茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1118回「紙一重の、何でもあり」

脳科学者・茂木健一郎さんの12月14日の連続ツイート。 本日は、今朝、思ったこと。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第1118回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、今朝、思ったこと。

2013-12-14 07:35:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(1)あなたの前に、ある男が来て、いきなり、「私の父は天なる神である」とか言い出したら、困ったなあ、と思うというか、早くなんとか言いくるめて帰ろうと思ったり、逃走経路を確保しようと、きょろきょろと見回すことであろう。当然である。その人はちょっとイカレテいる可能性が高いからだ。

2013-12-14 07:37:06
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(2)ところが、無数のイカレタ男の中に、ごく希に、本当にものすごく 希に、「本物」がいるのかもしれない。このところ、「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」を聴いていて、バッハにこれだけの美しい曲を書かせるインスピレーションを与えたキリストはやはり大したものだと思った。

2013-12-14 07:39:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(3)キリストが自然人として実在したのか、聖書の記述通りなのかどうかは知らない。以下は私の解釈である。母のマリアは、結婚する前に、あるいは結婚した後に、不詳の男と通じてキリストが生まれた。当時の社会において、私生児は不利な扱いを受けたことは想像に難くない。

2013-12-14 07:40:15
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(4)生まれたキリストも、何しろ父親がわからないわけだから、ぼくのお父さんは誰なんだろう、と魂の探求をし始めた。そうしたら、いつの間にか、天なる神が私の父である、という妄想を抱くようになった。さらに、お母さんのマリアは、処女懐胎をした、ということになった。これも妄想。

2013-12-14 07:41:29
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(5)以上、時系列をやや乱暴に書いているが、いずれにせよ本質は、厳しい状況に置かれた青年が、生き延びるために抱いた妄想の中に、キリスト教の起源があると私は考える。問題はこの後。そんな妄想を抱いた男は、歴史上何百万人、何千万人もいただろうが、なぜキリストだけが特別だったか。

2013-12-14 07:42:57
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(6)何度か書いているが、passionには情熱とともに「受難」という意味がある。マタイ受難曲は、St Matthew Passionである。つまり、私生児として生まれたとか、父親がわからず彷徨ったとか、そのような受難が、キリストの宗教的な情熱のもととなった。

2013-12-14 07:45:24
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(7)聖書には、キリストは軽蔑され、拒絶されたとある。それは、普通、自分は神の子だとか言ったら、軽蔑され、拒絶されるだろう。そのような無数の愚か者の中で、なぜ、キリストの物語は、人々の心をとらえて、今日まで宗教として、あるいは寓話として伝えられているのか。考えると不思議だ。

2013-12-14 07:46:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(8)処女懐胎のマリアは、キリストの足の下に跪いた娼婦のマグダラのマリアと同一人物という説があり、そこに本質があるのだろう。もっとも蔑まれ、汚辱の下にある人の中に、最も聖なる、純粋な人がいる。そのことを獄中でオスカー・ワイルドは想ったし、ドストエフスキーも直観で知っていた。

2013-12-14 07:48:23
茂木健一郎 @kenichiromogi

かな(9)以上の考察からの教訓は、簡単に蔑んでは行けないということである。プロレスはガチではないという人がいるが、最高の真剣勝負はシナリオの決まったプロレスの間合いの中にあるのかもしれない。大抵の妄想者はイタイだけだが、ごく希にキリストがいるから、侮ってはいけない。

2013-12-14 07:49:31
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第1118回「紙一重の、何でもあり」でした。みなさん、よい週末を!

2013-12-14 07:50:04