小机城代・笠原氏の墓参り

父上の代からの家臣、笠原氏の墓参りに行ってきたぞ。
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北条氏綱 @hojo_ujitsuna

今日は北条家累代の家臣笠原のじい様の墓参りに行ってきてな…笠原のじい様のことをどう紹介したものかなあ、と思ったら、先の自動絡繰で紹介した「横浜の戦国武士たち」http://t.co/Z1Y0pubq4E が良いと気付いたのだった http://t.co/wsLraCI0fw

2013-12-04 00:28:15
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小机城と笠原氏

北条氏綱 @hojo_ujitsuna

笠原氏は、最近では映画「素敵な金縛り」の落武者・更科六兵衛殿のモデルとされるのは末代の養子元々は父上の生まれ、備中国荏原庄から付き従ってきた最古参の忠臣一族だ。太田道灌殿が滅ぼして以来、40年間廃城だった小机城を再興し、城代となる http://t.co/qNNsVO07sk

2013-12-04 00:40:08
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道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

【史蹟】小机城: http://t.co/KvC9PXkq 日産スタジアム西(左)、第三京浜に貫かれた小山。ゴール裏コンコース(北)から見える。アウェイ側(南)、労災病院左、亀の甲橋奥の小山が道灌の対陣、亀の甲山【小机は、まず手習いのはじめにて、いろはにほへと、ちりぢりとなる

2013-12-03 20:10:29
道灌bot@自動ツイートは休止 @doukan_bot

【史蹟】小机城:長尾景春の乱平定で滅ぼされた城。中世に多い石垣の無い城で道灌に滅ぼされたのが初出である。当時の城主は小机弾正とも矢野兵庫助とも。前年に滅ぼされた豊島氏も合流していたというが近年の研究では史書の誤読とも。落城に二ヶ月を要し道灌は士気向上のため小机は~の戯歌を作った

2013-12-03 23:10:31

雲松院への道のり・境内の様子

北条氏綱 @hojo_ujitsuna

小机城は日産スタジアムと同じ側だな。そちらとは線路、駅の反対側に有るのが笠原氏代々の菩提寺、雲松院だ。改札ロータリーを抜けて正面のローソンから、大通り沿いに一区画歩いた先に、この碑が目印となるので、そこを曲がる http://t.co/8LSetSmwZf

2013-12-04 00:44:44
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北条氏綱 @hojo_ujitsuna

正面がもう、雲松院なので、山門右手、通用門から静かに入ろう。墓所は本堂左手奥、墓地の一番上http://t.co/CwsKcWfjQr

2013-12-04 00:47:13
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北条氏綱 @hojo_ujitsuna

笠原氏代々の墓。寺伝によればここは父上の代の笠原能登守信隆を弔うために、その息子の信為が建てた少し神大寺(かんだいじ)をこの地に後に移したものだとされる。 http://t.co/eTwjO1KsR9

2013-12-04 00:50:49
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北条氏綱 @hojo_ujitsuna

雲松院の古文書によると、信為は、父上の菩提をこの寺でも弔うための料金として、土地を寄進している記録があり笠原氏が父上以来の家臣で有る事を裏付けている。写真は同笠原氏墓所の一角 http://t.co/2P24CWMzCz

2013-12-04 00:54:04
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北条氏綱 @hojo_ujitsuna

笠原信為の忠義は武勇にも現れ、天文七年の里見義堯との合戦には小机衆を率いて奮戦、北条の勝利に大きく貢献しhttp://t.co/YcZzNXeBV4

2013-12-04 00:58:44
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北条氏綱 @hojo_ujitsuna

余談だが小説・早雲立志伝では笠原信隆が上杉定正殿に馬●を投げつけそうな、意気軒昂な親父で、信為は繊細そうな少年時代が描かれている。その後日談、氏康と綱成を主人公とした北條龍虎伝では、信為も親父の同様の頼もしい老将となっておった(笑) http://t.co/Z5w8ZfVXzI

2013-12-04 01:07:35
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北条氏綱 @hojo_ujitsuna

こんな所で、笠原のじい様の墓参りレポはお仕舞いだ。連投失礼した、おやすみ

2013-12-04 01:08:27

関連書籍:横浜の戦国武士たち

北条氏綱 @hojo_ujitsuna

ふと気づいたのだが、有隣堂の「横浜の戦国武士たち」…著者が、あの北条クラスタ垂涎の「後北条氏家臣団人名辞典」の下山治久先生ではないかと。横浜市域の笠原氏、松田氏、他多くの家臣について詳しいお手頃価格の一冊だ。http://t.co/Z1Y0pubq4E #自動絡繰

2013-12-03 22:14:47
北条綱成(黄色いやつ) @tuna1546

北条氏康の義弟であり、北条軍の地黄八幡こと、 北条綱成のなりきりアカウントです。 創作キャラのため、不快に思われた方や苦手な方はブロック等お願い致します。 ※キャラへの意見や苦情は直接お願いします。ぱろでぃです。

北条綱成(黄色いやつ) @tuna1546

あと、氏綱様の自動呟きにて紹介されている横浜の戦国武士たち(下山治久著、有隣新書)』北条氏に仕えた家臣について知りたいときに読んで欲しい本です。勿論兄上についても書かれております。私?私のことも書かれてますが、元々の資料が少ないので…あはは。

2013-12-04 15:36:02
北条綱成(黄色いやつ) @tuna1546

。0(玉縄衆って激戦地に派遣されまくりですよ、いや本当に)

2013-12-04 15:43:31

○○衆、特に玉縄衆と小机衆について

北条氏綱 @hojo_ujitsuna

玉縄衆は現在でいうと大船駅にほど近い……鎌倉への要害、また、対岸の房総からの海上の要害という事で勝千代(綱成)や弁千代(綱房)ら頼りになるものを配しておったため、大変な任務をお願いする事が多かったなあ……すまない

2013-12-04 19:12:09
北条氏綱 @hojo_ujitsuna

む、いまの表現は余り良くなかったかな。現在の大船駅に近いのは玉縄城であって、玉縄衆のメンバーはそこから広範囲に存在している。○○衆、というのは戦《いくさ》や為政の時の指揮官は誰か、ということだな。

2013-12-04 19:17:20
北条氏綱 @hojo_ujitsuna

本城から離れた場所にも○○衆がいた、という話だと、実は横浜市内の六角橋(現在の神奈川大学の辺り)や神奈川湊まで玉縄衆とされた事も有るのだが…横浜には昨日の笠原のじい様(信為)がおってな。「ウチ(小机城)の目の前なのに何で玉縄衆なんじゃ!小机衆しゃろ!」と怒鳴られた事もある(笑)

2013-12-04 19:32:53
北条氏綱 @hojo_ujitsuna

そんな笠原の信為じい様の可愛らしい少年時代が書いてある、こちらの小説を読んでいたら、「かーっ、遊んでないでさっさと印判を押さぬか!」と照れられてしまった。ははは http://t.co/jvmBkfd1sm

2013-12-04 19:36:28
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