F/T13シンポジウム「演劇の未来」
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【F/Tシンポジウム】「演劇の未来」を担う若者へ 岡田:(大喜利みたいですね!と言いつつ…)自分がつくるもの・やることが、見る人・受け取る人に対して持つ働きを、見ることができるようになりなさい。そしてそれを扱うことができるようになりなさい。それができればあとは何もいらないと思う。
2013-12-02 21:38:20【F/Tシンポジウム】「演劇の未来」を担う若者へ 高山:自分に嘘をつかず、感覚を正直につかむこと。そしてその感覚をもう一方で信じないこと。発言する前に自分を疑うこと。信用できる先生を見つけられれば、自分の感性が否定される瞬間が訪れるので良い。F/Tで言うなら相馬さんのような存在。
2013-12-02 21:37:14【F/Tシンポジウム】「演劇の未来」を担う若者へ ヴェッツェル:F/Tのような演劇ができるフィールドが若者にとって重要。様々な冒険ができるし可能性を探る良い機会。いろいろな人に出会うし、何より自分自身に出会う。反社会的な行為も、こういう場ならできることがあるでしょう?
2013-12-02 21:34:46【F/Tシンポジウム】「演劇の未来」を担う若者へ カープ:好奇心を持つこと。妥協したりすぐ満足したりしないこと。
2013-12-02 21:34:04【F/Tシンポジウム】「演劇の未来」を担う若者へ レーマン:ブレヒトは、才能とは何かと問われて「才能とは関心である」と答えた。何事にも関心を持つ事が大事。それによって学ぶことが山ほど出てくるでしょう。
2013-12-02 21:33:15【F/Tシンポジウム】シンポジウム後半部分の皆さんの言葉を一部ご紹介致しました。シンポジウムの最後に、登壇者全員から「演劇の未来」を担う若者にアドバイスがありましたので、続けてご紹介します。
2013-12-02 21:32:25【F/Tシンポジウム】[演劇の言語について]宮沢:イェリネクの戯曲は、普段戯曲を読んだときに感じる舞台上の時間や空気の流れ方が想像できなかった。これは言語と書かれ方の問題。意味がわからない言葉は、これは音なんだと理解することで、逆に音楽を演奏するかのように演出することができた。
2013-12-02 21:13:22【F/Tシンポジウム】[劇場の内と外について]高山:作品をどこでやるかはそれほど重要ではない。演劇で一番扱わなければいけないのは自分の体にまつわりつく身体所作、身振り、習慣的な時間、空間の感覚。それらを「自明」と思わないように、どのようにしたら感覚をずらせるか、を考えている。
2013-12-02 21:11:56【F/Tシンポジウム】ヴェッツェル:『100% トーキョー』は、普段劇場に行った事のない人達によって、岡田さんの言う「キャラクター」がたちあがったということが面白い。普段舞台にいる俳優は客席で観ていた。役割を交換することによって、普段演劇で何が起こっているかが見えてくる。
2013-12-02 21:10:52【F/Tシンポジウム】岡田『100% トーキョー』の感想:感動して泣いてしまった。舞台上にあるキャラクターがいて、それが演技をするというとても古典的な演劇。そのキャラクター=東京が感動的だった。東京は僕にとって複雑な感情をかきおこすキャラクター。 これぞ「ザ・演劇」だと思った。
2013-12-02 21:09:37こうは書いたものの、F/T シンポジウム、面白かったです。何よりも作家の方々の直接の声を聞くというのは貴重な時間でした。まだ見れていない作品も徐々に通おうと思います。
2013-12-02 20:54:17F/T シンポジウム で感じたことをまとめました。(Twitterに書いたものをまとめました) 自分にとっても、他人にとっても何かの気づきになればと思います。 http://t.co/8IJF6QkA7t
2013-12-02 20:48:04言いたい放題で、怖いけど。相馬さんが「発言することを恐れないことが大事」とおっしゃっていたので、私は責任をもって自分の声を書きました。これ以上書いても何も無いので、Twitterから離れます。
2013-12-02 19:21:39少なくとも思うことは、日本の文化は今、ジャンルに分かれすぎてしまっている。美術は美術、音楽は音楽、演劇は演劇、文学は文学みたいに。この壁を打破したいと私は思います。文化の細分化なんて、どこも魅力じゃない。総合芸術なるものを作ろうとする日本人になりたいし、そんなものを見てみたい。
2013-12-02 19:21:22能が演劇なのかとか、謡は音楽なのかなんなのか?ということについての答えは多分この先ずっと出ないと思う。宮沢さんの光のないが音楽みたいだと感じるのも、能の謡のように聞こえるというのもあるなと感じたし、戯曲そのものと能との関連性が強いからだとも思う。
2013-12-02 19:15:32今日は東京ヘテロトピアめぐりをしてから、シンポジウムに。これで私の今年のF/Tツアーは終わりです。明日は恵比寿と東京で植田正治三昧して、京都に戻ります。
2013-12-02 19:13:21そもそも私は音楽について何も語るつもりはないけれど、語らなくともそれが私の中にあればいいだけの話で。そういう問題は音楽だけじゃなくて演劇も同じ地点なのかなと感じたのです。
2013-12-02 19:11:13語るな、という風に私には聞こえた。これは批判なのかな?そんなつもりはない。ただ、私が世界に向けて私が何者であるのか?を語る時に「私は日本人です。」と言うだろう。その時に日本人としての歴史を語れる日本人になりたい。その上で世界の歴史と対峙して、自らの作品を語れる日本人になりたい。
2013-12-02 19:10:11シンポジウム行ってきた。持って帰りたい言葉がいくつか。来れてよかったー。ちゃんと挨拶したかった人、すこし居たのだけど、帰る
2013-12-02 19:07:18そういう観点から、最後にドイツ人が関心を持つことといったのは、あまりに日本人が日本文化について何も語ることができなかった、そして、ドイツ演劇の言葉の要素が実は演劇の流れではなく、音楽の要素から組み立てられて成立したものもあること、そういう文化の集合体であることを知らずして歴史を
2013-12-02 19:03:52人間としての本質は変わらずあれど、人間の知覚作用がどの人種なく作用するとしても、歴史を共通の認識で語っていいのか。少なくとも、日本で初の演劇と言われているのは能なのだから、(能が演劇ではないという能関係者の方はいると思いますが)能のこと位話せないと、歴史とか語っていいの?と。続
2013-12-02 19:01:55はて、今日のドイツ人から見た日本人はなんだったのか。彼らは、必然とした歴史をしっかり受け継いだ上で新しいことを起こそうとしている。日本人は日本人であるにも拘らず、西洋人と同じ文脈で演劇を語ろうとしている。もうそこからして論議がズレてしまっている気がしてならない。人間として、続
2013-12-02 18:58:59向き合おうとしてないからなんじゃないかと思えてならない。そういう私も西洋音楽の文脈で今日の音楽をしているので、日本の音楽と真に向き合えているかといえば後ろめたい気持ちにはなるけれど、少なくとも日本の文化を知った上であえて西洋の楽器を使って西洋的な発想に基づいて作曲している。続
2013-12-02 18:57:15