- makawakami
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日埜直彦
@naohikohino
@strito @_HATORI_ 僕は伊藤さんに賛成で、そもそも英語だとTheoryですよね。単に「説」である場合があって良いんじゃないですか。検証可能でない場合があっても、そこからモノが違って見えてくればリアルなわけで。そこが変にオブセッションになると健康じゃないと思います。
2013-12-02 18:43:04
日埜直彦
@naohikohino
たぶん建築論に対する諸々のわだかまりってのはそのなんと言うか変に啓蒙的に見えるルックスに由来するんじゃないのかな。上から目線的ななにかっていうか、解読不能なのにぶち当たって理不尽な感じとか、まぁそういう。そんなのなくても設計は出来る、けどそんなこんなからなんか出てくることもある。
2013-12-02 18:50:12
日埜直彦
@naohikohino
人間はどうも素朴に想像するほど簡単じゃないし、社会もまたそうだし、モノを作るってこともまたそうで、そこでその素朴さを脱ぎ捨てるために言葉を使ってきて、その意味で素朴さに閉じこもるのを切り開くために言葉があるんでしょう。
2013-12-02 18:51:41
羽鳥 達也 Tatsuya Hatori
@_HATORI_
@strito 分かりますよ。客観的にというのは誰にでも検証可能ということとは違いますし。臆病にならなくてもいいように、客観化しようとしないと。その理論の価値がどこにあるのか、もっと金にならない理論を研究している人達は科研費を取るために必死に、頑張りますよね。そういうの無いなと
2013-12-02 18:53:32
羽鳥 達也 Tatsuya Hatori
@_HATORI_
@naohikohino @strito ええ、そもそも建築理論(単なる説を含む)を共有出来ていれば内向きの議論はそれでいいと思いますよ。伝統的にはそうしてきたわけですし。
2013-12-02 18:59:57
羽鳥 達也 Tatsuya Hatori
@_HATORI_
@naohikohino いやニュアンスはちょっと違いますね…なんというか。例えばおさまりはこうした方が綺麗だというセオリーがあっても、そんなんいいから既製品で安くおさめてで終わる訳ですよ。そういう曖昧なところを支えてくれる理論がどれだけあるのかと。(例え微妙ですが…)
2013-12-02 19:08:53