- millionsage
- 575
- 1
- 0
- 0
大脇幸志郎
@0waki
実無限の対義語は可能無限。僕は実無限とか可能無限という言葉をそもそも野矢茂樹『無限論の教室』で覚えたやくざ者なので、無限とは本質的に可能無限ではないかしらんとか不用意に思っている。
2014-01-04 02:11:29
大脇幸志郎
@0waki
実無限/可能無限という言葉が何を指すかからはもはや離れて、僕は基本的に世界はワイルドであって、人間が見ているのは奇跡的に絞り込まれた断面でしかない、というイメージを持っている。
2014-01-04 02:12:45
大脇幸志郎
@0waki
そんなワイルドな世界に対して、人間は観察者として構えている限りは必ず「出遅れたやつ」「足りないやつ」でしかありえず、人間はまた行為者でもありうるという側面に希望を見出さなければ、そこには隷属しかない。
2014-01-04 02:15:54
大脇幸志郎
@0waki
もちろん「行為者である」ということも不用意には言えない。自由意志なんてものはなくて、脳の電気信号のゆらぎはあくまで物理法則(まだ発見されていないものを含めて)が記述しうる範疇を超えることが決してない、法則という語の定義からしてない、ということは強調しておく必要がある。
2014-01-04 02:17:42
大脇幸志郎
@0waki
だから「行為者である」ということは正確には「行為者であるという誤った自己認識を訂正する能力がない」と言い換えられるのだけど、それでもそこには何かの意味で「自ら」が主になると思えるタイミングがあるはずだ。
2014-01-04 02:19:43
大脇幸志郎
@0waki
「自分がどこに向かっていくかわからない」というイメージを、僕は可能無限という言葉に感じている。数学の人に言ったら「そういう話じゃなくて」と言われるんだろうけど、僕は数学の話ではなくて実存の話をしたいのだ。
2014-01-04 02:21:06
大脇幸志郎
@0waki
と言いつつ僕はむしろ隷属にこそ価値を見出したいやつだったはずだ。つまり「どこに向かうかわからない自分とはそもそも自分ではなく、可能無限とは『自分』もまた神のみもとにあると信じる契機なのではないか」と思うべきなのだけど、たまにはこんな話したっていいじゃないですか。
2014-01-04 02:29:45