マリー・アントワネットの母マリア・テレジアのもとへ演奏旅行にきていた6、7歳のモーツァルト少年が、まだ10歳ほどのマリー・アントワネットに言ったとされる言葉。ほんとうにこんなこと、あったのでしょうか?
オーストリアからフランスへ輿入れしたまだ少女のマリー・アントワネットは、フランス王ルイ15世の愛人デュ・バリー婦人がフランス宮廷を牛耳っているの見てショックを受けます。
あんな身分の低い卑しい女に、みんなへこへこしているなんて!
王の愛人デュ・バリー婦人に対して、何か言葉をかけろと言われ、渋々言った言葉です。
マリー・アントワネットは、障害、これ以外の言葉を彼女にかけようとしませんでした。彼女が言葉を与えるという栄誉を彼女に与えたのは、この一度きり。」
王妃の寝室 ロココ調の花模様だらけでやたら乙女チックな王妃の寝室。今残っている装飾はマリー・アントワネットの時代の「夏の内装」で、1980年に復元されたそうです。 http://t.co/uVEHsyRQq8
2014-01-17 13:36:08フランス革命がはじまり、マリー・アントワネットは死へと近づいていきます。
"幽閉中のマリー・アントワネット" 1793年頃 アレクサンドル・クシャルスキ http://t.co/EzfuK9dIDm
2014-01-18 04:10:39マリー・アントワネットの愛人、スウェーデン貴族のフェルゼンは、懸命に彼女を助けようとします。
わかっていた あなたは常に王妃だった… けれど、それでも愛してた この命すべてと引き換えても かなわぬ夢がこの胸で叫ぶ 愛しい人よ なぜあなた王妃なのかと (マリー・アントワネット「なぜあなたは王妃なのか」より フェルセン)
2014-01-17 19:11:15これはナポレオンにも使えたダヴィッドが、マリー・アントワネットがギロチン台に向かう様を描いたデッサン。ダヴィッドは、その様子を目の前にしてこのデッサンをしたと言われているから、これが現在知ることができる彼女の最後の姿になる。 http://t.co/AYV6dEBGAR
2014-01-16 20:20:58誰もがこのデッサンを見て思うこと。 それは、これがあのロココの華と呼ばれたマリー・アントワネットなのか!? このデッサンで描かれているのは、僕たちのイメージ、ソフィアが描いた映画のマリー・アントワネットには似ても似つかぬ姿が描かれている。 でもそれはよく見ると違うことに気付く。
2014-01-16 20:23:16彼女は悟ります。
自分は死ぬ。
今自分にできること、すべきことは、フランス最後の王妃として、偉大なる母、マリア・テレジアの娘として、
毅然として立派に死ぬことだけ。
勇気を!私は、長い間勇気を示してきた。苦しみが終わる瞬間に、勇気を失ってしまうとでも言うのか? マリー・アントワネット
2014-01-17 20:40:02これは余談だけど、マリー・アントワネットは1789年のフランス革命の3年後に幽閉され、1793年にギロチン台にかけられた。 そして、その最後、彼女は処刑人の靴を踏んでしまった時にこう言ったという。 『ごめんなさいね、わざとではないの。でも靴が汚れなくてよかった』
2014-01-16 20:34:33ギロチン[処刑:道具]フランスの医師、ギヨタンからその名をとられた。フランス国王ルイ16世、王妃マリー・アントワネットなど貴族に名誉の死を与えた傍ら、身分の低い罪人にも平等に安らかな死を与えつづけた。
2014-01-20 20:08:59マリー・アントワネットは貴族としての気品が高く、身分相応の方で素晴らしいと思うけれど、フランスを治める王妃としてのマリーは文献読む度にちょっとモヤモヤした気分になって、もっと国民のことを考えれる環境にいて欲しかった…‼︎と毎度思うのです。
2014-01-16 21:28:18