- makawakami
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理論て体系化とか一般化とか、一見複雑で難解なものに対して法則性を見出したり、主要な要素を抽出し操作可能にすること、つまり複雑性を低減して再現可能にするためのものだと思っているんだけど、いわゆる建築理論とはどういうものなんだろう。社会一般に広く通用、理解され得るものなんだろうか。
2013-12-02 10:00:58「建築家はこういう場合こんなことやあんなことをしがちだし言いがちだ」っていう「建築家理論」は作れそうだ。
2013-12-02 10:05:35建築は工学の中では極めて再検証が薄い学問だと思っている。光や空気の運動を理論化したものとは別に、どういう空間をつくったら人がどう反応するか、それぞれ検証出来ていないとすると、それは理論とは程遠く延々と仮説を積み上げたものでしかないような。
2013-12-02 10:06:18@_HATORI_ 建築に「理論」がありうるとすると、建築を支えている様々な工学や計画学はすでに理論に満ちているので、それらを統合する「大統一理論」になりそうです。
2013-12-02 10:10:06@_HATORI_ 「偉大な建築は偉大なパトロンなしには成立しない(建築の超ヒモ理論)」というのはどうでしょう。
2013-12-02 10:14:49なにをもって理論とするのか定義、共有されないと、理論やろうぜ!で、みんな違うことをイメージしていて、導入部分で堂々巡りみたいなことになりはしないか。
2013-12-02 10:16:08盛大にフイタwww “@hajimebs: @_HATORI_ 「偉大な建築は偉大なパトロンなしには成立しない(建築の超ヒモ理論)」というのはどうでしょう。”
2013-12-02 10:16:40建築だって都市だって、あるスケールから見ればランドスケープエコロジーの文脈で理論化できるほどの輪郭をもった動きを普通にしていると思うのだが、話がややこしいのは私たちがその「中」にいるために、実際に触れる都市や建築と、広域に見られる理論との乖離が強く感じられることなんじゃないか。
2013-12-02 10:37:51量子力学の理論が私たちの身の回りのナイーブな物体世界と乖離していても文句を言われないが、都市や建築はその理論と私たちをとりまく都市建築環境との乖離があると「理論が役に立ってねえじゃねーか!」と文句を言われる、というような。
2013-12-02 10:40:53深尾先生の会で内田祥哉先生にお会いしたのですが、「構法こそ設計と接続しなければいけない」と仰っていました。研究者はRC造とか木造とか専門分野の研究はできるけれど、そもそも「木造にするかRCにするか」を考えるのも構法で、それは設計の役割だと。 @_HATORI_
2013-12-02 10:46:36つまり理論も似たようなもので、細分化された分野での理論と、統合のための理論というのは両方あってしかるべきなんじゃないかなと。 @_HATORI_
2013-12-02 10:47:30おそらくビッグデータ解析においても、数十万件のジオタグツイートを一つ一つ読んでいくような手作業にこそ、発見のヒントが潜んでいる。物事を俯瞰的に捉えようとするほどに、微視的な視点が必要だとおもう。
2013-12-02 10:49:02@strito それはそう思いますよ。その細分化した理論の中でも、どれが理論として通用するものなのか、業界固有の思い込み状態でしかないものなのか、棚卸しが必要かなと。あらゆる専門性が信用されにくい世の中で、関節的にでも客観的に検証可能でないものはやはり弱いですよ。
2013-12-02 18:28:22@_HATORI_ そうなんですけど「客観的に検証可能」が「共有可能性」のみに読み替えられちゃって、それしか「信用」に接続できないというのは良くないなあと思うわけです。専門性が信用されにくいのは確かだけど、専門的であることに臆病になっちゃうというのはキツい世の中だなあと思うので。
2013-12-02 18:36:25