:34:34
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-5-4-2 「田身輪とは大阪府泉南郡岬町の淡輪古墳群で、ここにも海に面して計40メートルの円墳、西小山古墳がある。刀・鉾・鏃・甲冑など武器と武具だけの副葬品で、魚文で飾った金銅の眉庇付き冑については先に紹介したが、これも5世紀後半の円墳である。」と森浩一さんは書いている。

2018-05-21 11:23:33
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鯖ー30-8-5-4 森先生は高鷲丸山古墳・雄略陵が円墳であり、ワカタケル「獲加多支鹵」鉄剣出土の稲荷山古墳に隣接の丸墓山古墳や、‥雄略紀10年呉から身狭村主青、檜隈民使博徳が帰国した地・筑後川下流の三瀦古墳群の権現塚古墳、御塚古墳など‥雄略と円墳の関係を探るが、西小山古墳もその一例だ。

2018-05-21 11:23:33
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-5-3-2 吉備上道采女大海さんは夫・紀小弓の病死後に帰国、墓をどこに作るべきか大伴室屋を介して雄略に尋ねる。‥雄略さんは、紀氏と大伴氏の領地が隣り合っている和泉国日根郡淡輪村を指定。…「”冢墓”を田身輪村の土師連小鳥に命じて作らせた」‥この墓が現在の淡輪古墳群にあるらしい。

2018-05-21 10:47:36
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-5-3 雄略紀9年条の新羅遠征の主役は紀小弓将軍。遠征の前、小弓は妻が亡くなったばかりだった。この事情を大伴室屋を介して雄略さんに伝える。雄略は吉備上道采女大海を小弓さんに与える。…面白いのは、小弓は戦争・新羅遠征に新妻・大海を同伴する。‥大海さんは小弓の病死後に帰国する。

2018-05-21 10:47:35
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-5-2-2 …この「な往(いま)しそ」で、思い出すのは‥たぶん今は死語だと思うけど、[な]=おまえ‥って言葉‥を小学校に入る頃まで使ってたこと。喧嘩の時など[な]を使ってて‥親だけでなく近所の大人からも、叱られた覚えがある。‥差別的なニュアンスを含む言葉だったかもな‥と思う。

2018-05-20 20:17:02
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-5-2 雄略紀9年条ってのは‥雄略さんが新羅を攻めることを思い立ったんだけど‥カミさんに制止される。 「な往(いま)しそ」‥キミ行っちゃダメだよ‥という言葉によってだった。‥雄略さんは、自分は行けなくなったので、かわりに4人の将軍を新羅へ派遣、その一人に大伴談があり戦死してる。

2018-05-20 20:17:01
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-5 ヲオドさんという越の国に凄い王がいると聞きつけ探し出し‥新しい王朝の大王に仕立てたのが大伴金村とされてるのだけど‥金村の父が大伴談で、『日本書紀』雄略紀9年条に登場する。 ‥この記事には、大伴室屋の名もみえるが、『新撰姓氏録』では佐伯連・佐伯宿禰の祖とされている。

2018-05-20 17:33:43
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-4-6ー3 もし‥天武王朝は中王朝と切れている、無関係だと‥『日本書紀』の編者が書かなければならなかったとしたら?…どういう理由だっただろ? …空想は空想を呼ぶ…彼らが嫌ったのは中王朝ってより、円墳の雄略さんの記憶だったかもなぁ‥ ま‥これ以上展開できないんだけども‥うぷっ

2018-05-20 16:58:58
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-4-6ー2 …ってことは‥『日本書紀』の編者は、ぱっと目‥『日本書紀』に連綿と万世一系の系譜を描きながら、じつは、天武王朝を古王朝に結びつけようとしている。ってか‥中王朝と切れていることを‥こっそり描いてるんじゃなかろうか?(まっ当時は三王朝交替説なんか存在しないんだけど…)

2018-05-20 16:47:13
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-4-5-3 息長帯日売こと神功皇后譚でよく知られるものに、新羅遠征があったりするんだけど、息長帯日売を系譜的に見ると新羅の王子・都怒我阿羅斯等(天之日矛)の末裔だったりする。‥ともかく‥彼女は三王朝交替説的には、仲哀(古王朝最後の大王)の妻で、応神(中王朝の開祖)の母である。

2018-05-20 16:26:11
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-4-5-2 息長帯日売とは、いわゆる神功皇后のことで、物語としての『記・紀』の登場人物の中でも特に架空性の強い人物・空想を誘う人だ。‥この架空性の一端は、たぶん‥古王朝と中王朝をなんとか系譜上で連続させなければならないという編者たちの必要性から生まれているような気がする。

2018-05-20 16:08:39
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-4-5 [足日]はタラシと読む。息長[足日]広額こと舒明大王は、天武さんの父であるけど‥天武さんの母の皇極女王の諡号も天豊財重[日足]姫で、タラシを含む。‥つまり『日本書紀』は、天武さんをタラシ夫妻の息子として描いてる。 ‥他方、[息長]は、息長帯日売を思い出させる。

2018-05-20 16:08:39
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-4-4-2 舒明大王(田村皇子)は、天武さんのオヤジさんだから、『日本書紀』の編者たちも舒明は実在したと考えてたと思う。‥けど、注目度が低い舒明さんを宣伝すべく‥僕は、舒明さんの諡号・息長足日広額からデコパチ大王とニックネームした。 ‥岸先生は[息長][足日]に注目されている。

2018-05-20 15:15:47
〇net @netslavezline

鯖ー30-8-4-4 岸先生は『日本古代政治史研究』に「藤原仲麻呂の田村第」の章を設けている。‥田村里の名称は、舒明大王(田村皇子)に何らかの由縁を持つと思われるけども、その直接的論拠となる資料は見出せない… う〜む、岸先生‥頼りだったんだけど‥。 …しばし、語呂合わせに戻るしかないのかっ

2018-05-20 15:15:47
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