毛利元就の章、「S/Z]、「サラジーヌ」、「デミアン」を参照したイメージソース考察

戦国basara3小説『毛利元就の章』で明示されていたロラン・バルトの『S/Z』との関係性と、作者先生のデミアンの『卵の殻を破らねば~』ツイートから考えた『デミアン』との対応関係。とりあえず「S/Z」を読むと毛利小説がさらに深読みできて面白いので捨て駒の皆様はぜひ。こちらの毛利小説まとめは大変参考になりましたhttp://togetter.com/li/542654
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植物園に行く @tommTycho

戦国BASARA3の小説シリーズ、「毛利元就の章」の評判を見て、なんだかやばそうな感じがしたので読んでしまったんですが………………………………想像以上にやばやばでした。そしてもちろん元就ルート的な「最高のハッピーエンド」でした。一切の曇りなく「最高のハッピーエンド」でした

2013-12-23 17:52:24
植物園に行く @tommTycho

私はバサラシリーズやりこんでるユーザーじゃないけど、元就ルートで「完全ハッピーエンド」って言えば、あとは分かるな…?って感じデスヨネ…てゆうか良くこの文体と構成をラノベでやろうと思ったな!!よくこれで出版許したな!! バサラ小説舐めてました、すみません。 最高でした

2013-12-23 17:56:41
植物園に行く @tommTycho

「俯瞰的一人称」みたいな概念が作中で出てくるけど、完全に=ではないにしろ、「本当は何を捨て駒とするのですか?元就さま?」という捨て駒(?)の問いはある部分では毛利自身の内面の問いでもあったし、心の悲鳴でもあった。この悲鳴の問いは物語の進行上、読者の声となりうるから必要だった

2013-12-24 18:11:51
植物園に行く @tommTycho

最終局面でハッピーエンドを手にした毛利には、その心の悲鳴を代弁してくれてた声=捨て駒は必要なくなった。もう自問自答する必要もなくなったから。だから最後のシーンで、空を漂う正体不明の一人称「私」に対して、「所詮、貴様も捨て駒よ」と告げる。物語の同伴者を捨て駒として切り捨てたのだ。

2013-12-24 18:22:24
植物園に行く @tommTycho

そのまま読むと、最後に出てくる中に浮かぶ正体不明の「私」との会話とか電波なラストでしかないんだけど、この謎の「私」を毛利の心の代弁者=捨て駒=物語の読者として結ぶと、とても綺麗な終わりになるんじゃないかな。同伴者である読者も毛利の策の駒であり、読者が捨て駒になる事で物語が完成する

2013-12-24 18:36:02
植物園に行く @tommTycho

これが関ヶ原の戦いという名のラグナロクだっていう事は分かったんだけど、いつもこうなんだろうか…三成小説は超次元戦国バトルじゃなくて歴史小説っぽいと聞いたけど、毛利小説はラグナロクだった

2013-12-25 00:42:15
植物園に行く @tommTycho

だから小説の毛利は大谷や幸村、元親や三成の心を誰より正確に繊細に理解できるのね…あとで殺すけど…キャラクターの触媒でもあり、読者の触媒でもあるよね…いや読者が毛利の触媒なのか…

2014-01-02 00:14:46
植物園に行く @tommTycho

プレイヤーキャラとして操作できるのに、唯一自分の心情を語らないのが毛利で、プレイヤーですら毛利の建前以外の心情を知ることが出来ない。毛利の心情を想像することしかできない。心情を知りたいけど、完全な毛利一人称というのは不自然で胡散臭くなってしまう。小説はこのジレンマを上手く表現した

2014-01-02 00:19:11
植物園に行く @tommTycho

ロラン・バルトの「S/Z」読んだ。1970年訳だから読むの大変だったけど、スゲー面白かった…!なんで毛利小説の副題「S/Z」なのかなんとなくわかった…

2014-01-10 20:50:41
植物園に行く @tommTycho

彫刻家「サラジーヌ」とカストラートの歌手「ザンビネッラ」の頭文字がS/Zということだけど、作中で毛利が「野心の無い、いわば去勢された獣」と言われてたのは、このカストラート(去勢された男性歌手)のザンビネッラからきてるんだろう。この「去勢」というのも重要なキーワードになる

2014-01-10 21:06:40
植物園に行く @tommTycho

「お前を殺してやりたいところだが」「しかし」と彼は冷たい侮蔑の色を見せて続けました。 「お前の体をこの刃で探っても、息の根を止めてやる様な心があるだろうか、復讐に値するだろうか。お前は屑だ。男か女だったら殺してやるのだが」

2014-01-10 21:13:48
植物園に行く @tommTycho

《お前は私を去勢作用に引きずり込もうとした、仇を討ち、お前を罰するためには今度は、私がお前を去勢する必要があるだろう、しかし私にはそれができない。お前はすでに去勢されているのだ》 生と意味を生む差異の存在から逸脱するものに、どうして打撃を与えられようか

