きのうの法政時計塔第3回シンポジウムでの、元国立市長上原公子さん(任期1999年4月〜2007年4月)による講演の内容です。連投ご了承ください
2013-12-01 12:07:28元々国立に大論争のあった、街づくり・景観を守るために市民が選んでくださった。美しい街を守るために戦ってきた。 昭和31(8? すみません) の朝鮮動乱で国立は歓楽街になってしまっていた。米への売春宿として、学生寮が使われる有様だった。
2013-12-01 12:08:02子どもを守るための環境を作ろうという日本で初めての試みが起こった。増田四郎氏が国立でまちづくりという言葉を初めて使った。まちづくりという言葉は市民自治の象徴を意味する。増田氏は後に一橋大学の学長もつとめた。
2013-12-01 12:08:32そのような土壌で、国立は7万人ほどで川崎に比べると小さい街だが、上原氏もかつて5万人の署名を集めた。範囲を広げ+7万人の署名を集め、2つの栽培を起こした。景観法、結局最高裁で敗れたものの、法的に「景観利益」というものを見出した。
2013-12-01 12:16:49このけ景観利益というものによって、崖の上のポニョで有名な鞆の浦は勝つことができた。 今上原氏は損害賠償を請求されている。かつてマンションから損害賠償請求が市に来て、市はそれを支払ったがマンションはその金額の受け取りをしなかった。しかし、今上原氏に賠償請求が来ているという。
2013-12-01 12:26:22これはかつて市長として判断したことが任期後に足枷となる事例になってしまう可能性があり、42人の弁護団や専門家とともに反対する裁判を起こしている。この結果は今年の12月24日に出る、とのこと。
2013-12-01 12:31:41今回の法政について、新総長の田中氏と話しをする、OBの愛着に注目する、「平和」のシンボルとして平和運動の方たちにアピールする、日本建築家学会や都市計画+弁護士のチームを組む、川崎には景観でがんばっている人がたくさんいる等々のアドバイス
2013-12-01 12:37:01福島についても、このような状況でも戻りたいと思う何かがある。人々が手塩にかけてきた何か。 自分たちの存在を確認するものであったり、先人からの営みであったり・・京都のお寺を作った職人たちも、自分の50年という人生の長さで物事を測っていなかった。
2013-12-01 12:50:32上原さんは京都が好きで1ヶ月に1度は行くらしい。ものがあるから、思いをはせる。もしも文書しか残されていなかったらそうはいかない。
2013-12-01 12:52:11例えばドイツのフライブルク。環境都市として有名だが、住民はみな古さを自慢する。このホテルは築300年です、というように。しかし、隣の建物は築400年だったりする。実はドイツの街はほとんど戦争で瓦礫になった。復興というのは完全に作り変えることではない。
2013-12-01 12:55:49レンガをひろって積み上げるところから始まった。ケルン大聖堂などは、いつも布で覆われたところがある。工事が終わるのはいつと聞くと、それは大聖堂がなくなるときだと。ケルン大聖堂は600年かかって作られたので、完成とともに修理が必要。
2013-12-01 12:58:33福島の子供たちは「お母さん、この花つんでいい?」と聞かなければいけない。 しかし、自分たちが何を大事だと思うか、そこから始まる。
2013-12-01 13:02:08上原さんが最もうまくいったと思う取り組みに、滝乃川学園の本館保存がある。所有者はその価値をわかっていなかった。でも、なんとか保存することができた。常盤貴子さん主演の映画になったり、その時歴史が動いたで取り上げてもらった。それから、国立駅舎の取り組み。
2013-12-01 13:20:31国立駅舎をめぐる政治的なかけひきについて。商業区域内で木造の新築はできない。それで先方は再建できないことを見越して解体・再建にのってくれたが、その直後に文化財指定に奔走。文化財であれば木造を建ててもよかった。そういう動きができたのも専門家チームを組んでいたからこそ。
2013-12-01 13:25:47再びドイツのお話。ドイツのある駅に(すみませんメモしてなかったです…)ソ連軍による落書きが残されている。ナチスを陥落させた喜びが、壁に記されれている。ドイツは、ナチスのことを恥じて忘れまいとして、落書きを残している。
2013-12-01 13:29:42ゲッティンゲンには、ヒロシマ通りという場所がある。ヒロシマを忘れないためにそうしたらしい。イタリアにも同名のものがあった。ドイツは忘れまいするが、日本人は忘れようとする。
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