伝統の中のリアリティ

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氏家法雄 @ujikenorio

神の存在の有無はひとまず置きますが、ある意味では、教会という「制度」の中で訓戒される表象というものが、もはや過酷な現実の中ではリアリティを失っていることの証左かも知れません。これはキリスト教の教会に限られた現象ではありませんけれども。

2010-10-19 15:03:12
氏家法雄 @ujikenorio

ただ、やはり一番偉大なのは、伝統的教義そのものよりも、そこで啓発を受けた人間がどこまで徹底的に成し遂げていくのか、ということなのかもしれません。彼女の足跡を辿るとそう思わざるを得ません。最後はもうカトリックという枠組みを超脱しているわけですから。

2010-10-19 15:04:15
氏家法雄 @ujikenorio

その意味では、教義における伝統的なドグマの批判・応酬によって宗教そのものの高低を論じる時代というのは既に過去のものとなったのかもしれません。まさに教義における伝道的なドグマこそ、ドグマ化される以前の肉声・実践・原テクストから逸脱したものなわけですし。

2010-10-19 15:05:16
氏家法雄 @ujikenorio

少しプラトン臭がしましてしません。

2010-10-19 15:06:19
氏家法雄 @ujikenorio

つきつめていけば、そして過激な言い方かもしれませんが、複数ある解釈の多様性が、権力闘争の渦中で一つの解釈のみが「正統」であるとなっていくわけですからね。

2010-10-19 15:07:22
氏家法雄 @ujikenorio

そうしたほころびがやはりここに来て……というよりそれ以前からですが……出てきているのだろうと思います。まあ、そのチャレンジにどれだけ真摯に対応していくことができるのか。これはキリスト教に限定された問題ではありませんよ、ということです.

2010-10-19 15:08:24
氏家法雄 @ujikenorio

しかし確かに彼女はあまりにも多くの悲惨を見過ぎたわけなんです。だからこそ彼女の事業をみていると、自称「市民」の事業(全てが全てではありませんけれども)なるものが、飽食世界のパイ取り合戦に見えてしかたがありません。

2010-10-19 15:09:25
氏家法雄 @ujikenorio

喩えは悪いのですが、大学生3年生までは、ヘルメットかぶったりして熱心にね、やったりするんですけどね。大学4年生になるとね、リクルートスーツに身をつつんで、大企業へ入っていくという図式というか・・・。

2010-10-19 15:12:00
氏家法雄 @ujikenorio

テレサとは逆ベクトルですが、田中正造なんかが、最後に谷中の農村地帯で最終的に、苦しむ人々のなかに、神を見出したということもひとつの照射にはなりそうですが、これはまだよく調べておりませんので、また考えてみます。

2010-10-19 15:13:07
氏家法雄 @ujikenorio

ただ、いずれにしても、伝統的なものの言い方(教義)に対する否定辞が、中で携わってきている人間自身から吐露されることは真摯に受け止める必要があると思います。

2010-10-19 15:13:09
氏家法雄 @ujikenorio

それはその信仰自体を否定するものではないかもしれませんが、その信仰に安住している制度やシステム・教義というものへの再考の促しであることは間違いありません。解放の神学もしかりです。

2010-10-19 15:14:10