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bibliotaph
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ストレンジボイスはその意味で、非常に脱臭されている。学校の普遍を社会の普遍に接続したがために、本当にどこにでもあるものになってしまい、あるべき背景が崩壊している。
2010-10-12 04:11:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
学校の普遍を社会の普遍に接続する手つきのうまさを自分は褒めているのかもしれない、と思った。その点で『ストレンジボイス』は面白いし、評価できる。
2010-10-12 04:14:08![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@funa1g でもそういう“諦めるしかない”“諦めたフリ”という部分は、濃くしないならしないなりにもっと表現のしようがいくらでもある事柄でしょう。つまりは絶望の濃さが足りない。
2010-10-12 04:14:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
作中のあの状況で「あの程度」と言われると立つ瀬がない。あの濃さがちょうどよいのだと思っているので、その部分が議論の対象にできない。やっぱり題材に対する興味の差が読みにも出ている気がする。自分が過剰に好意的であることは否定出来ない。
2010-10-12 04:19:04![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@funa1g 目を抉られ鼻を削がれ耳を破られ舌を抜かれ、手足をもがれた上でも生きていたいか、という脳内シミュレーションには中学だか高校の時分にYESという結論が出てるので。だからあの程度。
2010-10-12 04:22:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@tomahawque それは部が悪すぎる。そんな状況は想定してませんし、その状況はなる前に裸足で逃げるか、ああいう風に無茶しようとするか、の二択に僕はなっているんで、根本的に読み方が違う。
2010-10-12 04:25:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
あの半端さが現実的で面白いなと思っているのです。現実的という言葉に「」をつけるなら、フィクションにおける「現実らしさ」とかそのあたりの何か。
2010-10-12 04:30:51![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
リプライのやりとりをした感じ、トマ村さんと僕が読んでいるものは明らかにいっしょで、どう受容するかの問題であると感じられるので、再読してもあまりかわらないのではないかと。
2010-10-12 04:35:34![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
@funa1g うん、だから帰り際の前島さんから「再読しなさい」と言われたときに「あの場では流し読みだったのでもちろん再読します」と答えたあとで「でも多分意見は変わらないと思います」って言った。
2010-10-12 04:35:36![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
トマさんが言っていることはあの場から一貫していることに感心している。僕よくぶれるから。テーマへの興味と描き方への趣味のあわなさを論じるだけの時間が、あそこでなかったのが問題、ということだったのかな。
2010-10-12 04:38:28![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
こうやってまとめたおかげで @clambon くんの言ってた「現在では過去と未来に勝てない」の意味が分かる。そこには現在しかない。“悩みが現実っぽい”おかげで、余計にただの現在しかない。
2010-10-12 04:59:42![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
いまいち元ポストおよび発言者の意図がわからないので、あれだけど「現在」を描くことで射程が弱くなっているとしたら、そんなことはないと思うし、「今」しか読めない作品に必ずしもなってしまうとは思わない。でも、それと反対にライトノベルが「今」を描くのをやめてどうするんだ、と思ってもいる。
2010-10-12 05:12:02![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「現在を描くこと」と「現在を引き写す」ことは違うでしょう。文学の、文芸の、サブジャンルである以上、ラノベだって今を反映したものが書かれて然るべきだろうし。
2010-10-12 05:30:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
そっか、だから過去と未来なのか。あるいは異世界でも良し。現在との差別化・相対化に価値を見出すか否か。一方、生の現在から何をすくいあげるか。その違い。
2010-10-12 05:38:53![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
再読したら完成度まわりの評価は持てそうだけど、モノについての評価はますます分かんなくなりそう。見せ方、方向性が見えない(だろう)。好きに評価したらいいんだろうけど、だったら“好きに”評価しないのも選択肢になるわけで。
2010-10-12 05:47:10