コンテンツ文化史学会2013年「キャラクター」大会1日目 #jachs のまとめ
本日13時より、東京都港区で開催されるコンテンツ文化史学会「キャラクターを作る/動かす/考える」にて、研究発表を実施いたします。(学生の方は入場無料です) http://t.co/up8u94tW8U #jachs #ぷよぷよ http://t.co/m1g1jwXAUY
2013-12-07 01:47:43到着 #jachs http://t.co/U2TYVBUdnp
2013-12-07 09:35:01まもなく! #jachs http://t.co/L3dEaZvky0
2013-12-07 10:18:07会場前に着きました、コンテンツ文化史学会大会2013! #jachs http://t.co/NITEmJ79nk
2013-12-07 10:29:20【朗報】控え室に案内してくれたお嬢さんが、廊下で迷うドジッ娘さんだった (※ こちらの属性についての発表は、他の方にお任せいたします) #jachs
2013-12-07 11:10:51コンテンツ文化史学会初日@東海大高輪校舎の最初の報告>日高良祐(東京芸術大学大学院 博士後期課程)「DTM文化の盛衰―1990年代のアマチュア・ミュージシャンによるMIDIデータ流通―」 http://t.co/lN8rpCWQjl #Jachs
2013-12-07 11:11:45日高良祐(東京藝大博士課程):音楽実践における技術のコンテクストを考えると、「DTM文化」におけるパソコンマニア・オタク的な立ち位置は無視できない。「DTM文化」の射程は90年代のパソコンユーザとする。#jachs
2013-12-07 11:13:10日高:MIDIは、パソコンをインタフェースとしてプログラムソフトウェアと音楽をつないだ。80年代半ばはPC98をベースとしてシステムを組むと総額100万円ほどになったが、1988年にRolandの「ミュージくん」が10万円弱で販売されることで一般ユーザに訴求できた。#jachs
2013-12-07 11:15:29日高:Rolandは「ミュージくん」の発売に合わせてコンピューターミュージックではなく、DTMという語を用いるようになる。パソコンに詳しいアマチュアミュージシャンを中心とするDTM文化の端緒。パソ通・草の根BBSを通じてMIDIデータが発表された。#jachs
2013-12-07 11:18:23日高:SMF、GM、(言及されなかったけど、MT-32やCM-64、その後のGS、XGなんかもそうだね)などの標準によって(本来機器依存である)MIDIデータが流通できるようになる。これらの大半は「耳コピ」。1991年にJASRACは実験としてパソ通での頒布を認める。#jachs
2013-12-07 11:22:46日高:DTM文化は、DTMデータ制作を支える技術的背景、それらを発表・共有・聴取できるパソ通環境によって成立していた。しかし、1997年の送信可能化権の明記、2001年にJASRACは実験を終了し、ネット上のルールを定め利用料を求めるようになる。通称「MIDI狩り」。#jachs
2013-12-07 11:26:19日高:しかし90年台に盛り上がった「DTM文化」の縮小は、「MIDI狩り」だけに帰すのは不適当。例えばNiftyがFMIDIの後継としてインターネット上に公開したフォーラムはコケた。パソコン・ネット環境が2000年代に変容していったことにも留意しなければならない。#jachs
2013-12-07 11:28:34いやあ懐かしい話だった! 大枚はたいてW-30とかSC-55買ってた俺は、「パソコン文化」より楽器界隈に寄っていたので、日高さんのいう「DTM文化」とは少し距離を取っていたことを思い出したよ。#jachs
2013-12-07 11:35:07コンテンツ文化史学会・第二報告です>高橋聡太(東京芸術大学大学院 博士後期課程)「呼び屋と聴衆―戦後日本のポピュラー音楽産業における招聘コンサートの文化史―」#Jachs
2013-12-07 11:47:34警備会社とコンサートってなんかつながりあるのだろうか #jachs
2013-12-07 11:51:04高橋:1950年のケニー・ダンカンが来日した時の「でっち上げ」的なショウに見られるように、50年代初期の呼び屋は極めて投機的だったが、経済発展と合わせて60年前後から呼び屋は全国に展開し、海外のアーティストをどんどん呼ぶようになる乱立気を迎える。#jachs
2013-12-07 11:56:08