- Yukarin_7TP
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一方のドイツ軍にとっては、自国のIII号戦車と比べても勝るとも劣らない戦車を入手でき、西方電撃戦からソ連侵攻まで多用できたことがこの間の勝利の要因の一つになったことは間違いありません。 #gpradio
2013-11-10 22:17:44チェコスロバキア陸軍向けの車両として発注された150両のLTvz.38軽戦車は、一部装備を改めただけでそのままドイツ陸軍向けとして完成しました。『38(t)戦車A型』の型式名は、この150両に対して与えられたものです #gpradio http://t.co/exOXaiCO0N
2013-11-10 22:21:5538(t)A型の車体構造は最前部に変速機と操向機を置き、その後方に操縦室と戦闘室、そして後部に機関室というドイツ戦車と共通するレイアウトで、車体、砲塔ともボルトとリベットを用いて装甲板を結合していました。 #gpradio
2013-11-10 22:26:24装甲厚は車体と砲塔の前面が25mm、側/後面15mm、上面8mm、機関室上面10mmと、軽戦車としては充分な装甲防御力を備えていました。 #gpradio
2013-11-10 22:29:35エンジンはスウェーデンのスカニア・バビス社製の1664型ガソリンエンジンを、プラガ社でライセンス生産したTNHP/S (EPA)直列6気筒液冷ガソリンエンジン(出力125hp)が用いられ、エンジンの直後にラジエーターを配し、その後ろに冷却ファンを備えていました。 #gpradio
2013-11-10 22:32:20EPAと思われる写真を……。海外のサイトで拾った物です。 #gpradio http://t.co/41G0ZS22KY
2013-11-10 22:34:44冷却空気は機関室左右のオーバーハングした開口部から取り入れられ、熱気は機関室最後部のグリルから車外に排出するようになっていました。排気は車体右後部に排気管を伸ばし、横置きに設けられたマフラーに導かれる構造になっていました。 #gpradio
2013-11-10 22:37:05機関室の中央部に置かれたエンジンからはドライブシャフトが前方に伸ばされ、イギリスのウィルソン社からライセンス生産権を得てプラガ社が独自に改良を加えた前進5段/後進1段のプラガ・ウィルソン変速機に導かれました。 #gpradio
2013-11-10 22:44:55車体中央のエンジンをドライブシャフトで変速機と最終減速機に繋ぎ、前部の起動輪を駆動するという方式はドイツ戦車と同様ですね。 #gpradio
2013-11-10 22:48:04操縦室は変速機の後方にあり、右側に操縦手、左側に無線手が座ります。前面の装甲板にはそれぞれに視察用のペリスコープが備えられていましたが、無線手用ペリスコープは開閉式の装甲カバー付きが用いられ、開口部のサイズも異なっていました。 #gpradio
2013-11-10 22:54:37操縦席と無線手席の間にはボールマウント式銃架に7.92mm機関銃ZBvz.37が装備されていて、通常は無線手が射撃を行いましたが、必要に応じて操縦手が射撃を行うことも可能でした。 #gpradio
2013-11-10 22:57:29無線手席の上部にはハッチが備えられていて、車体床板の中央には円形の脱出用ハッチが用意されていました。 #gpradio
2013-11-10 23:01:2738(t)A型の砲塔には前面中央に主砲の48.7口径3.7cm戦車砲UVvz.38、その右側に設けられたボールマウント式銃架に7.92mm機関銃ZBvz.37が装備されていました。 #gpradio
2013-11-10 23:06:053.7cm戦車砲UVvz.38は35(t)戦車で用いられた3.7cm戦車砲UVvz.34の改良型で、重量などが増加していますが装甲貫徹力等のデータは発表されていません。主砲携行弾数は90発、7.92mm機関銃の携行弾数は2700発です。 #gpradio
2013-11-10 23:10:55砲塔上面には車長用キューポラが装備され、周囲に4基のペリスコープが装着されていました。また車長用キューポラの前方には全周旋回式で視野20度、2.6倍の倍率を持つ望遠式ペリスコープが備えらましが、装填手側には視察装置は一切用意されていませんでした。 #gpradio
2013-11-10 23:13:5938(t)戦車A型は59両がドイツ陸軍第3軽機甲師団の第67戦車大隊に配属されて、1939年9月のポーランド侵攻(白作戦)に使用されました。さらに15両が、40年4月のノルウェー侵攻(ヴェーザー演習作戦)にも投入されています。 #gpradio
2013-11-10 23:19:0138(t)A型の本格的な生産が開始された翌月の1939年6月、325両の38(t)戦車が追加発注されました。B型はこの内1940年1~5月にかけて生産された、車体製造番号151~260の110両に対して与えられた呼称です。 #gpradio
2013-11-10 23:24:41C型は1940年5~8月にかけて生産された車体製造番号261~370の110両を指し、1939年9月のポーランド侵攻作戦(白作戦)の戦訓から車体前面の装甲厚を25mmから40mmに強化したのが最大の変化です(戦闘室の前面は以前と同じ25mmのまま)。 #gpradio
2013-11-10 23:30:40前面装甲板の左右にはファイナルドライブ・ギアカバー装備用の円形装甲板が取り付けられていましたが、これを固定するアングル材とボルトにも形状や取り付け位置等に幾つかのヴァリエーションがありました。 #gpradio
2013-11-10 23:35:01また一部の車両ではマフラーの装備位置を上方に移しましたが、これは5基の発煙筒を収める装甲ボックスを追加したためで、以前同様の位置のままで完成した車両も多くあります。 #gpradio
2013-11-10 23:37:1938(t)B型とC型は主として第7、第8機甲師団の編制に充てられました。1940年5月に、両師団には228両の38(t)が引き渡されています。これらは、フランス侵攻作戦で大活躍することになりました。 #gpradio
2013-11-10 23:41:34また第8機甲師団は、1941年4月のギリシャ侵攻作戦(マリータ作戦)でも38(t)を使用して参戦しています。 #gpradio
2013-11-10 23:44:47