イザヤ・ベンダサンbotまとめ/司馬遼太郎曰く、対象を”現実”と”思想”に分けるのが「日本教の教義」

イザヤ・ベンダサン著『日本教について』/『檄文』の論理/支点の位置/51頁以降より抜粋引用。
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イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

①【支点の位置】ここで司馬氏にソクラテス流の質問をしてみたいと思います。 氏に向って、 【『思想は思想自体として存在し……現実とは何のかかわりもない』 という貴方の思想もまた思想なのだから、それは貴方の『頭脳』という『密室』の中で構成された『大虚構』なのではないのか。】

2013-12-13 12:39:59
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

②【何を根拠にあなたは自分のこの思想は『現実』で『大虚構』ではないと主張するのか。 もしそう主張しないといわれるなら、あなたも新聞にただ新しい別の『虚構』を発表されただけということになる。 もしそうならあなたの一文は全く無意味になるではないか」と。】

2013-12-13 13:39:59
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

③ソクラテスは、自分の家族、子供、友人のこと、すなわち「現実」を考えろといわれたとき、相手のこの言葉を「現実という名」の一つの「思想」として受けとり、この「現実という思想」を自己の思想と突き合わせて、いっしょに考えよう、そして正しい方を選択しようといいます。

2013-12-13 14:39:59
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

④そしてその場合、自分の思想も相手がいう「現実という思想」も、世間一般の人びとが言う「思想というもの」もすべて同一水準へおき、これは「思想」だ、これは「現実」だといったわけ方はしておりません。

2013-12-13 15:39:55
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑤即ち彼は、では考えてくれ、人間達の意見の全てを尊重すべきでなく、あるものは尊び、あるものは尊ばない事、また世人の意見でなく、その内のある者のは尊び、ある者のは尊ばないという事、こういう主張は十全だと貴方には思えないか?何と貴方は言うか、これは正しい主張ではないのか? …正しい。

2013-12-13 16:40:02
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑥以上がソグラテスが「考える」場合の前提ですから、同じように『檄文』も「司馬反論」も同一平面において共に思想として扱うべきだと考えて上記の質問をしたのだ、 といえば、 おそらく司馬氏は、私の問いにもソクラテスの言葉にも、微笑を浮かべて何も答えないでしょう。

2013-12-13 17:39:55
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑦理由は、第一便で申し上げましたように、司馬氏がのべているのは、反論を許されない日本教の教義であり、私の問いは、その教義に従わないための理屈になってしまうからです。 教義ですから、もはや論証の世界ではありません。 日本を探究しようとする人は、みな、ここでつかえます。

2013-12-13 18:39:58
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑧――言葉でないなら、一体何が日本人を律しているのか、 恥か? 権力か? 伝統か? ………? ………? 何とか解こうとしても、言葉という手掛りを失った仮説は、すべて、 「事実のスキラに打ちあたって砕け、循環のカリブデス」 に陥るだけです。

2013-12-13 19:40:01
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑨そしてこの渦巻に巻きこまれている者はただに外国人だけでなく、日本の知識人といわれる人々にも見られます。 では日本人を律しているものは何か? 一言にして言えば「人間という支点の位置」とこの支点が立っている台です。 台については後で触れるとして、まず位置から考えてみましょう。

2013-12-13 20:39:58