江戸氏はいつ、江戸を去ったのか

ひょんなことから飛び出した、「江戸氏はいつ、江戸を去ったのか」 一般には、わたくし、道灌が江戸城を作る際に追い立てたのだ、と 言われてもございます。 はてさて、江戸氏の皆様との面識はないのですが…… 続きを読む
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このまとめを作るまでのいきさつ
~江戸氏はいつ、江戸を去ったのでしょう?~
私が追い出した訳では実は内容です。
(というか、ご面識がないのです)

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|-`).。oO(というわけで、私も扇谷発祥の地、鎌倉時代を詳しく学ぶべく、畠山重忠公のご案内でこちらの展示に同行させていただきました) http://t.co/D5kqD7mngq

2013-05-05 22:54:33
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畠山重忠 @Shigetada_bot

秩父党惣領。長寛2年(1164)〜元久2年6月22日(1205年7月10日)。桓武平氏良文流畠山氏、父は畠山重能。頼朝さま挙兵に伴い源氏に帰伏する。 写真は実家の深谷市にある銅像、愛馬三日月と。右手が不安定。 【説明書き】https://t.co/GB4ARocveN

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|-`).。oO(秩父党は豊島氏を始め、長尾景春側の繋がりが有りましたからねぇ…所領をまるっとつるっと頂k #コホンコホン ) RT @Shigetada_bot: 江戸氏を始め、秩父党関係の残りを掃討した印象のあるw (もっと大仕事してますが)太田道灌殿がまさかの降臨であるw

2013-05-05 23:13:20
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|-`).。oO(江戸氏の所領と言われている部分は、実は私の父の代からの主君筋、扇谷上杉持朝の書状に既に自領として部下に奉行している事実がございますな。築城時の霊異伝説などが私が江戸氏を追い出した婉曲表現と有りますが、実際は永享時代に遡ると見られます)

2013-05-05 23:26:10
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|-`).。oO(現在の研究では、江戸氏は永享の乱で持氏方について没落したのだろうとみられています :戎光祥出版 扇谷上杉氏 など)

2013-05-05 23:27:57
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|-`).。oO(端的に申し上げると、江戸氏の没落が鎌倉公方足利持氏殿の永享の乱の時代、私の江戸城築城がその息子、古河公方足利成氏殿の享徳の乱での前線基地としてのものとなりますね)

2013-05-05 23:31:12
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|-`).。oO(せっかくだから定期ツイートにでもいれますか)

2013-05-05 23:31:40
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これも何かのご縁ですね(´∀`) RT @Shigetada_bot: 入れてやってくだされ。なんせ元は秩父党江戸氏の江戸城なのに、名前すら一般に知られてない……江戸時代の前の事を知って欲しいぞ! RT @道灌 |-`).。oO(せっかくだから定期ツイートにでもいれますか)

2013-05-05 23:40:10

昨日は畠山重忠公と馬の博物館に出掛けた際のお話を
呟いておりました折、このようなよもやま話が出ました。
折角ですから、この機会に、つぶやいてみようと。

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築城に適した場所を求め、品川湊の沖合を進んでいた私の舟にコノシロ(この城)という魚が飛び込んできた。これを吉兆とし、古利根川の河口に江戸城を築いた、という霊異譚が永享記という軍記物にございます。1.

2013-05-06 17:40:06
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永享記、という軍記物は信頼性が高いと言われておりますが、本日お話申し上げるように、一概には鵜呑みに出来ない部分もやはりございます。2. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか http://t.co/wu34pttJu8

2013-05-06 17:40:26
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この永享記の霊異譚を私(太田道灌)が江戸氏を退去させた婉曲表現とする向きがあるようでございますが、実際は江戸氏はもっと早くに没落していたと見られる書状がございます3. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 17:43:50
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これより先はこちらの書物を元にお話させて頂きましょう。岩田書院 岩田選書・地域の中世 第一巻 扇谷上杉氏と太田道灌 http://t.co/F2mRUa3vhN 4. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 17:46:05
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私の父の世代の主君の一人、扇谷上杉持朝殿の書状に「江戸遠見入道」を家臣に賜るという享徳四年(1455)の書状がございます5. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 17:51:50
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この1455というのは私が23歳、江戸城を築城した頃であります。この頃既に江戸氏は江戸にいなかった。ではいつどこに、なぜいなくなってしまったのでしょうか 6. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 17:55:56
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その手掛かりは、室町期の江戸氏がどういう活躍をしていたのか、に鍵がございます7. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 17:57:17

おや、項番8が抜けてしまいましたね。
室町期の江戸氏は江戸遠江守という官位で嫡流を継いでおりました。
その名は鎌倉公方・足利持氏殿の奉行衆として名を連ねてございます。
ここに鍵が有るようです!

畠山重忠 @Shigetada_bot

道灌殿が、江戸氏の解説してくださってる。私も後の世の事は詳しくないから助かるな。源平の頃、秩父党の中では江戸重長が頼朝さまに帰参する際の橋渡しの役をおってくれた。衣笠城合戦でも軍を率いて来てくれたが。

2013-05-06 17:59:33
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@Shigetada_bot おそれいります、私も関わりのある部分くらいにとどまりますが、少しでも繋がりが見いだせれば幸いです

2013-05-06 18:02:11
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先に申し上げてしまいますと、鎌倉公方足利持氏殿は万人恐怖とも恐れられた時の公方、足利義教殿と対立。諌めようとした関東管領足利憲実殿が不本意にも永享の乱で討伐することとなった悲運のお方です9. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 18:04:48
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この永享十二年(1440)年の乱では鎌倉公方足利持氏殿に従った多くの国人、奉行衆が没落しました10. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 18:08:48
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永享の乱が鎌倉公方、足利持氏殿が亡くなり、続く結城合戦では幼い遺児、春王殿と安王どのが亡くなります。この時討伐に当たったのは憲実殿の山内上杉氏のみならず、我ら扇谷上杉氏もおりました 11. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 18:11:29
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やがて生き残った鎌倉公方足利持氏殿の遺児、後の古河公方足利成氏殿が起こした大乱が、応仁の乱に先駆ける戦国到来とも言われる享徳の乱、私が主に活躍した戦場となります12. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 18:14:34
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結局、私の親の世代で、鎌倉公方足利持氏殿に従った多くの国人たちの所領が、関東管領山内上杉氏に従ったものたちに賜られ、扇谷上杉氏は河越~江戸を実効支配したようです13. #江戸氏はいつ江戸を去ったのか

2013-05-06 18:23:53