2014-01-10 21:23:04
植物園に行く @tommTycho

元親「復讐に復讐を重ねる事……の結果がこの有様だ」「そして今また同じ過ちを繰り返そうとしている。俺はあんたに復讐する。あんたを絶対に許さねぇ、だがな、だからこそ殺さねぇ」 すごい色々意識した小説なんだなぁ…毛利を罰することは出来ないよね…彼はすでにあらゆるものから罰せられてるから

2014-01-10 21:30:06
植物園に行く @tommTycho

「S/Z」において「サラジーヌ」の物語のディスクール(言語表現)と作中人物は《互いに共犯者である》、「ディスクールは他の作中人物と同じ一箇の作中人物なのである」、っておもっきり毛利小説だなぁ…そうなんだよ…ディスクールを構成する地の文=捨て駒=毛利の共犯者なんだよ…

2014-01-10 21:39:40
植物園に行く @tommTycho

侯爵夫人の「誰も私の事を理解して下さらないでしょうね、それが私の誇りなのよ」っていうのが、 毛利「我の事を理解できるのは我だけでよい」  の台詞と連動している様に思えるけど、この侯爵夫人は「何も言うべきことのない女、自分自身について何も言えない想像もできない」とされてるんだよなぁ

2014-01-10 21:47:24
植物園に行く @tommTycho

毛利小説の毛利も、「自分に対してきわめて希薄な意識しか持っていない」人で、自分は自分について何を知ってるんだろうか、って一縷の不安をもってるんだよね…「自分自身について何も知らない事」がS/Zでは「去勢」とイコールであり、「空虚」を生む原因であるともされている…てこれ毛利じゃん…

2014-01-10 21:59:36
植物園に行く @tommTycho

毛利が松永さんとかに「卿は何ももっていない」とか元親に「寂しいやつだな」とか色々言われてるのは、毛利小説では、「毛利が誰にも理解されないからであり、自分自身について何も知らない事から来る空虚」が原因とされてるのかなぁ…「精神を蝕む茨の棘の正体」はこれなのかなぁ?

2014-01-10 22:08:34
植物園に行く @tommTycho

「サラジーヌはザンビラッネのZを受け入れる、それが欠如という傷口なのだ。SとZは図形的に逆の立場でもある。それは鏡の向こう側の同じ文字なのだ。すなわち、サラジーヌはザンビネッラのうちに彼の去勢作用をみるのである」(S/Z)

2014-01-10 22:28:17
植物園に行く @tommTycho

毛利小説の作者先生が「全く正反対の長曾我部の言葉に触れたときだけ毛利の感情が揺らぐのが一つの答えだと思う」って言ってたけど、やっぱりこのサラジーヌとザンビラッネの、S/Zという鏡像関係が元親と毛利なのか…?そんな単純なことではないよなぁ…毛利はサラジーヌでありザンビラッネだし…

2014-01-10 22:37:46
植物園に行く @tommTycho

『S/Z』では『サラジーヌ』での台詞の「二重の解釈」が問題になっていて、作中の言葉には、第一の意味と第二の意味があり、それは作中人物(第一の受信)と、別の受信空間(第二の受信)の双方に向けられているという。この第二の受信は主に読者に向けられたものらしい。この分割が《雑音》を生む

2014-01-10 23:00:01
植物園に行く @tommTycho

この分割は数式による答えとは違って、コミュニケーションを曖昧で不確かなものになるが、この《雑音》は読者と別種のコミュニケーションをとるためにディスクールが意図して造った《雑音》である。読者が読み理解するのはこの逆コミュニケーションであって、ディスクールと読者はこの点で共犯者となる

2014-01-10 23:13:08
植物園に行く @tommTycho

「ディスクールが物語の唯一の積極的な主人公なのであって、作中人物の誰それがそうなのではない。」(S/Z) って、私は毛利小説の主人公は毛利ですらなく、「彼を俯瞰する視点そのもの」=捨て駒=読者、だと思ったけど、やっぱりこれでいい線言ってる解釈なのかもしれない…

2014-01-10 23:19:58
植物園に行く @tommTycho

「この様に、なにもかも人に見られることは彼にとっては、突然心臓に短刀の一撃を受けた様なものでした」(サラジーヌ)、は思いっきり毛利だと思うんだよなぁ…鶴姫に心中を見通されて羞恥を感じる毛利だし、物語が続く事=観測され続けることに苦痛を感じる毛利なんじゃ…

2014-01-10 23:29:21
植物園に行く @tommTycho

毛利小説と『S/Z』はちょっとありえないくらい繋がってるし、というか毛利小説自体若干『サラジーヌ』のオマージュの様な気がしてきた…『S/Z』自体はすごい読みづらいが、『S/Z』読むと毛利小説が読みやすくなるよ…ああそういう風に読めって事ね、って方向性がつかめるからね…

2014-01-11 02:59:30
植物園に行く @tommTycho

一概には言えないが、去勢された美しい男性歌手・ザンビネッラが毛利で、彼を女性と(愛の対象と)思い込んだ挙句殺そうとする彫刻家・サラジーヌが元親に重ねられてて、二人が鏡像関係ていうおおまかな類似だけで相当ヤヴァイので毛利小説読んだ人は合わせて読むと萌えると思う(バルト全集6巻集録)

2014-01-11 03:05:51