○○上杉氏、きほんのき♪
- sadamasa_bot
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上杉氏ってなんだ?○○上杉のそれぞれの意味は?
んっと、唐突だけど、ゴチャゴチャしてる○○上杉家を整理するぞ!上杉家は基本は尊氏殿の母上の実家筋。分家が沢山有って、山内、犬懸、扇谷とかの分家名は、鎌倉でそれぞれの家が住んでた地名だ。山内がほぼ本家って考えて大丈夫だな。1
2013-11-22 22:44:11で。上杉家の役割。室町幕府の出先機関、鎌倉府。ここに尊氏殿の次男、基氏殿からの血筋が「鎌倉公方」って言われるトップについていた。それを補佐する「関東管領」が上杉家の仕事。2
2013-11-22 22:47:51○○上杉家でも関東管領を務めてたのは、山内上杉と犬懸上杉。この二つだ。だいたいここを抑えとけばOK。で犬懸は「犬懸禅秀の乱」以降は没落…だな。そこからは最後、謙信を養子に取る憲政まで、関東管領は山内上杉家になる 3
2013-11-22 22:51:14で。俺様んち、扇谷。これは元々、分家の中でも京都から鎌倉に出てくるのが遅かった出遅れ組(笑)だけど犬懸禅秀の乱で俺様のじい様が奮戦したり、大叔父や親父が奮戦したり…と株をあげて、そのうち、家臣の太田道灌が勝ちまくって目立ちまくった所為で躍進して目立ってるわけだ(笑)4
2013-11-22 22:54:14あんまりにも道灌が頑張りすぎて、主家の山内に匹敵するレベルになり、山内と扇谷で「両上杉」って呼ばれた時代も有る。俺様の頃からなんだけどな。だから江戸時代の史書や創作だとウチも関東管領だった、両管領、とかいうけど、扇谷が関東管領になったことは一度もないぞ 5
2013-11-22 22:56:40んでもって、俺様と同世代で、山内上杉でずーっと12歳から57歳まで関東管領してたのはコレ(-'ω')-な→ @akisada_bot あとはなんか気になることが有ったら何でも聞いてくれ!俺様が一緒に調べるから(笑)家宰の道灌に叱られちまうから、勉強するきっかけをもらえるのは助かる
2013-11-22 23:02:09なんでそんなに知られてないの?解りにくいの?
江戸時代の軍記物語や史書によるイメージ、ステレオタイプって、結構大きいな。俺様達謙信以前の上杉氏が、余り良いイメージ持たれて無いのは……多分、俺様のせいなんだろうな。そこは本当に済まないなあと思っている。そして、それが上杉氏の立ち位置を解りにくくしているかもしれない。
2013-11-24 07:21:21今でもWikipediaなんかには「太田道灌という有能な家臣、武将を殺した先見の明の無い、愚かな扇谷上杉氏は(道灌の予言通り)後北条氏によって滅びることになる。また、道灌の功績を理解しなかった山内上杉氏も、後北条氏に追われ、長尾政虎、後の謙信を頼ることになる」的に書かれてるな
2013-11-24 07:24:28でも、これって、上杉氏を「愚かな先時代の支配者」にしてしまって、鎌倉公方、関東管領、引いては関東での室町幕府の機能すら丸っと無視してしまえる「ショートカット」な気がするんだ。確かに楽チンだけどさ。
2013-11-24 07:27:32実際に道灌に限らず、勢力を持った家宰を主君が手打ちにする事例は少なくなかった。殺されなかったけれど、長尾景春の乱の景春は、白井長尾家に三代連続で家宰職が連続することでの権益集中を避けようとした結果だ。こういう、有力すぎる家臣を抑える「直仕置」を経て権力を確立する流れがあったんだ
2013-11-24 07:32:17強すぎる家臣を抑える「直仕置」に失敗するとどうなるか……解るよな?戦国時代とセットで語られる「下剋上」になるわけだ。つまり、下剋上、の前に直仕置、の流れが有ったってことだ。室町後期の道灌暗殺は、実は当時は珍しくも無かった「直仕置」の一例に過ぎなかった。
2013-11-24 07:35:31ま、旧来の室町幕府の出先機関としての鎌倉公方→古河公方や、上杉氏(関東管領としての山内上杉、相模守護としての扇谷上杉)が、身内争いを繰り返した結果、十分な為政を行えなくなった隙を突かれて、段々と後北条氏にとって変わられた、というのは有るな。それだって一朝一夕ではないんだけど。
2013-11-24 07:41:26「身内争いするなんて、やっぱり愚かだったんじゃないの?」って言われそうだが、別に単に「兄貴じゃなくて自分が公方になりたい!」「管領になって豪遊したい!」から争ったんじゃないぞ(笑)例えば擁立してくる家臣達の生活が懸ってて争いに至る、とかな訳で…上に立つ者の悲哀な。
2013-11-24 07:51:301557~1585。千葉氏29代当主。千葉新介。千葉介。中務大輔。法名常林(琳)。母は海上山城守の娘。正室は北条氏政の娘(芳桂院殿/氏直姉)。後室は岩松守純の娘(東殿)。 戦国鍋TVで取り上げられたことが自慢。饅頭とお茶の次に一鍬田孫五郎(桑田萬五郎)が怖い。姿絵は、ふぉろわー様からの頂き物。ありがとうございます!
と、いうことで、なんとなーく、歴史上での上杉氏のステレオタイプ、と、最近の研究での「たぶん、本当のところはどうだったのか(所謂、史実)」っぽいところを話してみた。あ、あと、過去の事でも、研究は日進月歩だから、史実、も数年単位で変わっちまう可能性を申し添えておくぞ。
2013-11-24 07:46:21