ストライクウィッチーズ関連、カールスラント空母「グラーフツェッペリン」について【SW設定妄想垂れ流し-046】

友人の同人誌用に、天城型巡洋戦艦の船体を用い、天城型の設計を参考にしたとされる空母グラーフツェッペリンについて簡単に解説をでっちあげてみました。
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M-鈴木 甲28 @kapitan_black

カールスラントの航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」について 第二版 #ス魔考

2013-12-26 22:48:38
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

天城クラスは八八艦隊を編成する新鋭の巡洋戦艦として起工されたが、当時その激烈さが徐々に認識されつつあった対怪異戦と、僅かながらの戦訓と、そこから分析された「将来予測される怪異の脅威度伸長」を懸念した(とされる)艦政本部の提言により #ス魔考

2013-12-26 22:50:15
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

1922年の段階で一旦建造を中断し、その結果直接砲火を交わさない立ち位置である空母 に改装される事が決定される。(※1) #ス魔考

2013-12-26 22:50:31
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

折から圧倒的に有力なストライクウィッチや急速に発達しつつある航空機の運用を睨んで、大型の航空母艦が必要であるとの軍令部要求にも合致しており、その4隻全てに空母としての艤装が開始される。 #ス魔考

2013-12-26 22:51:05
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

まず先行する2隻(天城・赤城)がブリタニアで第二次改装の進むフューリアスを睨みつつ建造が再開され1925年に進水し1927年には有名な三段空母としての姿が出現する事になる。 #ス魔考

2013-12-26 22:51:30
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

この段階では島型艦橋を有さず中甲板に操舵艦橋が設けられ、其の前方は二段目の飛行甲板となっていたが余りに短いこの甲板は早々に飛行甲板から火力甲板に変更され連装20cm砲塔を並列で2基搭載した。(ご想像の通り、艦橋からの視界が悪化し運用に支障を生じた) #ス魔考

2013-12-26 22:51:59
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

後続の2隻はこうした状況を受けて当初から中甲板を火力甲板として建造され、奇抜な鵺の如きスタイルの空母が4隻揃おうとしていた。 #ス魔考

2013-12-26 22:52:16
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

しかし未だ完成形が見えない「航空母艦」としての運用をいきなり4隻で行うのはリスクが大きすぎ、又、世界有数の大型艦造船能力を有する扶桑皇国とは言え、今後も試行錯誤を繰り返すであろう進捗芳しく無い大型艦で造船設備を徒に長期間占有する訳にも行かなかった。 #ス魔考

2013-12-26 22:52:44
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

ここで意外な解決策が提示された。後発の2隻には少々毛色の異なる運命が待っていたのだ。 #ス魔考

2013-12-26 22:53:18
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

A140型新型戦艦の航続距離と速度の両立を目論んで高温高圧缶の技術支援(冶金技術・加工技術・運用ノウハウ全て)を欲していた扶桑皇国にとって、カールスラントに天城型2隻を引き渡す事を引き換えにその技術を得る事は二重の意味で文字通り「渡りに船」だったのだ。 #ス魔考

2013-12-26 22:53:51
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

その結果、全く同じ血統から発した二本の幹から成る大型改装空母の改造史が始まる事になる。 基本的な艤装が終了すると遥か欧州の地へと回航され、愛宕と愛鷹(共に予定艦名)の2隻は1930年にはカールスラントで航空母艦として運用を開始される。 #ス魔考

2013-12-26 22:54:41
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

艦名には「グラーフツェッペリン」「ドクトルエッケナー」(飛行船で著名なツェッペリン伯とその盟友)を命名された。 #ス魔考

2013-12-26 22:55:33
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

扶桑(とブリタニア)では迷走とも言える航空母艦の最適解を求める試行錯誤が繰り返され今も建艦史に残る奇怪な姿を記録に留めているが、幸いにしてカールスラントでは資材の準備や独自の改良案(運用案)の検討もあって改装の着手は遅れ、 #ス魔考

2013-12-26 22:56:19
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

扶桑皇国で天城・赤城が改装されるのにほぼ時を同じくして1939年、全通甲板島型艦橋を有する近代的な航空母艦へと改装を開始される事になる。 #ス魔考

2013-12-26 22:56:38
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

この時の改装内容は格納庫や主な航空艤装の仕様こそ原設計の改装案に倣っていたものの(※2)主機を換装すると共に煙路を変更し特徴的な屈曲下方煙突を廃して直立する煙突を設けると共に、右舷側に艦橋を配している。(但しエムデンを彷彿とさせる簡素な構造物と高いマスト) #ス魔考

2013-12-26 22:58:23
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

細かい所でも各種装備品/対空砲も(2隻で若干差があるものの)自国製の物に置き換えられていた。 (25mm機関銃は3.7cmと2cmFlakに、余りに旧式化著しい12cm連装高角砲を自国製の10.5cm対空砲に替えている) #ス魔考

2013-12-26 22:58:43
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

そんな中で異色の存在だったのは艦尾側に装備された6基の単装20cm砲だった。 これは当時はまだ空母と言う存在が偵察巡洋艦的運用を期待されていた時期でもあり、最低限の自衛火力を必要とすると考えられ装備されたものだったが #ス魔考

2013-12-26 22:59:32
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

(原設計の巡洋戦艦では舷側副砲は14cmであり、20cmの装備は当初のサイズを大幅に超えるものだった) #ス魔考

2013-12-26 23:00:07
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

複数回の改設計と実戦を経て不要とされるも、重心の低い位置、しかも艦尾端に近い装備を取り除く事は、結局のところ艦底か(せいぜい)同じ位置にバラストを装備するだけの結果に終わると判断されて、将来の課題として残置される事になる。 #ス魔考

2013-12-26 23:00:41
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

(カールスラントでは運用案検討の都合上、元が巡洋戦艦である天城型の船体装甲に満足しており、それどころか第一改設計状態で艦首に連装砲塔を装備した姿に強い関心を示したと言われる)※3 #ス魔考

2013-12-26 23:01:04
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

但し、正20.0cm砲は扶桑でも「天城・赤城」以外では最早使用されておらず、当初運用を予定していた古鷹型・青葉型・妙高型重巡すら20.3cmに換装してしまった結果、完全に天城型とグラーフツェッペリン型の専用砲弾となっていた。 #ス魔考

2013-12-26 23:01:28
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

結果的に無駄に潤沢な砲弾が割り当てられており、使いきるまで換装させて貰えないのだと噂される遠因ともなっていた。(実際には最悪でも自国製55口径15cm砲に換装し、下ろした砲は沿岸要塞か、陸上砲台に転用する計画だった) #ス魔考

2013-12-26 23:01:52
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

一方、技術立国らしい変更点が複数認められた。 #ス魔考

2013-12-26 23:02:02
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

前述の通り下方屈曲煙突は上方煙突(先端部で後方に傾斜)に変更されているのは当然として、缶を大出力化し装甲強化に伴う排水量増大をカバーしつつ航続距離を伸長し、将来的には余剰出力を圧搾空気製造に回してカタパルト装備を目論んでいた。 #ス魔考

2013-12-26 23:02:27
M-鈴木 甲28 @kapitan_black

このカタパルトを(カールスラント技術陣は)飛行甲板先端左右両端への装備を考えていたが、グラーフツェッペリン型2隻については構造的に飛行甲板先端への搭載が難しく艦橋前方の右斜め前方に向けての装備が準備されており、限定的アングルドデッキに見えなくもない外観を有している。 #ス魔考

2013-12-26 23:02:54